「私は存在しない」
これを読んであなたはどう思いました?

多分頭から
「そんなバカバカしい話」とは思わないと思います

どこかで「私はいない」ということを識っているからです

なんとなくでも
「そうかもしれない」と、感じるはずです

ひとつの側面ですが
私とは生きることを求める存在でもあります
でも、私を超えたところでは私は存在しないことを識っているので、「私はいない」という言葉に共鳴するのです

人は物心をついた頃から「私は」という錯覚が始まります

そして「私が」「私は」から苦しみが始まります
この「私」が在るために「分離」が生まれます

今人生というストーリーを生きているとすれば、それは「私」がいるからです
本来ストーリーなど存在しません

主役がいないのですから、、

人との摩擦やいざこざ、お金への執着、幸せへの道、全て私がいるから成り立つのです

「私」というひとつ目がないのなら、他人や周りという二つ目も生まれません

全ての始まりは「私」です

「私とは何者なのか?」
「私はなんのために生まれて来たのか?」
「私の幸せはどこに在るのか?」
「私はどう生きていけばいいのか?」
「私はどこを目指せばいいのか?」

この「私」がなければ、そんなストーリーもありません

そして
「私」というエネルギーは何かを常に求めます。「私」と呼ばれるエネルギーですから
それが
「今ここ」にあるシンプルな幸せというエネルギーを覆い隠します
私とは今以外の何かを求めるエネルギーで在るために、「あるがまま」を見ることはできないのです

自我意識の対は普遍意識です
真理はあらゆるものを普遍的に感じることができる意識です
これは「私」という「個」がある限りは現れません

私達は「私」という個が在るために、限定的されたものの見方しかできていません。

この限定されたものの見方は「私」がいるからです。
これは体験でしかわかりませんが、「私」という個がなくなると、例えば「あなたとあなた」「木と葉っぱ」「空と海」という感覚も薄れて来ます

あなたはあなたが主役のあなたの目線からの映像の映画を見ています
それがあまりにも現実味を帯び、その上肉体の感覚までリアルで在るために、あたかもそこに「私」という個人が存在しているような錯覚を起こします

映画はあなたの意思とは関係なく、進むのですが、それを自分の都合よく、どうにかしようと頑張ります
映画はハラハラドキドキもありますが、いつもどうにかなるのですが、そこをどうにかしようとする心が「苦」なのです

釈迦が言うように
その人生は自由はなくシナリオ通りに進みます。だから気楽で楽しいのです。本来人に与えられた自由は、その経過をあなたがどう評価するか、それが人に与えられた自由というものなのです。

公園を散歩しながら
「あー幸せ」と思える人は

どこに行っても、何があっても「幸せ」なのです

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