しあわせにあふれ | 陽秋の全体像の彼方へ

陽秋の全体像の彼方へ

ヨウシュウ
混沌の浜辺から 街の観察や交叉するところ

半世紀に近く

 

僕を 慰めるものは なかった

 

癒されようとは  思わなかった

 

そんなゆるいことが  できるような

 

そんな相手だとは  思えなかった

 

ともかくも  あの時に

 

生き延びた  そうとは知らずに

 

生きはじめた  暖かい血が 通い

 

それが 最初の  慰めだった

 

体の 隅々から  生き返るのが  わかった

 

生きる、というのは  このことだった

 

この素晴しい  感興という

 

言葉にならないもの

 

包み込まれてしまうもの

 

どんな疑いも  歯が立たない

 

その中に  溶け込んでしまうもの

 

もう  生きているという  感覚さえ

 

さらわれ  地に  足がつかない

 

あなたに?  誰に?  わからない

 

感謝します  その大いなるもの

 

すべてということが  これほどに

 

隅々にまで  広がってゆくものとは

 

心が  どんなに  広く  広く

 

追いつこうとしても  あなたは  もっと

 

ゆるやかなのに  ゆったりと  大いなる

 

翼を  広げる

 

その気持ちのよいこと  これほどに

 

世界に 出会うという  ことは なかった

 

すべてが  その中に  その  何とも言えない

 

心地良さの なかに  そこに リスが 顔を出すように

 

赤い花びらから  一滴の 生命が  しずくのように

 

すべてというものが  なんなのか  なぜなのか

 

あるということが  やさしく  微笑んでいる

 

あるべくして あるということ  それが

 

どういう 真実なのか  それが  そこにある

 

それは 語りかける  ささやいて

 

答える 言葉が ない  それは 答える 僕が 

 

いないから

 

僕は そのなかで  しあわせな  なにか

 

なにか  一点のような  すべてに ある

 

せり上がってくるものに  押し出されて

 

揺られるものに  ゆったりと

 

ここにいるのに  どこにいるのか

 

ん~ん Nnー  ん~ん Nn

 

今  この時が  すべて  まったく

 

すべてだと

 

僕でもないし  あなたでもない

 

そのなかにあること   どこにもゆかず

 

静かな鼓動に  眠るように

 

それを 言わずに いられなくなる

 

どうして  これほど  気持ちよく

 

いられるのか   たりないものというのは

 

もともとないのが  わかる

 

抱(いだ)かれるものよ  抱いているものよ

 

すべてが  お互いではなく

 

一緒になりながら  溶けあう

 

 

不思議なのは  愛の  世界

 

あなたは認知症で  頑固一徹

 

2階が3階だ と言ったり  わけがわからなかったが

 

最後の認知は  子供に帰って

 

別れ際に 泣いて  後追いすることだった

 

あなたは 認知症で  底意地の悪い人

 

さんざん文句を 言って

 

最後に 急に 静かになって

 

「ありがとう」と言って

 

息を 引き取った

 

なにが 真実だったのか

 

僕には  わからない

 

僕が  愛を 創造したのだとしたら

 

どうして  それは 僕よりも  果てなく

 

はるかに 大いなるもの なのか

 

どうして  それは 甘えがなく  僕が  期待なく

 

必死で 必要な時に  やってくるのか

 

ちゃんと  必ず 来たのか

 

僕が  拒絶するまでして そのあとも

 

僕を  見守るのか

 

誰が  そんなことを  できるのか

 

誰が ・・・

 

 

僕が 生きているのは  彼女が

 

いたから

 

僕に  夢を  見させること

 

それを させてくれたから

 

 

今 この時

 

すべて  このしあわせが  あふれている

 

-50°の極寒の 頂上から

 

8000m の海の底 まで

 

地球上で

 

それが 満ちていないものはない

 

それは また別のものが  支えて  覆っている

 

広大さを 超えて  膨大さが  理解や想像を 超えて

 

彼女の背中から  見える  それは

 

死から  姿を  変えてゆく

 

さらに  大きく  広がり 広がり  広がり 続ける

 

僕らは これを  受け止められない

 

あふれる 奔流に 流されないように

 

どこか 岩にでも  捕まろうとするが

 

いつも  奔流のなかに  いるだろう

 

 

ここに  それが ある

 

耳を すまして  聴いている

 

皮膚が  柔らかく  空気に

 

溶け込む

 

溶け込む 心は  音符

 

なにかを 伝えて  響きが  快い

 

僕らが  生き続けることを  直接

 

胸に 手を当てるように  教える

 

生きている  それが  素晴らしいと

 

どうして  言う 必要が あるのだろう

 

ここに  ある   それが

 

それが  ある  すべてに

 

それがあるから  生きている

 

生きていられる

 

僕らは  信じていないで  そうであるように

 

いられるほど  強くない

 

 

 

 

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僕は、僕を離れる。この感興で胸をいっぱいにして。

 

でも、それは眼を自分たちに移すことになって、囚われた

 

状況というものを映すことになる。眼は悲しみを映して、心は

 

しあわせでいっぱいという見かけは矛盾しているが、分離を

 

選べば、それは選択の問題に見える。選択しないで、無理しない

 

で成り行きを、自然に任せるのは、難しい。それは聖人君子に

 

なることじゃない。問題を放任するでなく、自分の意志を優先させ

 

ることでも、もちろん、ない。

 

僕は 僕に帰る。混迷に疲れると、帰ってくる。今回はほんとうに

 

疲れたようだ。

 

また、来年、ブログをはじめます。  おやすみなさい。