2023年はじめ、

わたしは「がん」の告知をうけた。



「治療しないと死にますよ。」



動揺を整理できないままはじめた治療。



検査、治療、痛み痺れ等の副作用、



2回目のケモ(化学療法)は外来治療だった。



外来のベッドで、バサっと髪が抜けた。



その後すぐに腹痛が出現し、

何日も何日も続いた。


夜中に湯たんぽ、マッサージ、


それは1回目の副作用と同じだった。


1回目の治療から続く、手足の痺れ

背中、大腿部の筋肉の痙攣。

骨の痛み。

 



体から排泄ができない。

からだが冷えている。




血圧は70台から80台。

SpO2も95% 



息苦しい。

好中球も200を切ってきた。



もともと、無症状だったからだは

悲鳴をあげていた。



弱虫でもなんでもいい。



からだが 

違う!って言ってる。

 


「もう、耐えられない…。」病院に泣きながら電話をした。



自分のからだと向き合う中

治療を途中で終了することを決断した。




意外なことに母はすぐに受け入れてくれた。


やっぱり母は凄い人だった。





髪の毛はほぼ抜けたし、CVポートも入れて

傷だらけ。




最後まで治療したらいいのに。治療するべき。

という声もどこかから聞こえてくる。



看護師さんも、あなたが私の妹なら治療を勧めるわ。と心配そうに伝えてくる。



3回目のケモ(化学療法)の予定日は、誕生日だった。



誕生日に治療⁈


とんでもない!

急にそんな思いが込み上げてきて、

その日に一度、

治療をやめたい意思を主治医へ伝えた。



終了を決めた理由は、



副作用対策は行っていたが、わたしは、

副作用に耐えられるからだではなかった。


筋肉の痙攣、イレウスになりかかり

他にも、、、

このままでは、副作用に耐え得ないことをからだが教えてくれた。



こころに大切な「腸」が耐えられなかった。

  


もともとわたしは腸が弱かった。

これ以上耐えられなかった。




延期の許可がでたが、また次週同じ気持ちを伝えた。



そしてまた次週も。


ここがタイムリミットだった。



「途中でやめる」こと。

その大きな決断には説明する力が必要になる。



副作用でボロボロの体力で、この精神力を保つのはわたしにとってはとてもエネルギーのいる行動だった。



こころがからだが

訴えてくる。

はじめて自分を守りたかった。



今まで苦しめてさらに苦しめて

ごめんね。自分。



心配してくれていた友人2人にも伝えた。

ひとりの友人はご主人が

がんで多くの治療をせずに寛解している。

なのですぐに理解してくれた。



医療従事者として、

標準治療を提供する側の気持ち責任も理解しているからこそ、



だから、正面から主治医とサポートする看護師の方々に丁寧に説明した。



何度も丁寧に繰り返した。



分子標的薬の話もあった。



自分のからだが強く訴えてきた。



「生きるとは?」「自分らしさ」「自然に」



たくさん言葉がある中、このワードが自分の

からだを埋め尽くした。

わたしが大切にしてきたワード。



途中の終了に対して


受け入れていただけたその矢先に




なんと、余命宣告!




そうくるよね。と、内心思いながら、




繰り返される問いかけに、

私は、抗がん剤治療を断った。




医師「残念です。」




看護師「動揺しています。」



そう医師と看護師に伝えられたが、



私「わたしがんはこわくないんです。


治療をする前も、治療中もずっと、

からだと向き合う中、

どう生きたいか。

自分にもっと向き合って生きたいと思うようになりました。



本当に今までありがとうございました。」



安心な場所に帰ろう。


そう自分に声をかけた。



そして安心の涙が出た。



桜の花がまだ残っていた日。気持ちいい風が


「新たな出発」を後押ししてくれるみたいだった。


がんになったのは自分の責任。自分の何かを変えていく必要があるから。




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