【2章-5 雨音を聴きながら】



段々とぼやけた焦点がハッキリしてくる。あれは、逆さまのゴリラの顔だった。

優吾はそれをやっと思い出した。

霧が晴れるように、優吾の頭の中が徐々に整理されてくる。

まるで、一つ一つのつじつまが、ジグソーパズルを合わせるように繋(つな)がっていくように。

優吾はふいに女の顔を訝(いぶか)しげに見て、呟いた。

「あれは、いったいなんだったのだろう? 宙に浮かんだ細い道を渡ってきたようだったけど……」

女はしらじらしいため息を一つついて、投げやりな言い方で、こう言った。

「おおかたモノレールの線路の上を通ってきたんでしょうよ。いい加減目を覚ましなさいよ。ここは、上野動物園の中にある動物病院で、あんたは死にかけていたところをゴリラに運ばれてここまで来たのよ。分かる? 」

優吾は静かにかぶりを振る。

「やっと納得できたようね。私もあんたと同じよ。三ヶ月前に公園内で倒れたわ。それで動物に運ばれてここへ来たの。私を運んだのはカンガルーだったわね。それ以来、ここに住んでるわ。外よりもここの方が楽だからね。あなたは初めて知ったと思うけど、今では、上野公園に一杯あふれているホームレスたちを保護して食べさせているのは、上野動物園の動物たちなのよ」

それを聞いて、優吾は、びっくりした。

しかし、よくよく考えてみると、今の世の中、何が起こってもおかしくはない。

例え動物に人間が面倒を見てもらうことになったにせよ、何も問題はないではないか。そんな気がしてきた。

優吾はあらためて、女に名前をたずねた。

「ケイコよ」

女は優吾に優しい眼差しを向けた。

「身体が快復するまで、ゆっくりここで休みなさい。
今日はこんな雨降りだし、表には出ないほうがいいわ。
食事は一日一食だけど、動物たちが差し入れたものをあたしが持ってくるから、心配しないで」

ケイコという女は、そう言いながら部屋を出ていった。

優吾はベッドに横たわったまま、しばらく、雨の音を聴いていた。

昼間だというのに、部屋の中は薄暗かった。

天井に染みがついている。

見上げていると、不思議とそれがゴリラの顔に見えてくる。

あの黒くて厚みのある肩にしがみついていた時の、手の感触が蘇ってくる。

それは決して悪いものではなかった。

やがて、部屋中が水の音と闇に包まれて、優吾は深い眠りに落ちていった。



〈続く〉