行き詰まった時には、「無理やり仮説を立てる」という方法が有効です。

 

保育の現場では、子どもの姿について「どうしてだろう?」「なんでだろう?」と悩むことはよくあります。

大抵の場合、悩みはするけれど、これといった答えが見つからずにどう対応していいのかわからない、となるのですが、そういう時にぼくが実践しているのが、とりあえず仮説を立ててそれに向かって保育を進めてみる、ということです。

 

 

以前、「気になる子への対応〜一人ひとりにあった保育を考える〜」というテーマで、70人ほどの保育士・幼稚園教諭・教師の皆様の前で提案者としてお話をさせていただいたことがあります。

 

その際質問コーナーで、ベテランの保育士の方からぼくに質問をいただきました。内容は、「担任をしているクラスのある男の子が、部屋にある玩具をどんどん押し箱の中に入れて持ち歩いていて、他の子達が遊べず、止めてみてもやめず、その子自身も特に楽しんでいる様子はないのですが、どうしたらいいのでしょうか?」というものでした。ぼくのような若輩にこうして悩みを話してくれるというのは、とても謙虚で素晴らしい保育士の方なのだなと思いました。

 

ぼくは丁重にお礼を述べた後に、上記した仮説を立ててみることをお勧めしました。

「ぼくが今お話を聞いて立てられる仮説は2つあります。一つは部屋にある玩具の遊び方がよくわかっていない状態ということ、もう一つは安心して遊べない環境にあるということです。もし一つ目の仮説に基いて対応を考えるなら、大人が遊び方を見せていくということが思い浮かびます。また、二つ目のことが原因と考えるなら、大人との関係性や、他の子にその子の遊びが邪魔されてしまうことが多くなっていないかなどの環境の見直しが必要だと思います。」

 

概ねこのような内容をお話しさせてもらいました。ぼくはその子のことを知りませんし、ぼくが立てた仮説があっているとも限りませんが、その方は思い当たることがあったようで、大きく頷いた後で「やってみます」と仰っていました。

 

このように、暗中模索の状態から脱するためには、仮説を立ててそれに基いて対応策を考え、実践してみるということが大切なのです。

 

ただし、それをするためには仮説を立てるための引き出しが自分の中にないといけませんし。そのために向上心を持っていかなけらばいけません。

 

普段から子どもの姿を理論的に捉えて、また日々の情報収集やその実践を繰り返していくことで身についていきます。

普段からその場の感情で子どもを見ているだけの人は、これが出来ません。

 

それに、仮説を立てても、それが違っているとわかった時にはすぐに切り替えられる柔軟性も必要です。

自分の意見に執着する人は、これが難しいのです。

 

つまり、より豊かな、有効な仮説を立てられるようになるには、自分の能力を日々高めていこうと努力することが出来る、謙虚で柔軟な人間性が不可欠なのです。