思考が現れる瞬間を目撃したことありますか?
やってみると大変な作業です
と言うより不可能に近いと思います
すぐにはできないのが当たり前です
できれば一人の時がいいです、と言うか無理です
ジーと自分が何を考え出すか、その瞬間を監視する
当然その時は思考は止まっています
そしてもしその瞬間が見えたら、かなりの衝撃がやって来ます
思考を見張る
やってみるとわかりますが
ジーと見張っていると、「いつのまにか」見張っていると言うことさえ「忘れて、」思考に丸め込まれています
不思議です
例えばです
どこからでもいいです、朝日が出る瞬間を目撃しようとしたとします。
何分か前にスタンバイして、出る方向に目線をやります。
それを忘れるなんてことあるでしょうか?
ないですね
やるとわかります
後で気づきます
「あ、思考を観察してるんやった」と
これは、夢と同じです。目が覚めた瞬間は思い出せますが、すぐ跡形もなく記憶から消える
またほんの数秒前自分がなにを考えていたか考えてみてください、、、思い出せないです
それらに意思があり、そこ(無我)へ意識をもって生かせないとしてるのかとさえ思います。
もしも思考が自動でやってくると言うことを確信すると
あなたは
なにも信じられなくなります。
何もかも自動で起きているということを確信したからです
ちなみにこの
何も信じられなくなる、、というのも思考です
「自分が考えて自分が行動している」
今まで当たり前に信じていたことが砕け散ります
行動もそうです
例えば一瞬単位ではコーヒーを飲もうと思う前に腕がコーヒーを摘もうとしています
「コーヒーを飲む」は、後付けなのです
これらを識ると、私は観察者?となります
勝手に自動で思考が生まれ、その思考より一瞬前に身体が動く
すると
今まで当たり前に信じていたことから「解放」されます
いい意味で
「どうでもいい」「アホらし」という感覚が生じます
じゃあ
何を信じればいいのか
「事実」です
目の前の風景、空や雲、ビルや人
風の音、街中の音
暖かいご飯、コーヒーやお茶の味
匂い、ソファーに触れている感覚、地面を踏む足の感覚、犬を撫ぜる手の感覚
「自分がやっている」というものから解放されるということは
「自分がやってしまった」
「自分がこうなってしまう」からも解放されると言うことです
起きていることは
「ただ起きている」
そして私はそれに気づいている、私は観察する側だと認識すると、一瞬で私はなくなる
目撃してみてください
それから真理が見えてくる。真理は思考や知識では永遠にわからない
自分自身で確かめるしかないのです
「私」とは自我意識
その「私」が思考を生んでいる
この思考はどこからくるのか?
私は個人という自我意識から生まれる
それはこの地上で、本来全体を観る視点から「あたかも」個人で在ると言う錯覚を創り出した神の御業なのです
彼は自ら創り出した最低の媒体(肉体)に自ら入っているように感じます。
とりあえず、押してください
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