陽秋の全体像の彼方へ

陽秋の全体像の彼方へ

ヨウシュウ
混沌の浜辺から 街の観察や交叉するところ

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「陽秋のブログ」は、勝手な思惑があって

 

「陽秋のガラクタパコスをゆく」に移動・引っ越し

 

しました。

あまりに暇なので書くはずのないブログに手を出してしまう。正月は島で過ごす。島へは半年ぶりになるが、忙しくて感慨もない。ガス代・水道代の支払いで一時間待ちが平均の島バスに乗らねばならない。車の4倍は時間がかかった。昨日は一日、バルサンと掃除。
なんにせよ、今は博多駅で6階から人と車の行き交う信号を見下ろしている。
昨日は70000円入りの財布を拾った、いや拾わされたと言うべきか。ちょっと複雑な事情で僕のではない財布を「落としましたよ」と渡してくれた人がいて、どうして僕のだと思ったのか説明がいるが割愛。
20年ぶりに財布を拾ってしまう結果になった。面倒なので、カードしか入っていない財布なら捨ててしまうところだが、免許証も現金もそれなりに入っている。お礼の報償金はいらないが、なんか言葉は欲しい。交番で潰した時間はロハではない。
とか、言っているがこの6階にまで大きめの枯れ葉が飛んできた。そんなに風が強いようにはみえないが。
このビルの壁に当たると、むなしく勢いをなくして、ハラハラと壁づたいに落ちて行く。!・・・・自分と重なった。・・・・・
今年もまた虚しさと調整しながらの生活になるのだろう、と。ま、そうならない望みも出て来たので、今年ではなく来年度からそれを・・・だろう、と。
さて、暇な話はそのくらいにして帰ったらブログの入れ替えをするだろう。退会するブログに書き溜めたのがあるので、それを移動しなければ・・・・・・・・・・・・
ということであとフライトまで6時間。今、喫茶にいるが、福岡市で休憩所をネットで探したら、福岡駅のマルイに待ち合わせだけでは勿体ない休憩所があると。地図を見ると!このビルだった。う~ん、移動時間はゼロか。いいのか悪いのか。(笑)

僕らは どうして生きているのか と 疑問に思ったことはない

 

それは 最近の なんとなく感想に浮かぶ言葉で

 

少しも 疑問符 ではないから

 

20才前に  自分は どうして生きるのか という疑問は

 

自身に 降りかかった

 

どこが違うのか  僕ら と 自分が  (違う)

 

生きているのか と 生きるのか だけで  まったく違う 疑問だから

 

 

どう違うのか

 

この想い  ひたひたと 胸に迫って  僕を 喜ばせる

 

それが どこから来るのか  どうして

 

僕のところに  来るのか

 

わかる人が  伝えてくるから だろう

 

自分が どうして生きるのか とは  悩みの想いになる

 

僕らが  どうして生きているかは  悩みではなく

 

感慨だ  やさしい ため息でもある

 

もう その答えは  見つけてしまっている

 

人への想いが  全体への想いに  広がる

 

これは 夢を 想うことだ

 

具体的に  誰それでは  夢は 紡げない

 

あなたは  物語を  語る

 

それだけでいい

 

必要なのは  実際にどうしようということではない

 

あなたが  それを 希望とすることだ

 

どうしたいのか  あなたの 夢を語ること

 

あなたの夢に

 

あなたが  適度に  感動することだ

 

夢なら  それができるかもしれない

 

そういうことを  あなたが想うこと

 

どうして  僕らは  この力を 忘れてしまったのか

 

どうして  この世は  めちゃくちゃなのか

 

乱れて  さ迷って  混迷ばかり 深いのか

 

それは  そうなっているのが  反面  正しいからではないのか

 

こうなるべくして  なっている

 

僕らが  そうなるべくして  している

 

そうとしか  見えないのだが ・・

 

僕らは 思うようにならないことを  解かずに

 

見限って  手じかなところから  手段を尽くす

 

だから  思うようにならないように  している

 

そういうように  したいようにしている

 

解いたり 時機を待ったりするのを

 

誰かに 教えてもらえば いいのだろうか

 

と 考えたことはあるだろうか

 

つまりは と  僕らは したいことを している

 

ああしたい人と  ああしたくはない人 

 

したいように  したくないように

 

こうしたい人と  こうはしたくない人

 

したいように  したくないように

 

している

 

それぞれが 複雑に見えるようで  絡まっている

 

それが 問題になるのは  いつも  自分から

 

それを つくっていて  問題視するのは

 

お互いに  それぞれだということ

 

象徴(神・仏・神の子・伝統)でも  規則(法律・憲法・掟)でも  

 

上位の決め方(王権継承・法典の解釈・私有制度)でも

 

それが 文化となり  習性となり

 

礼儀や 挨拶 見えない気配りや  無遠慮や 無礼も

 

日常が 生活が  その上で行われているのが

 

この世というもので  そこでは  すでに

 

そういうものとして  思いこんでいるのにも 気づけず

 

当たり前な  さまざまな理想や理想じみたものを

 

祭り上げて  皆が皆 行事を取り行って

 

生きている

 

慣れ親しんでいる

 

これが すべて  まとめて ”自分” というものなのだが

 

あなたは  それを 眺める手段を

 

持っているだろうか

 

具体的に  自分の所属する こまごましたものについて

 

言及されなければ  それを 認めなくていい と

 

思うのだろうか

 

あなたの名前は  親がつけてくれたもので

 

考える力もない 赤ん坊に代わって

 

名づけるのは  当然だろう、と

 

では もう成人して  あなたは自由だと 思うなら

 

自分で どうして 自分に名前をつけ変えないのだろう

 

あなたが  自由なら  もう そうするはずなのだが

 

そう思い至らないのは  その名前が

 

すでに  ”自分” だからではないのか

 

あなたの名前は  そこまで  自分に沁み込んで

 

どう見ても  名前の自分に  支配され切っている(認めている)

 

名前を 変えることではなく

 

どうして  そういう自由な発想に ならないのか

 

”自分” は 自分を越えられないこと

 

あなたが  自分のままである  ことを 伝えている

 

 

それでも 今  なにかをしなければならない  というのではない

 

そういう人は  いるが  すでに  もう なにかを試しているだろう

 

自分を 破壊できない人は  どうすればいいだろう

 

これが 今の僕の  想いなのだろう

 

「僕らは どうして 生きているのだろう」 という 1行目の

 

感慨が  こうして 僕をとらえる

 

人の さまざまな想いを この広い世界に

 

眺めて

 

あるのは  悩み・苦しみ・悲しみに 共感する

 

そういう喜びをともなった  感慨だけ なのだろうか

 

なにを  そこから 始めたいと思うだろうか

 

そう思うと

 

ぎゅっと 自分を抱きしめる

 

きつく きつく 抱きしめるもの を 想う

 

僕は  自分を 抱きしめる

 

どうしてだろうか

 

誰かに  抱きしめられたから

 

その人は  知らない  僕に 関心があるだけで

 

僕のことは 知らない

 

その人の代わりに  僕が  その人が ほんとうにしたいことを

 

している

 

皆がそうだ

 

それに 気づけないだけで

 

考えても わからないだけで

 

皆が  誰かを  抱きしめられたら いい  と

 

想っている

 

この夜は

 

そんな ぶっそうな? もの想いに

 

耽るために  あるようだ

 

君(心)を  抱きしめたい

 

なぜなら ・・・

 

 

ごめん

 

君が  好きだから

 

これは ドラマ じゃない

 

自分の夢だから  ほんとうのことが 言える

 

僕は  まとまりのない そんな自分が

 

だらしなくも  誇らしくも  たいしたことがない

 

君が  好きだ

 

わかっていたんだ

 

なににも なりたくない君が

 

なにかに  なろうはずもない

 

君は たったひとりの  悩みたい人間だ

 

悩むからこそ  活かされていると 感じる

 

希有な 人だ

 

たとえば、 そうだよね

 

真実が  あるのかとか  ないとか  思わないよね

 

君が それを必要なら  自分が真実になればいい

 

と 考える  それに沿って生きようとする

 

嘘も 必要なら  どういう必要があるか

 

それに応じて  嘘を 活かそうとするだろう

 

自分が  大事だと思うもののために

 

いいものも 悪いものも  活かそうとする

 

それが  君だから

 

 

そういう君が  僕を  感動させる

 

君には  この世に準じた ルールがある

 

それは準じては いるけれども

 

準じているだけで  時には  ルールを破るルール

 

でもある

 

そうだよね  それは 君のルールで

 

世の中のルールじゃない から

 

いつでも バレた時の覚悟を  抱えながら

 

向き合おう とする

 

ここで 会社を辞めるかも

 

ここで けんか別れかも

 

ここで また孤独になるかも

 

と うまくバレないで  済んでいるのは  なぜか

 

知らない

 

きっちりやろうとして  いい加減さを 学んだり

 

邪険に相対して  相手が信用しているのを  知ったり

 

幾度も  反省させられて  心で 泣いてしまう

 

いい奴 なんかになりたくない

 

悪い奴にも  なりたくない

 

僕は  いい奴じゃなかったり する

 

僕は  悪い奴じゃなかったり する

 

時々は  自分でも 乗り越えるだけで  精一杯なのだから

 

僕が  どう 変ったかは  人のほうが

 

知っているのではないか

 

だから 僕は 自分がどう変わったかを

 

知りたがる

 

自分が どう思われているかは

 

気にしない

 

だから  それが人と 違っているかどうかも

 

気にしない

 

自分が  どうあればいいのかは  わからない

 

それなりに  進んでみて  いつも

 

それは あとから わかる

 

今 わからないものを 気にしても

 

なにもならない

 

苦手な人なら  向き合う必要が あるまで

 

向き合うことはしない  面倒だ

 

その時が来たら  なにも考えずに 向き合う

 

すると  その人は  僕に対する態度を 変える

 

何がそうしたか わからないが   

 

なにかが わかったのだろう

 

それは  僕の知らないことだ

 

そんなことばかりで  付き合いが  できている

 

うまくいかないと思っても

 

いつかは  思ったようになる

 

それが  夢でも かまわないと

 

思っているのだ

 

それが 夢でも

 

それが 自分の希望ではなくても

 

それが 自分の思うよりも  うまい方法、なったことだと

 

いうことなのだ 

 

なるようになる というのは  無責任なことじゃない

 

自分も 気づかない要素が  いろいろと 総合して組み合わさると

 

なるようにしか ならないということなのだ

 

 

君は  しあわせな人だ  

 

それで いいではないか

 

あの人も  よく知らない人だが

 

両手を広げて  パフォーマンスで お茶目さを

 

見せてくれた

 

ありがとう  僕も  なんとなく あなたが好きです

 

挨拶くらいしか 交わしていないけれど

 

それが  お互いに わかるのは不思議です

 

ありがとう

 

 

これも 僕の夢、  なのかもしれない

 

それで いいんでしょう

 

たぶん  気にしなくても ・・

 

勘違いしないで

 

僕に会っても  期待しないで

 

あなたが  好きなのは  僕の思う 僕の夢で

 

今 あなたに  会ったとしたら

 

そこから の話は  そこからです

 

それが 出会いと いうもんでしょう

 

できれば

 

知らずに  出会いたい

 

僕に  自分に  君に

 

あなたに  そう

 

あなたに

 

 

 

 

 

                                          12.29 - 30