1950年 、伊藤整が翻訳 したD・H・ローレンス の『チャタレイ夫人の恋人 』がわいせつ 文書に当るとして警視庁の摘発を受けた。その際発行人の小山書店代表のみならず、翻訳者の伊藤整も起訴された。裁判 では芸術 性の高い文学作品 を猥褻文書とすることの是非、翻訳者を罪に問うことの是非などが争われたが、1957年 、最高裁は伊藤、発行人共に有罪とした。著者の『裁判』(上・下、新版晶文社 )は、当事者の立場から、文学裁判を膨大かつ詳細な記録で問題提起した、ノンフィクションにして代表作のひとつである。

尚、件の翻訳は1964年 に、戦後には珍しい伏字 を使って出版された。同訳での他の文学全集もそれに拠っている。なお完訳は1973年に、講談社文庫 から羽矢謙一 訳が刊行したが、世間的には知られず訳文の拙さもあり絶版となった。1996年 に次男の伊藤礼 が、新潮文庫で削除部分を補った完訳版を、出版時に多くのマスメディアが取り上げ多数重版している。

私たち一人一人の自覚それを信じて今年もまた、何とか考えつづけたい。伊藤整「得能五郎の生活と意見」一九四〇年の現実を生きる 伊藤 整(いとう せい、男性、1905年 1月16日 - 1969年 11月15日 )は、日本評論家詩人小説家 である。位階正五位勲等勲三等 。本名は(ひとし)。日本芸術院 会員。

北海道 松前郡小学校 教員の父の下に12兄弟の長男として生まれた。1906年 に塩谷村(のち小樽市 塩谷町)へ移住。

旧制小樽中学(北海道小樽潮陵高等学校 の前身)を経て小樽高等商業学校小樽商科大学 の前身)卒業 後、旧制小樽中学の英語教師に就任。宿直室 に泊まり込んで下宿代を浮かせたり、夜間学校の教師の副職をするなどして、1300円の貯金を蓄え、2年後に教師を退職し上京する。

1927年旧制東京商科大学一橋大学 の前身)本科 入学内藤濯 教授のゼミナールに所属し、フランス文学 を学ぶ。また北川冬彦 の紹介で入った下宿屋 にいた梶井基次郎三好達治瀬沼茂樹 らと知り合い親交を結ぶ。

その後大学を中退 し、1932年金星堂 編集部入社。

1935年から1944年まで日本大学 芸術科講師 、1944年から1945年新潮社 文化企画部長、1944年旧制光星中学校(現札幌光星高等学校 )英語科教師、1945年から1946年帝国産金 株式会社落部 工場勤務、1946年北海道帝国大学 予科 講師、1948年日本文芸家協会 理事 、1949年から1950年早稲田大学 第一文学部講師、1949年東京工業大学 専任講師(英語 )、1958年東京工業大学教授 昇格、1960年から1961年コロンビア大学 及びミシガン大学 で講義、1962年日本ペンクラブ 副会長、1963年『日本文壇史』により菊池寛賞 受賞、日本近代文学館 理事、1965年日本近代文学館理事長、1964年東工大を退職、1967年日本芸術院賞 受賞、1968年日本芸術院 会員。1970年、没後『変容』により日本文学大賞 受賞。チャタレイ裁判 で有罪となったことはその社会的地位にほとんど影響しなかった。

1953年に「婦人公論」に戯文エッセイを連載し、翌年『女性に関する十二章』として一冊に纏めたところベストセラーとなり、「○○に関する十二章」という書物の出版が相次ぐなど「十二章ブーム」を巻き起こした。同名の映画(市川崑 監督)に本人もナレーション・端役で出演、同年には評論『文学と人間』[1] や小説『火の鳥』もベストセラーとなるなど、一躍時の人となり、チャタレイ裁判 (後述)とともに、伊藤の名を広く知らしめることになった。

1969年11月15日、胃癌のため死去。叙正五位 、叙勲三等瑞宝章 。1952年から連載していた『日本文壇史』は瀬沼茂樹 に引き継がれ、1976年に完結した(単行本は1953年から78年にかけて全24巻。伊藤分は18巻まで)。

1972年から74年にかけて新潮社 から『伊藤整全集』(全24巻)が刊行された。生前にも河出書房 から全14巻が出ている。

伊藤滋 (都市工学、東京大学名誉教授、早稲田大学教授、元慶應義塾大学教授)は長男。伊藤礼 (エッセイスト、英文学者、元日本大学芸術学部 教授)は次男。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

<自分を愛する>とはどういうことか。
<自分>がたとえどんな劣弱であり、醜悪であっても<自分>は<自分>を愛する。そのことを詩人は書いているのではないか。
そうしてはじめて、そこから、他人を<愛する>ことがはじまるのだろう。
劣弱であり、醜悪であり、邪悪であるものをさえ愛するのが<愛>ではないか。

<自分を愛する>ことが美しいもの、世界に働きかけるものとしての<自分>への愛であり、向上への呼びかけとして読むのが、無着氏であり、生徒たちだ。
しかし、啄木が<自らを愛する歌>で歌ったのは、劣弱な自己であり、醜悪な自己であった。<劣弱>で<醜悪>で<邪悪>でさえある自己を愛することを知って、はじめて新しい世界が開けるのではないか。

こういう理解がひろがったのも最近のことだ。
寒さも少しずつゆるんで来るように思います。
季節の移り行きについても、この頃になってようやくしみじみと感じることができるようになったような気がする。
それは、芥川の言う<末期の目>というものであろうか。

インフルエンザの流行が伝えられます。
お体をお大事にお過ごしください。
 <パンドラの匣>は開かれた。◆◇聖書の言葉◆◇《ルカによる福音書》
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ルカ 6:41 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつか ないのですか。→(E)

ルカ 6:42自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。→(E)