そして真のグルメはいなくなる!~食事・料理・味覚・サービスが変わった? | イイケン先生かく語りき

そして真のグルメはいなくなる!~食事・料理・味覚・サービスが変わった?

ここは明らかに青森なのだが、郊外の風景はいつも見ているそれと、殆んど代わり映えしない。
それは東北であろうと、関西や九州であろうと、どこも見覚えのある看板が溢(あふ)れている。
昔は「ついに青森に来たなぁ…」と、
なぜか、ホッとする第一印象が、街の姿の「風景」だったような気がする。

その傾向が、恐らく全国的に蔓延している。
そうしてみると、全国チェーンの飲食店、洋服屋やスーパーの凄さが身にしみる思いである。
ということはつまり、どこへ行っても同じということか…、
地方しかない、個性豊かなお店を見つけることは、宝探しになってしまったかもしれない。

郊外レストランだらけになったオールジャパン、その結果、昔と何が、どう変わっただろうか。
コスト低減をモットーとするセントラルキッチンシステムは、食事の値段を下げてくれた。
なるほど、食えないほど不味(まず)いものがなくなった。
スパゲッティ、ミックスフライ、ハンバーグ、カレー等、
いわゆるファミリーレストランの定番料理が国民食となった。
看板は違うけど、食べてみると味の差はそれほどない。
そりゃそうだ。作り方が殆んど一緒。結果、日本人の味覚の標準化が進んだ。

○○屋さんという、食事の専門店がなくなった。
カウンターのある寿司屋がなくなった変わりに、寿司がグルグル回るお店が、子供達の常識になりつつある。寿司屋の大将と「寿司ネタ薀蓄(うんちく)ごっこ」ができなくなった。
専門的な日本料理店がなくなったから、日本人が和食を当たり前に食べられなくなった。
食べ方やしきたり・作法、旬の概念…、つまり文化だった「食事」が消えつつある。

サービスがマニュアル中心の画一的になった。
そのサービスに、国民が慣れきってしまったことを、実は大いに心配している。
おもてなしや気配り、気遣いとは…、そんな話を聞いたことはあるが、体験することは滅多にない。
その道一筋で培(つちか)った店員や職人がいないから、何を聞いても答えが返ってこない。
商品知識は殆んどないだろう、飲食店のスタッフ達。
商品やサービスについてのプライドと責任は、一体誰にあるんだろう?

「食文化」を守ろうと日夜頑張っている旅館の板長。
お客様の喜ぶ笑顔を思い浮かべながら、精魂込めて作ったお料理。
この板長の心と味が、何人のお客様に伝わるのだろうか。
一日の始まりの朝食、どんな世界の料理より、栄養とバランスを配慮した和食の朝食。
食べる人の、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、作ったお料理だ。
なるほど今は、旅館でもバイキング。
適当に何でも、お好きなものを、好きなだけお召し上がり下さいとは、一体誰のための料理なのだろう。でもこのバイキング、結構、昨今のお客様に好評と聞く。
労(いたわ)る思い遣りと、それを受ける歓びと感動が、「食事」というフィードルからなくなった。

「食事」に関する常識、「料理」にまつわる文化性、「味覚」の価値観等々…
大きく変わったのはここ20年ぐらいだろうか? そんな昔ではないはずである。
こんな中で、今後、真のグルメが醸成できるのだろうか、疑問になってくる。
いやはや、食いしん坊のお節介だった。

なるほど今は、旅館でもバイキング。
適当に何でも、お好きなものを、好きなだけお召し上がり下さいとは、一体誰のための料理なのだろう。でもこのバイキング、結構、昨今のお客様に好評と聞く。
労(いたわ)る思い遣りと、それを受ける歓びと感動が、「食事」というフィードルからなくなった。

「食事」に関する常識、「料理」にまつわる文化性、「味覚」の価値観等々…
大きく変わったのはここ20年ぐらいだろうか? そんな昔ではないはずである。
こんな中で、今後、真のグルメが醸成できるのだろうか、疑問になってくる。
いやはや、食いしん坊のお節介だった。


飯島賢二の 『恐縮ですが…一言コラム』
第381回 そして真のグルメはいなくなる!~食事・料理・味覚・サービスが変わった?

2010.9.5