人造人間 キカイダーに思う | Open爽快ルノーメガーヌカブリオレ

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ひねくれコーギーのボンバーとの生活とルノーメガーヌカブリオレ

人造人間キカイダー

これが何故か、大学生や大人まで人気だった。何故かって

使われてたバイクが、カワサキの偉大なる失敗作と言われた名車

500SS マッハスリー 言われ、それが、カッコよくサイドカーに

変形してたからだ。乗り手を選ぶバイクで、凶暴な加速力に

曲がらない、止まらないの三重苦を・・・ナナハンでは、

「きちがいマッハ」の異名をとるほどのバイクだったから

500SS MACH III のサイドカー

これが、異様にカッコよかったんだな・・・



再見  I look again 



500SS MACH III (H1)

再見  I look again 

北米における1966年の A1(サムライ、250 cc)、翌年の A7(アベンジャー (Avenger) 、350 cc)の成功で ZAPPER(Z1/Z900 参照)指向を固めたカワサキは、絶対的な高加速度を持つ高出力車の開発を行い1969年 はじめには対米輸出用の生産を開始した。日本では北米よりやや遅れて1969年 9月より販売された。

発売当時の米国ではまだ過大な燃料 / オイル消費や猛烈な白煙に寛大であり、低廉な車両価格(1,000 ドル以下)と圧倒的な加速性能(カタログスペックでは 0 → 100 メートルで約 4 秒)で販売成績も好調であった。しかし、操縦性においては少ない前輪荷重等が災いし、万人向けとは決して言えないもので、他社種に比べ高い事故率を示すことがメディアで報道されるなど、「乗り手を選ぶ」バイクというイメージが世界各国で定着した。

また、500SSは「市販車での時速200km/h」を達成したオートバイでもある。これは当時としては常識外れの速度だった。従来のタイヤでは500SSのパワーに耐え切れずテスト走行中にトレッド剥離が続発したため、ダンロップ が新しくH規格のナイロンコードタイヤを500SSのために開発したほどであった。

1972年 Z1 発表以降は、最高出力を下げマイルドな方向への性格付けが行われていった。そしてついに、1975年 にKH500と名称変更した1976年 モデルは排気ガス規制および騒音対策のため最高出力が 52 ps と大幅ダウンされ、さらに、DOHC 4気筒 の Z650 が同年発表になった段階において "ZAPPER" としての存在意義が希薄化し、カワサキもそれに抗うことなく1977年モデルをもって製造を終えた。



再見  I look again 
↑こっちは、マッハナナハン


大学時代に、こいつを乗りこなす先輩がいて、とてもかっこよかった

当時、限定解除は、高嶺の花で、なかなか合格しないが、この先輩

センスの良さから、あっさりと合格しちゃって、このマッハを、セパハン

にして、上手にのっていた。ナナハンにしては小柄で小さいマッハは

当時の400ccみたいな大きさだった。

すごい煙と加速はすごく、半端じゃなく、乗り手を選ぶバイクというのも

わかった。


何故か自分の中に、思い出のバイクというか

一番好きなバイクになっている