感謝してますビックリマーク

(昨日のブログの続きです)

完全に「出世」に目がくらんだ私は新潟時代の反省を十分に生かせないまま(というか自己分析ができていなかったので、十分に反省もできないまま)静岡の地に降り立ちました。


昨日のブログはこちら
↓↓
大きな間違い(過ち)
https://ameblo.jp/36576


地理的な「緯度」としては新潟と大差ない静岡ですが、日本海側と違い、温暖な太平洋側の気候にびっくりしたのを覚えています。

日本海側の厳しい気候、しかも雪国という気候が確実に私のゼロベースを良い意味で下げてくれていたということに気づきました。

なぜなら「雨でも幸せ」と心の底から思えるようになっていました。

新潟時代は一番恐ろしいのが「雪」でした。
(私が新潟にいた間は雪がよく降りました・・)


遠方エリアを担当していた私は雪が降ると時間通りに目的地に到着することはおろか、雪国ならではですが、家の駐車場から出ることができないこともありました。
(一番怖いのは雪の下で道路が凍っていたことがわからずに路上でハンドルが効かなくなることでした・・)


「雨」というのは新潟の場合は「雪」ではないという意味で「暖かい証拠」なわけです。

だから「雨でも幸せ」と思える価値を私の中につくってくれた新潟という地に心から感謝しています。


静岡の地に来て、入社以来初めて会社に近いエリアを担当することになりました。

それまでは自分の担当エリアに1~2時間、雪の日は3~4時間かけて到着するのが当たり前でしたらから、それは私にとっても家族にとっても大きな変化となりました。


新潟時代晩期の経験から「休憩にも全力を出し切らないといけない」という教訓はこの頃から少しづつ気づき、実行に移すことができるようになりました。

(一人さんが繰り返し「がんばり過ぎてはいけない」と講演会や本の中で伝えてくれていたお陰ですビックリマーク)



近距離エリア担当になったことに伴い、新潟時代と比べると睡眠時間も大幅に増え、新潟時代と比べると天国のような生活スタイルが始まりました。
(今から考えると・・睡眠時間が3時間から6時間と2倍になったことで、体もそうですが、「神我」と繋がり易くなり、「GPS機能」が強化され、「閃き」も発生し易くなっていたと思います。)

(参考)
睡眠の重要性ブログはこちら
↓↓
すぐできて・すぐ効くコロナ対策
https://ameblo.jp/36576/entry-12588647882.html


愛媛時代、新潟時代と遠隔地を担当しながらギリギリの生活をしてきたため、普通にやっているだけで大きな成果をあげられてしまう自分に気づきました。
(移動時間で浮いた2~4時間を自由に使えるのですから、相当余裕ができたわけです)


静岡に赴任して翌年、仕事面では営業マンとしては最高位の「スーパー営業マン」(社内の名称を少し異なります)に認定されました。
(最高位はその年初めて設定され、選ばれたのは全国でわずか6名でした。ここに選ばれるということは将来の幹部候補を意味していました。)


しかし昨日のブログの最後で上げた課題②については依然不十分でした。

課題②
仕事に10割の時間を投資してしまい、「家庭」「同僚」「得意先」をなおざりにしていた。


結果・・

ある事件が起きます。

同時期に受験した課長試験に落ちたのです。


営業マンとして「全国区」になり、営業マンとして最高位の「スーパー営業マン」に認定されたということは将来の幹部候補を意味していました。

その人間が課長試験に落選したのです。

全国の同僚はもちろん営業部門の幹部の方々も驚いたはずです。


当時は相当落ち込みましたが、今から考えると冷静に分析できます。

そうです。

原因は

徳が足りなかった

の一言です。


いつの間にか人生の軸を「出世」に設定していて、周囲に気づかれない程度に「同僚」にも「得意先」にも貢献はしていましたが、根本的なところで「利己」に偏っていたため、アンラッキーが生じていたのです。


本社の中でたった一人私を否定していた人がいました。

そしてその人こそが当時の人事部長だったのです。


今から考えるとよくわかります・・

人事部長のせいではありません。

神的に考えると人事部長は「役割」を演じてくれただけで、神様がそのように「配慮」してくれたのだと思います。

私の「不徳」がこのアンラッキーを招いたのです。


課長試験に落ちた後の1年間は私にとっては10年間に感じるくらい長く苦しい1年間になりました。

自分の行動を根本的に反省する時間となったのです。

なにしろ営業成績や評価は十分過ぎるくらいに合格点をもらっていたので、100%「人間性」に×をもらったのですから・・


そして思い当たる全ての自分の行動を振り返り、自分の「弱点」と過ちに正面から向き合う日々が始まりました。


もはや営業成績でどれだけ結果を出しても解決できる問題ではなく、もしかすると一生課長に上がれないという恐怖が日々私の精神を犯していきました。


「利己」から「利他」へのシフトチェンジは容易ではありませんでした。

「利己」で大きな成功を繰り返してきた成功体験が邪魔をして、どうしても「利他」で行動する自分にブロックをかけるからです。
「スーパー営業マン」という肩書による周りからの「期待」はさらにそれに拍車をかけました。


しかしもういいかげんに気づいていました。

なぜなら私よりもはるかに営業成績をあげていない同僚が何人も課長試験にあっさり合格してしまったからです。


結果的に1年後に課長試験に合格するまで、私は日々自分の「自己中心的な心」と向き合うことになりました。


心持ちだけでなく、早朝の時間を使って後輩指導に当たったり、同じ営業チームや支店全体の勉強会やプロジェクトを企画・運営してみたり、行動面でも変化させていきました。

また得意先に対しても「売上」よりも「顧客満足」や「社会貢献」を意識して取り組むようになりました。

 

すると不思議なことが起こり始めたのです。

新潟時代「独り」でがむしゃらにやっていた時よりもはるかに楽に生きているのに、仕事の成果が比較的簡単に出るようになっていったのです。

「ツキ」と「他力」がいもづる式に舞い込んできました。


課長試験に落ちて1年後、結果的に私は課長試験に合格しました。

課長面接の時間は本当に短い時間で、すぐに人事部長の顔に「合格です」と書いてあったのがわかりました。

課長に昇格した後に私の年収は1000万円を超えていきました。


まとめ
静岡にいた2年間は「利己」で生きていた自分の「醜さ」を心の底から反省することになりました。

そして「利己」的な生き方に気づき、行動で示していくことが年収1000万円を超えていくための「最後の砦」となりました。

「利己」では自ずと限界がやってきます。

そして「利己」では恐らく「係長」までが限界です。
(これはどの業界、どの仕事でも同じではないでしょうか)

「利己」的な自分を心から反省し、行動で示していくうちに日々「徳」が増え、心の豊かさを手に入れ、そして結果としてお金もついてくるのだと思います。

課長試験に落ちた「失敗経験」によって、私はかつて新潟で経験した「成功体験」以上に大切な真理を学ぶことができました。


課長試験に合格したその年、営業マン人生で今まで経験したことがない成績を打ち出しました。

一番新しい製品→年間全国1位(ダントツでした)
二番目に新しい製品→年間全国2位
三番目に新しい製品→年間全国1位

しかも6割の力でそれを達成したのです。
(一人さんの教えの「仕事は6割でいい」を経験を通して理解できた瞬間でした)


なぜこんなことが可能になったのでしょうか。

先ほども触れましたが、日々の「徳」が「ツキ」という形で自分に返ってきたのと、6割を自分の仕事に使う一方で、4割を「利他」に使っていた私に「他力」が生じたのです。
(それは必ずしも直接「利他」を発揮した相手ではなく、直接関係ないところからも他力がバンバン入るようになっていました)


「実力」ではなく「神的」に営業活動している私に勝てる営業マンはいませんでした。

(参考)
この経験をもとに全国1位になる方法を書いたのが下記ブログです。
↓↓
「全国1位」になる方法
https://ameblo.jp/36576/entry-12595729689.html


ダントツの結果を出した年の秋、私は営業成績が高く評価され、本社マーケティング部に異動になり、営業マンを卒業することになりました。


長くなったので今日はここまでです。

6回シリーズで世捨て人から年収1000万円になるプロセスを紹介してきました。

 

いかがでしたでしょうか?

 

純粋に私の経験が他の人に少しでも役に立ってほしいと思い、時に私の醜い部分も勇気を出してさらけ出してみました。

(さらっと書いていますが、実はかなり葛藤しています・・)

 

明日のブログでは一連のポイントの総括とその後の展開について少し触れてみたいと思います。

 

今日も最高の1日になりました合格

 

あなたに全ての良きことが爆発的に起きます!!