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世界は確かに、
地球的規模の
自殺をする用意を整えている。
そのことに異論はない。
日を追うごとに確実になっている。
当然あなたは、
それを防ぐために
何かしなければならないと思う。
それはあなたの手に余る。
何をしても自殺を近づかせるだけだ。

何ができるかね? 
権力はあなたの手にはない。
権力はまったく頑固な者の手にあり、
彼らは人類がどうなるかなど
まったく気にしていない。
自分たちのエゴこそ、
彼らの至上の価値、唯一の価値だ。
たとえそれが
自分たちの
破滅を意味するものであっても、
彼らは危険を冒す。
敵だと思えば、
かまわずに破壊する。

・・・
 
私の提案はこうだ。
時間は確かに差し迫っている。
だが、光明を得るには充分だ。
そして、
光明を得るという雰囲気を
世界中に広めるには充分だ。
それが唯一の可能性だ。

もし世界の人びとが――
政治家たちのことではない、
彼らは外しておけばいい、
彼らは力を持っているが、
世界の人びとの同意がなければ
その力はたいした役にはたたない――
もし軍人たちが
「いや、私たちは
 核兵器を使うつもりはない」
と言いさえしたら、
もし科学者たちが
「いや、私たちはもうこれ以上
 核兵器を製造するつもりはない」
と言いさえしたら、
もし世界の知識人全員がひとり残らず
「これは戦争という問題ではない。
 戦争は何千となく見てきた――
 それは破壊的だったが、
 すべての生命を破壊したわけではない。
 これは戦争ではない。
 まさに自殺だ!」
と大声で叫んだら……。
 
だが、この人びと――
科学者、軍人、知識人、詩人、
音楽家、神秘家、画家、俳優たち、
自分たちの個性と創造性以外に
何の力も持っていないが、
大衆に対して
ある種の影響力を持っている人びと――
もし彼らが手をつないだら、
この地球的規模の自殺は避けられる。
自殺が避けられるだけでなく、
すべての生命を破壊する方向に向かっていた
その同じエネルギーで、
この惑星を楽園に変えることができる。

エネルギーは中立だ――
破壊することもできれば、
創造することもできる。
原子力の創造的な使い道があり得るだろうか? 
核兵器の創造的な使い道があり得るだろうか? 
誰ひとり考えたことがない。
破壊的な力がひじょうに大きいなら、
創造の力も同じように大きい。
だからこそ、
私たちは地球的規模の
自殺が避けられるだけでなく、
新しい夜明けを、新しい人間を、
新しい人間性をもたらすことができると、
私は言う。
 
平和を愛し、慈愛に満ち、創造性に富み、
国家、宗教、人種という差別をすべて落とし、
この地球全体をひとつの家族にする
真正な文明が、
おそらく初めて存在し得るかもしれない。
 
宗教、人種、国家という
差別がなくなりさえすれば、
戦争はあり得なくなる。
  
私たちは、
迫りつつある自殺を避けなければならない。
そして私たちは、
戦争そのものが不可能になるように、
世界の構造全体を変えなければならない。
私たちのすべての努力、
私たちのすべてのエネルギー……
その人類のエネルギーの75%は
戦争の道具を作ることに注がれている。
私たちは、
自分たちのエネルギーの
わずか25%で生きているにすぎない。
生きるために、
その75%もまた解放されたら、
貧困はなくなり、病気はなくなる。
命を延ばすことができる。
人びとは 最後の一息まで
若々しく生きることができる。
年をとる必要はない。
 
これはすべて可能だ。
そして、
このための時間は充分ある。
が、
あなた方は完全に
理解しなければならない。
あなたの側からの抗議は、
どんなものであっても役に立たない。
あなたは潰され、
無視されるだけだ……。
平和主義者たちは
何世紀にもわたって存在してきた。
彼らは戦争を
ひとつも避けられなかった。
 
事実、
私は抗議の行進をいくつも見てきたが、
そのたびに不思議に思った…… 
抗議していた人びとは、
みな暴力的だった。
彼らのスローガンは暴力的だった。
彼らのしぐさは暴力的だった。
もし彼らが権力を握っていたら、
自分たちから見て
戦争屋だと思う人びとを、
殺し始めるだろう。
彼らは同じことをやっている。
彼らは平和な人びとではない。
イデオロギーとしては
平和主義者かもしれないが、
平和とは何かを知らない。
 
私は、
私の仲間たちに平和を知ってほしい。
沈黙を知ってほしい。
自分たちの内なる存在の美を、
至福を、愛を知り、 
それを広めてほしい。
が、
広めることは、
宣教といったようなことにはならない――
あなたは誰かを
改宗させるわけではない。
まさにあなたがそこにいること、 
まさに愛に溢れたあなたの目、
平和に満ちた存在――
光明――と共に湧き起こるカリスマ、
光明を得た人が
自分のまわりに放ち始める、
ある異なった波長が、
知らない間に彼らのハートを変える。

それは、
彼らを知的に
納得させるということではない。
そうするための時間は、
確かにまるで足りない。
戦争はあってはならない、
政府はあってはならない、
国家はあってはならないという
偉大な努力がなされたにもかかわらず、
私たちは何世紀かけても
知的には納得しなかった。
偉大な知識人――
バクーニン、ボカーリン、
レオ・トルストイ、
バートランド・ラッセル――
といった人たちが努力してきたが、
目に見える結果は
どこにも何ひとつ生み出されていない。
 
私の理解では、
この人びと自身が
平和な人びとではなかったということだ。
彼らは自分自身の内面性の永遠の悦びを、
自分自身の存在のダンスを何も知らなかった。
自分のまさに中心にある甘露の泉から
味わったことがなかった。
ひとたび自分自身の不死性を味わったら、
あなたは目に見えない炎を放ち始める……。
知的な議論はない。
が、
人びとはあなたの臨在そのものによって、
あなたの香りによって、
あなたの芳香によって、
あなたの愛によって、
途方もない感動を受ける。
 
戦争を相殺するために、
私たちの世界にはもっと多くの愛が必要だ。
 
破壊的な力を相殺するために、
私たちの世界にはもっと多くの創造性が必要だ。
 
盲目の政治家たちを相殺するために、
私たちの世界には
もっと多くの光明を得た人びとが必要だ。
そのためには、まだ時間は充分ある。
光明は一瞬のうちに起こり得るからだ。
時問は必要ない。
必要なのは光明を求める全面的な熱望、
まるで自分の命が
それに懸かっているかのような熱望だけだ。
  
・・・

唯一できるのは、
することを忘れることだ。
在ることを考えるがいい。
  
あなたは、
もっと悦びに溢れることができる、
もっと愛に溢れることができる――
それはあなたの能力の範囲内だ。
ロナルド・レーガンでも
あなたを妨げることはできない。
核兵器でもあなたを妨げることはできない。
この方法を
人びとは一度も考えたことがなかった。
彼らはいつも戦争に抗議しようとしてきた――
彼らに耳を貸す者はひとりもいなかった。
 
私はまったく新しい解決策を提案している。
現状では、
選択肢はこれひとつしかあり得ない。
することを忘れて、
自分の存在へと成長することだ。
そしてあなたの存在の成長は、
他へとうつりやすい。
あなたの生の炎から、
多くの人びとが
火のついていない自分たちの松明に
明かりをつける助けになる。
 
もし私たちが世界中に、
生の、創造性の、
詩の、音楽の、絵の、ダンスの、
愛の美しさを知っている人びとを
擁していたら、
誰ひとり、どんな政治家も、
敢えて人類を
戦争に駆り立てるほどの根性はない。
だから、
戦争に反対するよりは、
相殺する力を創造することだ。
それはあなたの手の内にある。
戦争屋たちが
核兵器を持っているのであれば、
あなた方はそれに匹敵する何か、
あるいはもっと強力な
何かを創造しなければならない。 
そして、光明を得ることは、
言うまでもなく
どんな核兵器よりも強力だ。

 
『旧約聖書』には、ふたつの都市、
ソドムとゴモラの素晴らしい物語がある。
神はこのふたつの都市に
ひじょうに腹を立てていた。
というのも、両方の都市で、
人びとが倒錯したセックスに
ふけっていたからだ。
ソドムでは、人びとは
動物と愛を交わしていた――
「ソドミー」が
獣姦を意味する言葉になったのはそのためだ。
ゴモラでは、
人びとは同性愛者になり、
あらゆる種類の倒錯があった……。
神はついに、
この都市を両方とも
完全に破壊することに決めた。
そして『旧約聖書』では、
神はほんとうに
ソドムとゴモラを破壊している。
 
それは神にふさわしくない行為だ。
が、ユダヤの神は怒る神だ。
それは私たちのマインドが反映したものだ――
神が怒っているかどうかということではない、
神は仮説だ――
自分の望み通りに、
どうにでもすることができる。

その神はユダヤの教典で宣言している。
「私はひじょうに怒りっぽい神だ、
 ひじょうに嫉妬深い。
 もしおまえが私に背いたら、
 決して許さない。
 私はおまえのおじさんなどではない、
 いい人などではない」
  
だが、ユダヤ教には反逆的な流れ、
ハシディック神秘家という、
ひじょうに細い少数派の流れがある。
正統派のユダヤ人たちは、
彼らのことを宗教的だとはまるで認めない。
が、私が理解するところでは、
ユダヤ教の伝統すべての中で、
彼らだけが宗教的な人びとだ。
彼らは踊り、歌い、愛し、
音楽を奏でる人びとだ。
彼らはひじょうに
悦びに溢れた人びとであり、
自分たちの悦びと至福に合わせて
ユダヤ教を解釈した。
 
彼らには我慢できなかった、
神が破壊したなどと いうことは……。
しかも全知全能の神だったら、
彼らを変えることができたはずだ――
全世界を創造できたのであれば、
このふたつの都市と、
人びとの性的倒錯を変えることができて
当然ではないのか? 
神は破壊と死に訴える他はなかったのか? 
神はこのふたつの都市の生みの親でもある。
しかもすべての力を持っているのに……
この全世界は神によって創造されたのに、
このふたつの都市を
何とかして変えることさえできなかったのか?
 
ハシッドたちはその物語を変えた。
その変更はユダヤの教典には出ていないが、
私はそれを愛している。
ユダヤ人たちはその変更を
決して認めないだろう。
が、少なくとも私は認める。
理解できる者には
大きな衝撃となるだろう。
 
物語はこうだ。
神がソドムとゴモラを
破壊することを決めると、
ひとりのハシディック神秘家が
神のもとに行って尋ねた。
「もう決めたのか?」
神は言った。
「はっきりしている。
 私はこの人びとを
 完全に破壊することにした」
ハシディック神秘家は言った。
「ひとつ聞きたいことがある。
 もし、善良で、真に宗教的で、
 目覚めている人びとが200人、
 ひとつの都市に100人ずついるとしても、
 あなたはこのふたつの都市を
 破壊するのか? 
 この200人の人びとも
 彼らと共に破壊されてしまうのだ。
 あなたは、
 倒錯者の面倒は見すぎるほど見ているのに、
 目覚めた者たちにはまるで関心がないようだ」
 
神はそのことを
よく考えてみなければならなかった。
論旨には意味があった。
目覚めた人びと、
スピリチュアルな人びと、
善良な人びとを破壊するなんて、
どうしてできる? 

神は言った。
「もしおまえがこのふたつの都市に、
 目覚めて、光明を得ている人びとが
 200人いることを証明できたら、
 彼らを破壊するのをやめよう。
 どうして破壊することなどできよう」
 
ハシッド――
彼らは素晴らしいユーモア感覚のある、
とても素敵な人びとだ――
そのハシッド神秘家は言った。
「もし 私が200人は証明できずに、
 20人だけだとしたら、
 それでもあなたは、
 このふたつの都市にいる
 20人の光明を得た人びとを
 破壊するつもりかね? 
 数がそれほど問題なのかね? 
 数か、それとも質か、
 あなたはどっちを考えているのか?」
神はこの人と議論するのに
途方に暮れてしまった。
神は言った。
「いいだろう、20人を証明するがいい」
ハシッドは言った。
「証明できるのはふたりだけだとしたら?」
神はもう、
これは質か数かの問題だということに
気づいていた……
光明を得た人がふたりいようと、
200人いようと関係ない。
彼らを破壊することなどできない。
彼らを破壊することは、
基礎全体を、
宗教の基盤全体を破壊することだ。
神は言った。
「わかった、わかった、
 そのふたりを証明するがいい!」
ハシッドは言った。
「ほんとうのことを言うと、
 ひとりしかいない――が、
 彼は一方の都市に6か月、
 もう一方の都市に6か月住んでいる。
 それをどう思うかね?」
彼は200人からひとりに持ってきた。

神は言った。
「おまえの言いたいことはわかった。
 その男を私の前に連れて来るがいい」
彼は言った。
「私がその人だ。
 私がわからないのかね? 
 私を破壊するつもりかね? 
 というのも、
 私はソドムに6か月住み、
 ゴモラに6か月住んでいるからだ」
神は認める他なかった。
「そうであるなら、
 ソドムとゴモラは破壊しないことにしよう」
  
ユダヤ人たちは、
それを認める用意ができていないだろう。
彼らの教典にはないからだ。
が、ハシディックの教えにはある。
私はこの物語を愛している。
というのも、ハシディック神秘家は、
いわゆる神よりもはるかに知性豊かで、
いわゆる神よりもはるかに愛に溢れ、
慈悲深いことが証明されているからだ。
  
神でさえ、
政治家たちの手から
世界を救うことができなかった。
いまやあなた方には、
神秘家たちが必要だ。
愛と平和の、沈黙と悦びの、
歌とダンスの雰囲気を 
世界中に創造できるのは、
神秘家たちだけだ。
彼らは生を
ひじょうに豊かなものにするから、
人びとは戦争のことなど
考えることさえできなくなる。
  
政治家たちは、
自分の軍隊からの、
自分の科学者たちからの、
自分の知識人たちからの、
神秘家たちからの、
詩人たちからの支持も得られず、
ひとり取り残される。
そしてこの全知性に対して、
彼らの核兵器はすべて無力になる。
私たちが必要もないのに
自殺を犯す用意を整え、
私たちがなんらかの意味で
彼らを支持しない限り、
彼らには戦争を起こすことはできない。
私たちの支持が、彼らに力を与えている。
私たちが自分たちの支持を取り下げたら、
彼らの力は消える。
彼らには独自の力はない。
 
リチャード・ニクソンが、
今どんな力を持っているかね? 
もはや大統領ではないとなると、
彼が生きていようと死んでいようと、
何をしていようと誰も気にかけない。
かつては、
ちょっと風邪をひいただけでも
一面を飾るニュースになった。
だがもう、
彼が自分の名前を
もう一度新聞に載せたいと思っても、
自殺するしかない。
が、彼はそれを見ることはできないだろう。
他人が それを読むことになる――。
それも、新聞の第3面の隅に小さく。
もはや大統領ではない、
首相ではない人びとのことを
誰が気にするかね? 
 私たちの支持が彼らに力を与えている。
 
私たちの支持を取り下げる時間は充分ある。
非政治的な人類を創造する時間は充分ある。
しかも、このような時代、それは可能だ。
普通の時だったら、
政治家たちへの協力を取り下げるように
人びとを説得することはできない。
が、今は異常な時であり、
日を追って戦争が迫って来ている。
この瞬間、
人びとは協力しない方を
ごく簡単に選ぶことができる。
協力とはまさに、
自殺することだからだ。
 
だからひとつには、 
人びとがもっと
悦びにあふれて生きるようにすること。
自殺を求める無意識な欲望すら、
彼らの存在から消えてしまうほどに。
ふたつには、力は自分たちの手にあり、
たとえ戦争が起こって
地球から生命が失われたとしても、
その責任は政治家たちにあるのではなく
自分たちにあることを、
人びとに気づかせることだ。
政治家たちは操り人形にすぎない。
私たちが彼らに力を与えると、
操り人形たちが主人のように振る舞い始める。
その力を取り下げると、
彼らのサイズは
小さく、小さく、小さくなってゆき、
消えてしまう。
彼らに独自の力はない。
それは彼らに与えられた、あなたの力だ。
 
支持を取り下げるための時間は充分ある。
そして、これは大いなる挑戦だ。
冒険に満ちた時だ。
世界が自殺に直面している時こそ、
世界を納得させられるかもしれない――
知的にではなく、
成長しているあなたのハート、
あなたの愛によって――
古い世界は死に、
新しい世界が新しい価値と共に誕生するように。
 
私たちは二度とこういう機会を
手にすることはないだろう。
過去に、こういう機会は一度もなかった。
これを見逃してはならない。
  
ことはひじょうに単純だ。
しかし、
あなたは自分から始めなければならない。
何かしなければならないのではなく、
あなたが何ものかであらねばならないと、
私は言っている。
力、カリスマ、磁石、
それが人びとのハートをあなたに引きつける。
知らない間に人びとが
影響を受け始めてしまうような、
詩、歌。踊り方を忘れてしまった人びとが、
突然、足にエネルギーが湧いてくるのを
感じるような、ダンス。
人びとは踊っているあなたに加わりたくなる。
 
だから私たちが、
政治家たちや彼らの核兵器に
反対してもはじまらない。
私たちは相殺する力を
創造しなければならない――
より強力な力を。
そして人びとがひとたび生を味わったら――
彼らはそれを完全に忘れているのだが――
自分たちの支持をおのずと取り下げる。
それはすでに起こり始めている。
 
ベトナム戦争では、
 30%の兵士たちが武器を使わなかった。
アメリカ政府は、
どうすればよいのか途方に暮れた。
将軍たちはわけがわからなかった。
そんなことは
一度も起こった ことがなかったからだ。
兵士は殺すために戦争に行く。
が、ベトナムでは、
ひじょうにはっきりしていた――
アメリカは、とにかく
馬鹿げたことをしていた―― 
アメリカに対して
何もしていない哀れな人びとを
破壊していたのだ。
そして、出兵したのが
若い世代だったために、
彼らはその無益さを見ることができた。
なぜ 彼らが殺されなければないのか? 
畑や果樹園で働いている哀れな人びと、
小さな子どもたち、女性たち――
なぜ彼らが殺されなければならないのか? 
 彼らは戦っていない。
彼らはアメリカにとって危険ではない。
 
兵士たちの30%は、
銃に弾丸を装塡して毎日戦線に出て行っても、
夕方になると
銃をまったく使わずに戻って来た。
この30%が道を示した。
もしそれが30%に起こり得るのであれば、
100%にだって起こらないはずはないだろう? 
 それにベトナム戦争は、
すべての生命を
破壊するようなものではなかった。
 
兵士たちは気づかされるべきだ。
実際には世界中の雰囲気全体が、
政治家たちは気が狂っていて
彼らへの支持は
もう誰からも必要ではない、
というすべての人に対する警告になる。
ちょっとそのことを考えてごらん。
両方の軍隊がただ行進して、
敵の軍隊と出会い、
いっしょに素晴らしいダンスを踊って、
幸せに家に帰ったら――
両方とも幸せに家に帰ったら――
政治家たちに何ができるかね? 
兵士ひとりだったら
軍法会議にかけることもできるだろうが、
兵士全員を
軍法会議にかけることはできない。
それに、
誰が兵士たちを
軍法会議にかけようというのか? 
将軍たちも
そのダンスに加わっているかもしれないのだ。
 
大いなる冒険の瞬間が、
私たちに近づきつつある。
何も恐れることはない。
それを防ごうとしても、
あなたは何もできない。
が、あなたの存在そのものが
防止となるような
在り方をすることはできる。

Osho - The New Dawn, #4