わたしのみてきた看護師たちの多くも



がん=死 とイコールでみているものが多かった。



励まし、支えの態度を見せながらも

その感情が滲み出ており、

実は目の前の人の生きる力をその人らしさや力を奪いがちになっている。




今生きている今こそが、誰もが

生と死とが隣り合わせであり

感謝の時間であるのに、

いつしか職業病の思い込みの感情で

不安を抱く目の前の人の生き方に土足で踏み込み

負のループに巻き込む。





その想像に包まれた目の前の人も

不安で気持ちが弱っている時程同じような感じ方になってしまうのだと思っている。

 

  



最近では、「がんはこわくない」

という言葉を良く耳にする。




告知されてからしばらく経たないうちに



わたしもそう感じるようになった。


  



不安や恐怖を

作っていたのは

自分。




目と耳で聞いたり見たりした物の影響。







そして、


最近では、

病院には新鮮な

空気が入らない。

 


空調管理をされているわけだが、



きっと、多くの負の感情が

溢れている。




感情がどれだけ目の前の人への影響があるのか。



それはお互いに影響がある。



良い感情も。

負の感情も。



目の前の人の

本当の全体像など把握できていないのに、



ありきたりな言葉を並べ


立場や経験年数等で

人の気持ちを解った気でいる。




目の前の人の

何を支えたいのか?




それは誰のため?




支える姿勢でいたい自分自身の欲求の為?




業務の評価のため?




キャリアのため?




そんなジレンマの多い現場を思い出す。

 



そう、看護師だった頃の自分に言いたい。





どちらの立場にもなったことで

小さな世界の

偏った思考を知った。





病院を離れて思う事。




負の感情を持ったまま

ポジティブを演じても何の支えにもならない。




感情は病をつくる。



あの日、病になったからこそ理解できる。



見極めること。



自分の人生は自分で見極めること。



自分の考え方に気づくこと。



病には沢山気づくことがある。 



自分をまず支える事。



残酷なポジティブさで人の力を奪わない事。



人の回復力を信じる事。



今、安心する場所にいる事。



ー病は回復の過程であるー



フローレンス ナイチンゲール より。



その回復とは、肉体なのか精神なのか

魂なのかはわからない。



奇跡的な回復を遂げた人たちをみて、



それは



魂の回復なのかもしれないとも思っている。