≪この記事は gooブログ内『長岡京エイリアン』にて2010年10月29日に投稿したものの再掲です≫

 こんにちは~、そうだいです。なーんだか今日も、雨こそ降ってはいないんですが風の強い寒々しい空気に包まれております。台風14号が来てるんだって(当時)?
 

 私の町では、近くにある大学で来週の月曜日から大学祭があるということで、なんとなくその準備でざわざわした雰囲気になっています。私も、大学時代には大学祭でいろんなことをやったなぁ……今にもましてバカだったねぇ。

 

 さて、前回までやっていた『新世紀エヴァンゲリオン』の第5使徒ラミエル検証だったのですが、それ自体は終わったものの、まだちょっと言い足りないことがある!
 

 1995年から翌96年にかけて半年間放映されたTVアニメシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』と、その完結編に当たる1997年公開の2本の映画。私が大好きな「使徒」のみなさんが続々と登場する物語は、これらの作品をもって終結しました。
 ところが、そんな原典の衝撃から10年の月日がたった2007年。突如としてエヴァンゲリオンシリーズの生みの親である庵野秀明監督おんみずからの手による新作映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序』が公開! そして2009年には新作第2弾『新劇場版・破』が続いたわけなんです。


 『序』が公開されると聞いた時には、私はそりゃまぁビックラこきました。
 

「え! 庵野監督がまたエヴァ作るの? ほんと~? ウソじゃないの?」


 これは、旧シリーズの完結編にあたる劇場版第2作『THE END OF EVANGELION』を観た人なら誰もがそう思ったことでしょう。そこには、エヴァンゲリオンとは一切「訣別する」という庵野監督本人の強い意志が映し出されていました。


 そんな庵野監督が、21世紀になってから改めてエヴァンゲリオンを手がける! いったいどんな新作なんだ?


 事前情報でもささやかれていたように、満を持して公開された『新劇場版・序』は、全26話あるTVシリーズのうちの第1~6話にあたる部分をリメイクした内容となっていました。つまりは、今まで検証したサキエルシャムシエル・ラミエルの登場する部分です。もちろん、クライマックスはヤシマ作戦!

 つうことは要するに、アニメ映画の長年の伝統でもある「TV版を多少豪華にした総集編」みたいなもんかと、私もたかをくくってしまったんですが、実際に観たらまぁ~感動しましたね!
 

 物語の後半にさしかかるまでは、潤沢な予算と最新CG技術の投入された「絵のキレイさ」には感心しましたが、やはり想像の範囲内という印象でのんびり観ていました。サキエルにあたる「第4の使徒」の活躍もだいたいおんなじだったし、シャムシエルにあたる「第5の使徒」も胸の触手のワシャワシャ感アップくらいの進化にとどまっていました。


 ところが! ところが後半! ラミエルと同じ形状の「第6の使徒」が登場してエヴァンゲリオン初号機に1発目の加粒子砲をブッ放した時に、私は思わず映画館の椅子から腰を浮かしてしまいました。
 

 フルCG大活躍! ただの正8面体だったはずの形状がガッチャンガッチャン変形する変形する! 口で表現できないのがもどかしいんですが、加粒子砲を撃つたんびに4次元変化としか言いようのないカタチに変わるスタイルは最期までつらぬかれ、おかげで私はず~っと空気イス状態でスクリーンに魅入ってしまっていました。それでこそ21世紀リメイク版! よくやった「第6の使徒」。最後はやっぱり死んじゃったけど、アンタはエラい!!


 まぁそんなゴージャス感満載の「第6の使徒」によるハチャメチャアクションだったわけなんですが、結果、同じブルーの正8面体ではあるものの、ラミエルと「第6の使徒」には、見た目の質感の点で大きな違いが発生することとなりました。


 ラミエルはずっと正8面体のまんま、死亡後も遺体に変化は見られません。もう1つの特徴であるドリルシールドも、削った土をどけるような機能のついた、人類が見ても「ドリル?」と理解できる形をしていました。つまり、ラミエルはそういう形状をした「機械兵器」ともとれる使徒だったんですね。
 

 ところが、「第6の使徒」はもう、瞬間瞬間でバラバラになるはでっかいウニみたいなトゲトゲになるは。ドリルも身体の下の部分がへにょ~んと伸びて不思議な光を発しながら掘り進んでいくというもの。しまいには死亡後、ドリルもふくめた身体ぜんぶが赤い血のような液体に変わって、掘削で開いた天上の穴からジオフロントのネルフ本部にザバザバ降り注ぐというスプラッタなおまけつき。つまり『序』の「第6の使徒」は、どんな形状がほんとの正体なのかまったくつかめない変幻自在な「何か」だったということで、結局ラミエルとはまったく違う印象になっていたんです。
 

 そして、ここで見逃してならないのが、ラミエルにはなかった特性を「第6の使徒」が持っていたことなのです。それこそがダミーコア(デコイ)でした!

 ダミーコア。要するに偽のコア。『序』のヤシマ作戦でネルフは、TVシリーズと違ってふんだんにおとりのミサイル砲撃を雨あられと使徒に撃ち込み、スキができたところをねらって初号機によるポジトロンスナイパーライフルの第1射をはなち、見事に使徒の中心にあった赤い球体「コア」らしきものを撃ち抜きます。(TV版では、第1射は同時に放ったラミエルの加粒子砲と相撃ちになってはずれる。)くだけるコア、動きをピタッと止める使徒。だがしかし崩壊するはことなく、すかさず体勢をとりなおして再び加粒子砲を撃って反撃します。そしてその中心には、何事もなかったかのように本物のコアが!
 

 ただツメが甘いことに、「第6の使徒」のダミーコアは1コしかなかったらしく、ポジトロン砲の第2射によってまたコアを撃ち抜かれた使徒は、今度こそおっ死んでしまいます。ちょっと死ぬまでの時間がのびただけかい……


 ともあれ、ラミエルにはなかったダミーコアという進化をとげていた「第6の使徒」。TV版の時点で前の2体の失敗からの学習をにおわせる改良はあったのですが、さらにそれに「敵は弱点のコアを狙ってくるから気をつけろ!」というポイントがついてきていたのです! すごいや使徒、日々成長だぜ!

 さて、今回のラミエルもしくは「第6の使徒」の活躍によって、使徒に関する新たな情報がわかってきました。その事実とは……


すなはち、使徒はボ~ンヤリとしか自分たちの狙う目標の位置をつかんでいない!


 何回も言ってきたことですが、使徒はどうやら、第3新東京市の地下にあるネルフ本部を狙っていて、ネタばらしをすると、その目的地はネルフ本部のさらに地下7キロに位置する「ターミナルドグマ」という場所です。
 

 地下に目をやる余裕もないまま天に召されたシャムシエルは問題外として、サキエルはビームで地下に穴をあけて行こうとし、ラミエルはドリルシールドで地下を目指しました。
 

 ところが! 使徒の行きたい場所は1~2キロ下にあるジオフロントにはありませんでした。もしそれをラミエルが分かっていたのならば、手っ取り早く加粒子砲で地面から400メートルある特殊装甲板を吹っ飛ばしてさっさとジオフロントに降りてきて、そこからドリル掘削を始めていけば良い話だったんです。
 つまり、ラミエルまでの使徒は、第3新東京市の地下に探している「モノ」があることは知っているんですが、それがどのくらい下にあるのか、さらには地下の構造がどんな感じになっているのかをまったく把握していなかったということになります。まさにこれ、さぐりさぐり!


 いろいろな点から、ある使徒の時にでた反省点が次の使徒で改善されていることが多い以上、ラミエルがつかんだ「第3新東京市の地下には空間がある!」という情報は、必ずや次なる使徒に受け継がれていくはずなのです。ラミエルの死もムダじゃあなかったんだ!

 ラミエルと「第6の使徒」に関する話はここまでにしておいて、TVシリーズと『新劇場版』シリーズとの関係は、『序』までは原作とリメイクという感じだったんですが、みなさんもご存じの通りにそのあと『破』が公開されたあたりから、


「あ、あれ……だいぶ話の流れが違うぞ?」
 

 という感じになってきました。デザインの細かい点からキャラクター造形などの大きな点まで、ちょっと同じ時間軸上の作品とはいいがたい展開です。
 ここにきて、TV版と『新劇場版』の関係って、実は×××××んじゃないの? などといろんな憶測が流れているんですが……答えはまぁ、いつか公開される新作続編『Q』を待つことにしましょ!

 ただ、だいたいはTVシリーズに沿った内容の『序』だったんですが、気になる変更点はやっぱりチラホラありました。
 前回にも言ったかと思うんですが、TVシリーズ版では、使徒が狙っているものがなんなのかということを知っている人間はごく上層部の数人をのぞいてほとんどいません。ネルフ本部でエヴァンゲリオン作戦の指揮をとっている幹部さえ知らない状況だったんですから。ネルフに勤務する職員のみなさんの多くは、


「使徒がネルフ本部に到達したら、なんかわかんないけど人類滅亡するらしいよ。」


 といった程度の情報しか持っていません。使徒が狙うものの正体とは? この辺のサスペンスも、TVシリーズの重要な謎の1つとなっていました。

 でも、『序』はここが違う! 最初っから、使徒が狙っているものがネルフ本部の地下7キロの最深部で封印されている「第2の使徒リリス」であるということが明らかになっています。どのくらいの人までに公開されている情報なのかははっきりしていないのですが、少なくとも、TV版では最後までその事実を知らされることのなかった作戦指揮官(28歳独身女性 「エヴァー」の人)は知っているし、初号機パイロットも早々にこの秘密を教えられます。第2の使徒リリス……全身真っ白だし、仮面はかぶってるし、下半身はないし、胸に深々となんか槍みたいなものは刺さってるし。なんなんだこいつは!?

 TV版と『序』との違いで大きなものはこれなんですが、あと小さなものとしては、ネルフの作戦指揮官がエラくなっています。
 TVシリーズでは一尉(大尉)から三佐(少佐)に昇進しているんですが、『新劇場版』では二佐(中佐)から一佐(大佐)に昇進しています。この違いはいったい……? 少なくとも、生活環境などに見た目の違いはありません。

 いやぁ、謎が謎よぶエヴァンゲリオン!
 まぁ、物語自体のサスペンスはおいといて、わたくしそうだいは使徒のみなさんを全力で応援します!! さぁ、お次の使徒はどんなかな~? また次回!

 

 ハイどうもみなさんこんばんは! そうだいでございます~。

 

 さぁ、今年のゴールデンウィークも本格始動してまいりました。みなさんはどんな過ごし方をしておられますか?

 今年、ちょっと短い感じしません!? それは単に私が昨日、土曜出勤だったからだけなのかも知れませんが。

 

 でも、私も40代になりまして歳を重ねてきたせいなのか、なんか連休ってそんなにいらないような気がしてきました。仕事にせっつかれないで気楽に一日暮らすのも、けっこう自由すぎてしんどいような。うん、私は2・3日まるまる休みだったら、それ以上はいらんかも知れん! 人生もたぶん後半になってきましたし、いよいよ省エネモードになってきたんですなぁ。

 いやホント、昔大学生だった時、夏休みなんか2ヶ月あったんだぜ!? 信じられない……一体なにして過ごしてたの?って……そりゃ遊んだり免許取ったりしてたんだよねぇ。若者よ、時間は大切に使おう!

 

 

 さて、そんなこんなで、先月に東京に行ったついでにほっつき歩きまくったお城探訪の記録も、いよいよ今回5つ目のお城でおしまいでございます。すいぶんと長く続けちゃったね……

 

 今回は全体のまとめもやっちゃいたいので、さっさといきましょ。

 

 

≪資料編≫

①武蔵国 滝野川城とは

 滝野川城(たきのがわじょう)は、武蔵国(現・東京都北区滝野川三丁目)に存在した崖端城型平山城。城跡は、現在は真言宗豊山派の寺院である瀧河山金剛寺となっている。

 

 室町時代初期に、豊島家当主の豊島重信の子・重中が足立郡宮城の土地を与えられて宮城八郎重中と名乗り居館を築いた(現・足立区宮城一丁目 宮城氷川神社と宮城公園がある一帯)。この宮城重中の次男・信久がさらに滝野川の土地を支配して滝野川大夫五郎信久と名乗り、蛇行する音無川(石神井川の下流)に西・北・東の三方を囲まれた舌状台地の突端に居館を築いたのが滝野川城のはじまりとされる。武蔵野台地と荒川低地との接点を抑える要衝となっていた。

 滝野川家は五代続き、室町時代後期の文明年間(1469~86年)前半には滝野川長門守豊明が城主となっていたが、文明九(1477)年に、主家である豊島勘解由左衛門尉泰経(当時の居城は武蔵国石神井城もしくは平塚城)が太田道灌によって滅ぼされた際に滝野川城や飛鳥山城も落城した。この際に滝野川家も滅亡したとされているが、その後の史料である『北条家所領役帳』に、武蔵国稲付城主・太田新六郎康資の配下として「滝之川源三郎」という人物の名がみえるため、その時期までは地方領主として存続していた可能性もある。

 

 新人物往来社が1980年に発行した『日本城郭大系』によると、金剛寺本堂の西側に堀跡があったとされるが現在は遺構は残っておらず、城に関する解説板も無い。

 

 14世紀に成立した軍記物語『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』によると、治承四(1180)年九月に安房国で再挙兵した源頼朝が鎌倉を目指して隅田川を渡り、翌十月に「武蔵国豊島の上滝野川、松橋という所に陣を取る」と記され、この滝野川の松橋が、現在の金剛寺一帯を表すことから、この地に陣を張り、松橋弁財天に祈願したと伝えられている。また江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、源頼朝が太刀一振を奉納したとも記載されている。この松橋弁財天は、弘法大師空海が作ったと伝わる弁財天像が石神井川の崖下の洞窟に安置されていたため「岩屋弁天」とも呼ばれ、江戸時代にも篤く信仰されていた。1975年頃に石神井川の護岸工事が行われたため洞窟は埋め立てられ、現在は北区立音無もみじ緑地内に洞窟跡が残っている。金剛寺の境内にある弁天堂は、頼朝が戦勝祈願した際に建立したものが発祥とされている。空海作の弁財天像も頼朝の太刀も、現存していない。
 石神井川には松橋弁財天の他に弁天の滝もあり、江戸時代には紅葉の名所として有名で金剛寺も「紅葉寺」と呼ばれていたという。
 

 金剛寺の境内には、江戸時代の宝暦五(1755)年にこの滝野川村に生まれ、富士講の「丸参講」を組織して富士登山を50回も敢行して活躍した安藤富五郎の顕彰碑も立っている。

 アクセスは、JR京浜東北線の王子駅から徒歩で15分。

 

 

②武蔵国 飛鳥山城とは

 飛鳥山城(あすかやまじょう)は、武蔵国(現・東京都北区王子一丁目)に存在した崖端城型平山城。城跡は現在は飛鳥山公園として整備されている。

 

 文明年間(1469~86年)前期に、秩父平氏系の豊島氏の一族である滝野川家によって、丘陵地帯(隅田川の河岸段丘)の突端に位置する、もともと古墳群も造営されていた飛鳥山(標高25.4m、比高約23m。現在の JR王子駅の西)に、滝野川家の居城である滝野川城の東を守る支城として築城された。付近の岩槻街道を抑える役割を担っていたが、文明九(1477)年に太田道灌によって豊島泰経が滅ぼされた際に飛鳥山城と滝野川城も落城し、同時に滝野川家も滅亡したとされる。

 

 廃城後、江戸時代に江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗(1684~1751年)が享保の改革の一政策として、元文二(1737)年に城跡に約1200本の山桜を植林して行楽地として整備・開放して以来、向島(現・墨田区)と共に庶民の仮装を許された貴重な娯楽の場となり、江戸の花見の名所として栄えた。その後、明治六(1873)年に日本で最初期に認定された公園となった。

 

 現在は城の遺構は残っておらず、城に関する解説板も無い。飛鳥山公園内には開園時に建立された石碑や、江戸幕末の儒学者・佐久間象山が飛鳥山の桜を詠んだ詩『桜賦』の石碑(その地下には象山が暗殺された際の血染めの巾着袋が納められた石室がある)、1917~25年に建てられた渋沢栄一の別荘の一部などが残されている。

 アクセスは、JR京浜東北線の王子駅から徒歩で5分。

 

 

 ……そんなわけで、北区の稲付城からはじまった今回の東京お城散歩、最後もまた、北区へと還って来ておしまいでございます。なんで北区なのかって、そりゃ山形新幹線がちかいがらだべ。

 

 この滝野川城と飛鳥山城なのですが、一見すると2つのお城のように見えながらも、上の情報をみてもお分かりの通り、ほぼ一心同体のような関係になっていて築城者も落城のタイミングも同じということなので、まとめて探訪させていただきました。

 

 前回、「天守閣が無いお城のどこが悪い!?」みたいなことをくっちゃべらせていただきましたが、今回、東京の5つのお城跡を歩き回って感じたのは、「確かに関東地方は、わざわざ天守閣をおっ建てる必要性があまりないな」という感慨でした。

 

 一般に言う天守閣を建造する目的というものは、ざっくりまとめると、

 

1、建築者の権力を誇示するため

2、遠方の敵軍の動きを高所からいち早く把握するため

 

 の2つになるかと思います。でも、この2つのどちらも、私が今回みた戦国時代の関東地方では「じゃ天守閣を建てよう」という発想につながらないんですよね。

 

 まず1、に関しては、関東における戦国のお城というものが「手間ひまより工期の短さ!」「デカさよりも安さ!」をモットーとする非常に実用的な建造物だったため、じっくり腰をすえて巨大高層建築物を建てようという計画など、採用どころかまず提案されるわけがなかったのです。とりあえず見通しが良いある程度の高所で、下を川が流れていて堀を作る必要が無くて、大きな人流物流ルートとなる街道を抑えられる場所なのだったら、とりあえず番小屋たてとけ!みたいなスピード感で関東の諸城は建造されていったのではないでしょうか。

 

 そしてさらに、戦国時代の関東のお城のほとんどが、「昔、源氏の棟梁が来なすったんじゃ~」という言い伝えが残る神社寺院だったり、そもそもその地方の領主さまの居館があったという、「建築物の基礎」ができていたことも見逃せません。つまり、もともとあった建物を改修拡張すればいいだけなのでリーズナブル! しかも源氏とか豊島氏とかのビッグネームにゆかりのある土地なんだから権威もバッチリということで、ゼロから自分の持つ権力・財力だけで天守閣を築き上げる苦労をする必要など全く無かったというわけなのです。これは、平安時代から武士の歴史が始まっている関東地方ならではの、温故知新なお城のあり方だったんですね。

 

 なるほどね……要するに関東地方は、「遠くからも見えるステキな天守閣♡」などというロマンチックなことを語るいとまもないほど、激しい戦乱が続く修羅の地だったということなんですな。ほんと、関東でそんな平和なお城なんて、徳川時代の江戸城か舞浜のシンデレラ城くらいしかないんじゃないの?

 

 もうひとつの2、の目的に関しては、まさに今回の「滝野川城と飛鳥山城」の関係が如実に示しているように、遠くを見渡したいのなら「城の中に高い建物を」という発想じゃなくて、「見たい方向に出城(支城)を」という発想にいったんだと思うのです。当時から関東平野は広大で、しかもそこらじゅうにお城にできそうな舌状台地が散らばっている状態だったのですから、なんで一つのお城の敷地内にこだわる必要があるんだという話だったのではないでしょうか。お城の建造物を上方向に高くする必要が無いというか、同じ費用がかかるのなら城域を面で広げていこうという考えにいたるのが自然だったのでしょう。そして、その精華は言うまでもなく「総構え」たる後北条家の小田原城だったのです。天下の小田原城に天守閣!? いらんいらん! 誰だそんな無用の長物を建てた奴? え、北条氏直? そりゃ滅亡するわ!!

 

 まぁそれはともかくとしまして、極論すれば戦国時代の関東地方のお城は、

 

 

「お城は高めの 丘がいい

 お堀は下の 川でいい

 大きな道が あればいい

 伝説ぼんやり 残りゃいい」

 

 

 という八代亜紀の『舟唄』精神を地でいくリアル路線のたまものだったわけなのです。♪ててててれてて てれててって~ん!!

 ロマンもへったくれもないんですよね。そりゃまぁ、東海以西のお城みたいな人気者にはなれませんよ。でも、こういうお城の魅力がわかる真の歴女が日本のどこかにいることを、私は信じ、たい。

 

 

 さて、そんなこんなで、探訪最後のお城です。

 

 30分くらいの時間をかけてパパっと渋谷城(金王八幡宮)を観た後、私はさっさと JR線を乗り継いで京浜東北線の王子駅へと急ぎました。王子駅に到着したのは9:30。お天気は昨日に引き続きかなりの快晴で、またまた汗ばむ好天となりそうです。

 

 上の情報の通り、滝野川城が本城で飛鳥山城は支城という関係にあるのですが、王子駅から出発するとほぼ駅前というものすごい近くにあるのが飛鳥山城のほうなので、順番が前後しますがまずは飛鳥山城のほうから見ていきます。

 とはいえ、飛鳥山城としての遺構はほぼゼロで、今は完全に区民の憩いの場としての飛鳥山公園となっており、平べったい小山の上は公園・博物館・渋沢栄一の別荘跡と見どころの多いステキな行楽地となっております。桜が満開の時に来ればなぁ~! でも、桜が散ったこの日も園内は黒山の人だかりで、たぶんアジアから来られたと思われる一団が、わいわいとコスプレの撮影会をやっておられました。地下の佐久間象山先生もビックリよ。

 

 そもそも、私が今回東京に行くにあたって予定のラインナップにこの飛鳥山城を入れた直接のきっかけは、実はお城とは全く関係のない YouTubeの『 THE つぶろ』チャンネルさんの投稿動画からでして、この中で飛鳥山公園のふもとにある『謎の埋もれた寺』という話題が出た時に、地図で「飛鳥山城跡」という表示があったので、おおっと気になったのでした。

 

 でしたので、飛鳥山に登る前に当然、例の埋もれた寺も覗いてみたのですが、ほんとにあったわ、埋もれた寺……そして、明らかにそれを覆い隠すかのように建てられた家屋には、確かな生活の気配が。

 さすがにお家の方が出てこられたら気まずいのでそそくさと退散したのですが、そのお寺(飛鳥山観音というそうです)は埋もれながらもちゃんと存在しているのに、あえて見えにくいように暗い半地下のような空間に隠している光景は、非常に興味深いものがありました。王子駅前ということであまりにもアクセスが良すぎるので話題にはなっていませんが、田舎にこんなものがあったら廃墟マニアの格好な聖地になっちゃいますよね。せっかくなんだから、道端のお地蔵さんみたいに公開すればいいのにとも思うんですが……そうもいかない感情があるのでしょう。非常に天気の良い日に見ただけに、鉄柵とツタに囲まれた寺を包む闇の暗さが逆に際立っていた、えもいわれぬ空間でした。笑顔の人でにぎわう公園のすぐそばにあるっていうのが、たまりませんね。

 

 そういうわけで、飛鳥山城の痕跡は、やっぱり無し! 広い公園内をぐるりを周遊しましたが、楽しい行楽地だな~という印象だけで、戦乱の地になったとは信じがたい平和の地となっていました。確かに眺望はめっちゃいいから、古墳とか出城に利用されるのもよくわかりますね。古代・中世・近世・近代と全ての時代でまんべんなく脚光を浴びてきた飛鳥山なのですが、とりあえず21世紀前半の今は徳川吉宗発祥の「桜の名所」イメージと渋沢栄一の威光をメインに推すテーマパークになっていましたね。いつか、お城としての飛鳥山がクローズアップされる時代が来……ないか、やっぱ。

 

 さて、30分くらいかけて足早に飛鳥山を歩いた後は、飛鳥山城の本城たる滝野川城を目指すわけなのですが、こちらは王子駅から歩くと約15分かかるということで、昨日の善福寺城に行くまで迷子になったトラウマが蘇ります。うう、迷いたくない!

 

 ところが、王子駅から滝野川城跡である金剛寺までの道順はありがたいことにかなり単純で、音無川に沿って整備されている遊歩道をず~っと西へ歩いて行くと着くという親切設計になっていました。ありがたや、飛鳥山観音様のご利益じゃわ……

 

 そして、この音無川沿いの遊歩道っていうのが、ほんとに良くってねぇ。いや~、天気の良い日曜日の午前に、何の悩みごともなくこの道を散策できるしあわせよ。

 この道の、武蔵野の自然をのこす木立の影をそぞろ歩く人もまばらだったのですが、ジョギングする人、散歩する老夫婦、ベビーカーの赤ちゃんに童謡の『ちょうちょ』を唄いかけながら歩くお母さん……平和とはこのことかと、しみじみ感じ入るひとときとなりました。お城関係ないけど、最高ですね。

 

 今現在の音無川は、コンクリートによる護岸工事が完璧に行われているので、江戸時代の「深山幽谷」の面影を見ることはできなくなっているのですが、遊歩道から見ると高さ5m くらいの立派なコンクリート壁が続く巨大な護岸線となっているので、それだけに戦国時代にはなかなか大きな川だったのだろうなという気配がしのべるスケールになっていました。こういう川に、昔はニホンカワウソとかがいっぱいいたんだろうねぇ。

 

 そんでま、くだんの滝野川城跡は、やっぱり判で押したように音無川の曲がった流路にうまく囲まれた崖の上にできていたわけなのですが、そこはまぁ稲付城跡の静勝寺とか志村城跡の志村熊野神社とおんなじ感じで、そんなに広くない土地いっぱいに金剛寺と墓地ができている状況となっていました。ざっくり見ると音無川に三方を囲まれた一体というのは、東西500m、南北200m くらいのプリンのような形をした横長の地形なのですが、現在は南北に通る道路をはさんだ西半分が金剛寺境内で、東半分は住宅地と音無さくら緑地となっています。つまり、無理やり推測すると金剛寺のある西半分が主郭(本丸)で真ん中の道路が堀切、東側が二ノ郭という構造になっていたのでしょうか。こうなると、平地部と全くの地続きになっている南側の防御が心配になるところなのですが、当時は大きな堀切とかがあったんでしょうかね。まぁいずれにせよ、豊島家の分家の居城というポジションにふさわしいスケールのお城ですし、これだけじゃ心配だと滝野川家が慌てて飛鳥山城を築いた気持ちもよくわかる感じなのでした。

 

 当然のように滝野川城に関する解説板は無かったのですが、源頼朝が陣を張った地としてと音無川に面する崖にあったという松橋弁財天についての解説板、そして江戸時代に50回も富士山を踏破したというスーパー庶民にして丸参講総帥・安藤富五郎を顕彰する碑があったりと、歴史的な見どころは山ほどある金剛寺なのでした。

 

 安藤富五郎……正直この碑を拝見するまでは「だれ?」という感じだったのですが、その功績を読むだけで元気が湧いてくる時代を超えたパワーには頭が下がってしまいます。すげぇお人もいるもんだ。

 

 やっぱり、実地にお城跡を歩いて回ってみるという企てって、確かに脚は疲れるし明確な「お城だ!」ってワクワクする観光地感もない行為なのですが、家で歴史に関する本を読んでるだけじゃ絶対に出逢えない偶発的な誰かの業績や、ふとした現地の自然の光景とかに遭遇できるからやめられないんですよね。極端な話、目指すお城跡になんにも残ってなくたっていいんです! 最悪そこにたどり着けなくたっていいんです! 歩けば必ず、なにかに逢える。

 

 

 今回の東京お城探訪も、実はよくよく振り返ってみると、はっきり城跡だと確認できるものは2日かけて5城めぐって志村城の空堀跡ひとつしかなかったんですよ!? でも、それでもいいの! 関東地方のお城の精髄を五体で感じることができた……気になれたんですから。

 

 安藤富五郎さんもすごいんですが、今回は私の中での「太田新六郎康資」のイメージがはるかに600% くらいアップしたのが大きな収穫でしたね。ほんと、『信長の野望』シリーズだと役に立たないキャラにしか見えなかったのですが、ここまで後北条家を引っ掻き回すトリックスターだったとは! いいですね~、余裕で時代小説とかドラマの主人公はれますよね。

 

 ま、そんな感じで滝野川城も城跡としての見どころは無かったのですが、音無川沿いにある人口の入り江施設である音無もみじ緑地が、めっちゃいいロケーションだったことは特記しておきたいと思います。いや~、いいなぁ! こういう、たかだか100m 四方くらいのジオラマみたいな自然再現公園、大好きなんですよ。流れのない水辺に釣り糸をたれるお爺さんや、魚とりネットを片手に走り回る子どもとその親……いや、ほんといい。

 

 

 ま~その、お城探訪としての収穫はほぼない今回の5城だったのですが、とにもかくにも、「こういう趣味を持っててよかったなぁ」と心の底から再認識できる企画となったのでありましたっと。

 

 行くまではおっくうなんですが、やっぱり行って良かったわ! 女優のなかじま愛子さん、お芝居に誘ってくれて本当にありがとうございました。

 

 さぁ、今度東京に行く時は、どこのお城に行こうかな!? まだまだお城はいっぱいありますからね~。

 それまで、もうちょっと地図をうまく読めるようになっときますです、ハイ……

 

≪この記事は gooブログ内『長岡京エイリアン』にて2010年10月28日に投稿したものの再掲です≫

前回までのあらすじ~
 特務機関ネルフが守る第3新東京市に現れた3体目の使徒・ラミエル。今までの2体とは違い、破壊活動と目的遂行をしっかり分けて行動する現実指向タイプ。
 強力なATフィールドと加粒子砲を駆使して鉄壁の守備を誇るラミエルに対して、人類にうつ手はあるのかしら~?


 ネルフ本部の分析により、ラミエルのエッチラオッチラ掘り進めるドリルシールドのジオフロント到達が10時間後であることが判明し、ネルフはそのタイムリミットまでにラミエルをほふる作戦を決行する必要性に迫られます。
 あと10時間でなんとかしなきゃ! 単純に使徒のネルフ本部攻撃を最悪の事態と考えている作戦指揮官(28歳 女性)は頭をヒネくりまわしますが、前回に説明したようなネルフの「最高機密」を知っている主要幹部のお三方は、
 

「どうせあの使徒が行きたいトコは、さらに7キロ下にあるからなぁ……」


 と、どことなく涼しい顔をしています。そのうちの1人である、指揮官の学生時代の親友でもあるエヴァンゲリオン計画の技術主任(29歳 金髪染めの女性)も、そのへんのことはおくびにも出さずに深刻顔。

「決めたっ。作戦内容は、使徒の攻撃範囲外からのエヴァー(指揮官の言い方です)による超長距離攻撃。射撃地点は使徒から6キロ離れた下二子山山頂。決行時間は翌日0時0分!」
 

 早いな~、決断が! さすがはネルフの作戦指揮官。人類の未来を託されているだけのことはあります。でも作戦のためには、6キロも離れた距離からラミエルのATフィールドとコアの両方をブチ抜くような大出力を持つ陽電子砲(ビーム・要するにラミエルの加粒子砲といっしょ)が必要になります。そんなの、どこにあんの!?


 でも、彼女には奥の手があった。時間はない! さっそく茨城県つくば市の戦略自衛隊技術研究所に向かい、ネルフの特務権限と彼女自身が持っていた日本国との「外交カード」を利用して、そこで開発されていた衛星軌道攻撃用の陽電子砲(宇宙空間の人工衛星を撃てる!)を徴発します。 やっるぅ~!

 ネルフ技術部はチャッチャとこの陽電子砲を改造して、エヴァンゲリオンがトリガーを引くことによって射撃される、巨大なライフル銃のようなポジトロンスナイパーライフルを急造します。
 

 このくだりについて、よく「別にエヴァンゲリオンがいなくても、陽電子砲だけあればいいんじゃない?」というツッコミが入るのですが、いやいや、エヴァンゲリオンは必要ですよ!


 なぜなら、万が一この作戦を察知したラミエルからのビーム攻撃があった場合、それをふせぎながらポジトロン砲の照準を修正することのできる「安全な銃座」が必要だからなんですね。人間による遠隔操作だけでは、ポジトロン砲がズレた時になおせなくなっちゃう!
 エヴァンゲリオンのエントリープラグはとにかく安全です。しかしラミエルの加粒子砲は攻撃力絶大! 6キロ離れた地点とはいえ、安心はできません……


 そこで提案されたのが、エヴァンゲリオン初号機のポジトロン砲射撃を、エヴァンゲリオン0号機が手持ちの大型シールドを持ちながら前に立ってサポートするという陣形でした。

 おぉ~、エヴァンゲリオン0号機! いたいた、黄色い1ツ目のやつ! ついに0号機が実戦に投入される時がきた!(作品本編では、0号機は「零号機」と表記されているのですが、めんどくさいのでわが『長岡京エイリアン』では0号機と表記させていただきます。のちに登場するエヴァンゲリオン「弐号機」以下も、おなじく2号機、3号機……としていきます。)
 

 エヴァンゲリオン0号機は、ネルフ本部でかなり初期から開発されていた汎用人型決戦兵器シリーズのプロトタイプです。さすがに性能面では後継の初号機におとるものの、実戦でも充分に使えるものとして、その活躍が期待されていました。
 んが! くしくもあの第3使徒サキエルが日本に上陸した日の数時間前、本部内で行われていた0号機の機動実験が失敗し、専属パイロットの中学生女子は即入院ものの大ケガをするは、それをムリヤリ助けようとした怪しい総司令は手にこっぴどい大ヤケドを負うはの大惨事。


 そんな中で急遽代わりにサキエルと戦うことになったのが、その日に来たばっかりの初号機パイロットだったわけなんです。しっかし、今はラミエルにのっけからドツかれたせいで意識不明になってるし。つくづく運の悪い中学生男子よ……
 とにかく、それ以来およそ1ヶ月にわたってブルペン落ちを余儀なくされていた0号機が、守備担当とはいえ、使徒相手の実戦に登板することに。大丈夫か!?
 大丈夫か心配になるのは初号機のほうも同様で、急ごしらえで胸の装甲版は補修したものの、パイロットは夕方にやっと意識が回復した状態。まぁ、カラダはピンピンしてるんですけど……また乗るの!?


 作戦決行まであと5~6時間。バタバタではあるものの、すべてがひとそろえ集まってきました。作戦名、「ヤシマ作戦」!
 

 「ヤシマ」とはよく言ったもので、今回は「ヤシマ」という古名を持つ日本列島をあげての大作戦となりました。要するに、ポジトロンスナイパーライフルを射撃するためには日本全国の電力が必要なんです。
 

 さぁ、そうこうしているうちに夜もふけ、日がかわった直後にヤシマ作戦決行とあいなったわけだったんですが……

 まぁ……ね。具体的なヤシマ作戦の推移と結果は、私がつたない言葉をつらつら重ねていくよりも、手っ取り早くTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の第6話か映画の『新劇場版・序』を観ていただくのが最善かと。
 いいですねぇ! ハチャメチャな部分もあるものの、ほころびを感じさせない見事なスピード感とヴィジュアルのカッコ良さ。まさに前半戦最大の名場面です。まだ観てない人は幸せモンだよ、これからその感動を味わう楽しみが残ってるんだから!

 ともあれ、ネルフが読んだ通りに見事、ジオフロントにドリルを到達させるところまではいったラミエルなんですが、TVシリーズ版ではポジトロン砲の1射目を加粒子砲の相撃ちでふせいだものの、続けてくり出した加粒子砲の2射目を0号機の大型シールドで受け止めながらのポジトロン砲2射目にコアを撃ち抜かれてしまいます。


「え~!! 1対2なんて卑怯じゃない! し、しかもイチャイチャしてる男子と女子が手を取り合って……これが愛というものの力だとでもいうの? わ、わたしもこれからは、恋にがんばってみよう、か、な……」

ズゴォオ~ン!! ラミエル轟沈! 掘削ドリルもあえなくその回転を止めました。

 TV版では、死亡したラミエルの残骸は、先日の第4使徒シャムシエルと同じくネルフによって回収・研究されることとなりますが、地下約1キロを掘り進んだドリル部分も含めたラミエルの解体はやたらと時間がかかり、シャムシエル戦までは極秘のこととされていた「使徒」とそれを撃退する秘密兵器「エヴァンゲリオン」の存在も、広く第3新東京市の市民に伝わることとなります。まぁ、パイロットの通う中学校の同級生などの間ではうすうす知られていたことでしたし、毎回毎回シェルターに避難させられていたわけなんですから、「なんか変な街だなぁ。」とはみなさん思ってはいたんでしょうが。


 のちのことになりますが、市街地でのラミエル回収作業はおよそ1ヶ月かかることが判明し、結果として、その期間中の市街戦は困難となったため、第7使徒との戦闘は海岸線で行うこととなりました。

 いや~しかし今回のラミエル、惜しかったなぁ! サキエルやシャムシエルに比べると格段に成長していたんですけどねぇ。でも今回は初号機と0号機、そして新兵器ポジトロンスナイパーライフルの連携なくしては人類側の勝利はなかったわけなんですから、ラミエルが強敵だったことに間違いはありません。ラミエル、グッドジョブ! 初号機パイロットと0号機パイロットの心の距離も縮まったし。

 さて、いつもならここで第5使徒ラミエルの検証は終わりなんですが、ご存じの通り、TV版のラミエルと『新劇場版・序』の「第6の使徒」とは、見た目にわかりやすい形態やアクションなどの点において、似ているようでビミョ~に違うポイントがけっこうあります。


 ということで次回は、他のもろもろ出てきた疑問点もあわせて、『新劇場版・序』における「第6の使徒」を中心に検証してみたいと思います。


 しつこいでしょ~!? でも、使徒を本当に心の底から愛しているのならば、ここまでやらねばならんのであります。ゆがみまくりの愛に果たして明日はあるのか? ねぇか、やっぱ。