今年のキノコ観察は終了したので、代わりに松山市を流れる石手川の散策をしました。石手川は元々湯山川と呼ばれており、しばしば洪水が起こる暴れ川でした。戦国時代から江戸時代初期かけて過度の森林伐採が行われ、森林率が30%まで低下したため森林の保水力も下り、洪水が起こり易くなっていました(現在の森林率は67%)。戦国大名には戦争の強さだけでなく、治水能力が求められました。1595年に松山入りした加藤嘉明は重臣の足立重信に暴れ川の湯山川の改修を命じました。足立は湯山川上流の岩堰で岩盤掘削を行なって別の流路を作り、松山の町の中を流れていた川を郊外を通る川に変えました。町の中の流れの痕跡は中の川通りに残っています。郊外の川は伊予川と合流させて改修工事は終了しました。この工事により水害が激減したため、足立重信の功績を称え、伊予川は重信川に改名されました。石手川の命名についてはわかりません。


岩堰(右か石手川、左は中の川)


60年くらい前までは下の写真の場所は清流で遊泳が可能だったそうですが、1972年に石手川ダムが完成すると一気に水質が悪化し、泳げなくなりました。ダム完成以前はオイカワ、ウナギやモクズガニ等が生息していましたが、今はあまり見なくなりました。


岩堰近くの石手川

約40年前まで石手川の河川敷には違法に居住する人々のバラックが立ち並んでいましたが、現在は撤去され、公園になっています。

河川敷の様子

現時点の松山は水不足の警報が出る程ではありませんが、ダムの貯水率が低下しています。ダムの放流量が低く抑えられているようなので、川の水量が少なくなっています。

石手川の流れ

昭和30年代、石手川の支流には6月になるとホタルが大量に発生しました。下の場所ではおそらく数千匹のヘイケボタルが舞っており、竹ボウキを使ったホタル狩を楽しみました。数千匹のホタルが舞うと甘いホタルの香り(フェロモン?)が漂ってきました。昔と比べると場所がかなり荒れていますが、ゲンジホタルが放されてれているので、季節になるとホタルを数は少ないですが、見ることはできます。昭和30年代に見たような数千匹のホタルは楽しむには時間がかかりそうです。

石手川の支流

次に「坂の上の雲」に出てきた「お囲い池」の跡地見にいきました。「お囲い池」は現存していないので、ドラマでは会津の日新館の池が使われてました。