ジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』を観て | ヤムヤム夫婦のめおと子育て漫才

ジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』を観て

毎週楽しみにしている講義の一つに、『フランスの文化と歴史』というのがあります。

お屋敷の執事というエレガントさが漂いつつも、でも気取りのない先生。

学生時代、私はフランス文化を専攻していたので、

先生のフランス語を聞いていると、とても懐かしい気分にもなります。


さて、この前講義でジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』という映画を観ました。

とてもいい映画でした。

私はカタカナの登場人物がいっぱい出てくると、映画の途中で誰が誰だかわかんなくなっちゃうんだけど、

先生が適切に人物背景や当時の生活などを解説してくれたので、

おかげで最後まで話についていけました。
以下、講義で発表した感想を要約して書いておきます。


第一次世界大戦を舞台に、貴族階級の終焉と民衆のたくましさを描いた作品。

ともに貴族であるフランス軍将校とドイツ軍将校は、敵同士でありながら、
“貴族”というアイデンティティーから交流を深めます。
でもそこにはどことない孤独が。

貴族として生き、貴族として死ぬことしかできない二人の姿。


一方、労働者階級のフランス人マレシャルとそれをかくまうドイツ女性エルザの恋愛。

同じ言葉を話し、同じ趣味を持つ貴族たちとは対照的に、
二人はドイツ語とフランス語で、言葉の壁を乗り越えて愛を育んでいきます。

階級、人種、宗教そういうものを全部越えた“人間と人間の対話の大切さ”を
ジャン・ルノワール監督は私たちに語りかけているのでは、と感じました。


ストーリーそのものも、もちろん素晴らしかったのですが、
久しぶりにじっくりと映画を観たので、
私は“映画”という表現技法の素晴らしさにも感動しました。

貴族の孤独、家族を戦争によって奪われた労働者階級の悲しみ、
どこかのん気な雰囲気漂う第一次世界大戦の将校たちの様子。

言葉だけではなく、役者の動きや家具や植物や音楽、いろんな手法で

観客に伝えていくこと。


何かをみんなに伝えるのって難しいけれど、

でも伝えたい。

そんな気持ちが、私の今の仕事と結びついているので、

とても感じ入った作品でした。