帰国して4年後の1966年,留学していた時親しくしていた先輩からアイオワ州立大学に留学していた人の会を作りたいがやってもらえないかという話があった。

 大変と思ったがお世話になった人たちのためにも,出来るだけのことはしようと思った。

 まずは名簿作りである。これは先輩が人づてに情報を集めて下さった。朝日新聞の会合の告知欄にも載せてもらった。その新聞ではアイオワ大学となっていたので,我々の大学(Iowa State University)とは違う,もう一つのアイオワ大学(University of Iowa State)の留学者からの連絡もあった。そこで会の名前を付ける時には,アイオワ大学では2つの大学の区別がつかないので,我々の大学のあった市の名前を使いAMES会と命名することにした。

 第1回目の会合は,1966年4月9日,東京大学にある学士会館で開催することにした。

 コンピューターのない時代,コピー機のない時代,会合の案内も,名簿もすべて謄写版を切り,一枚一枚刷った。この謄写版刷りはすべて会社の人にやってもらった。

 集まった名簿から案内をどれくらい出したか記録がないので分からないが,返信のあった人だけの名簿という謄写版刷りが残っているが,それによると65名である。いちばん古い人は1950年9月から1952年6月までの留学者である。

 会の当日何人集まったかの記録はないが,かなり広い部屋に,家族を含め5,60人ぐらい出席されたのではないかと思う。ここでも私が一番若かったと思うが,幹事もやり,司会もした。

 会は大いに盛り上がり,アルコールもどんどんはけた。だいぶ赤字になりそうだったが,お世話になった人も多いことだし,いくら持ち出しになってもいいと思いどんどんアルコールを出してもらった。

 会が無事終わる頃,同じ時期に留学していた人5,6人が会計を心配してくれて,皆で赤字分を出してくれることになった。

 同じ時期に留学していた一つ年下の石田晴久君が,マサチューセッ工科大学の勤務を終えて帰国したのを機に,会は彼にすべて任せることにした。

 この会はその後ISU-AMES会として2年に一度会合を持っている。2008年4月現在の名簿には257人(故人を含め)載っている。私が知っている人でも4人載っていないので,実際はかなりの人数になるのではと思う。

 ところが、会を引き継いでもらってしばらくしてからは新しく帰国した人が会に全く入っていない。この会のあることを知らないで、ISU卒業生の会がも持たれているのを十数年前に知った。私の留学していた頃は、ほとんど東大からの交換研究者で、大学卒業生は私が初めてであった。しかし、最近では、若者が何人も入学し卒業しているそうである。私はこの二つの会を統合すべきと会長と幹事に進言したが、今のところ実現されていないのは残念である。