おはようございます。

真琴です☺︎





昨日バイトで、先輩に

「看護師と今の仕事とどっちがいい?」

って聞かれました。



その時に感じたことを、

書いておこうと思います。





今わたしは、販売員をしています。

ちょうどお盆の今の時期は

御中元や御盆礼でお使い物にするのに

ギフトセットや配送なんかが多くて、

忙しい時期でもありました。



お盆が明けたらもう、

秋の商品が入荷してくる予定。



季節ごとに商品が変わったり

これからだと

敬老の日に向けて

ギフト希望の方が増えたり



季節の移ろいを

商品でも感じられること


贈り物を贈る人の気持ち


おうちごはん用に

自分の楽しみを買って帰る人



去年の10月から働き始めて

やっとそういうものが

落ち着いて見られるように

なってきました。




楽しいのは、やっぱり

お客さんと会話をするとき。

会話をしながら関係性を作るとき。



レジでの短い会話だったり、

お客さんから声をかけられて

一緒にギフトを考えたり、

こんな商品もありますよ、と紹介したり。



特にうちのお店のお客さんは

年齢層が高めだったり

ギフト希望が多いから

落ち着いた雰囲気の方が多かったりして

流れる空気感が比較的ゆったりしています。





人との関わり合い

会話で関係性を作る



そういう点では

看護師時代の方が

そこにかけていた時間もエネルギーも

比べ物にならないくらい

多かったなと思います。

そしてやり甲斐も。



看護師は、

わたしの情熱を注げる仕事でした。

ずっとやってきたし、

ずっとやっていくんだろうなと

思っていました。



全てが命に深く直結してることだったし、

緊張感や使命感は

今よりもずっと強かった。



でも、情熱を持っていたからこそ

それは許せないと思う瞬間、考え方、

わたしはそうは思えない、ということも

多々あったとも言えます。



なので


やり甲斐、情熱も感じていたけど

その反面

絶望や、無力感、怒り、悲しみも

ものすごくあって


心の中は

上がったり下がったりが激しくて

ジェットコースターみたいな

状態でした。



頑張ってたし、

無理してたし、

本心とは違うことをして

我慢してたし。



だからとても、

心も体もしんどかった。





今は

どんなに忙しくても

目の前のことを

ただ確実にやるだけ、と思っているし



頑張らなきゃ!!なんて

1ミリも思ってないから、

いつもリラックスして

力は抜けています。




というわけで、

「看護師と今の仕事、どっちがいい?」

の答えは、一言で言えば

「今のほうがいいです☺︎」

なんだけど、



どっちの仕事?

というよりも、

どっちの自分が好き?

どっちのほうが快適?

ということのほうが。



そして

それはどうしてだろう?って

細かく見ていくことのほうが、

大事なんじゃないかと

今は思うのです。





情熱を感じていたのは

だんぜん看護師の仕事で、



本当にやりたいのは、


人と関わり合って

関係性を築いて


その人がその人らしく

しあわせに輝いて

生きること、暮らすことを

サポートしていくこと。



でも

看護師をしていた頃の自分よりも、

販売員をしている今の自分の方が

好きだな〜と思えるし、

今のほうがずっと

しあわせだな〜って思うんです☺︎



頑張ってなくて、

無理してなくて、

我慢してなくて、



元気で、

しあわせで、

おだやかで、

安心していて、

明るい気持ちでいられる。



この今の自分で、

情熱を込めて

やりたいことを

コツコツと

やっていきたいなと

思います看板持ち



こんにちは。

真琴です☺︎

 

 

 

 

ゆるす、の語源は

ゆるむ、なんだよ。と

去年教わりました。

 

 

許す、赦す、は元々

緩む、弛む、から

来ているんだそうです。

 

 



そして昨日、

「聴す」と書いて

「ゆるす」と読むことを

はじめて知りました。

 

 

あまり見慣れないけど、

スマホで変換しても出てきます。

 

 

 

 

聴くという漢字の旧字体を

漢和辞典で見てみると

 

 

耳をつきだして

まっすぐな心で

よくきく。

 

という意味があるらしい。

 

 

 

 

今までのわたしは

自分を聴して

生きてこなかったな、

ということと、

 

これからは間違いなく

わたしにとって

重要なキーワードだな、

ということを、

 

改めてしみじみ、感じました。にっこり




 

こんにちは。

真琴です☺

 

 

 

 

今日ふと、

前よりも色んな事に対して

「面倒くさい」って

感じなくなったな、

って思ったんです。

 

 

料理、洗濯、掃除、

片付け、家計管理、

 

今までだったら

何でもかんでも「面倒くさい」でまとめて

自分で自分に足かせをつけて

行動に移すのが本当にゆううつで

本当に尻が重たくて動けなくて

 

あれもやってない

これもやってない

あー面倒くさい

こんな自分はダメだーって

 

罪悪感、自分責めの

繰り返しの毎日、毎瞬だったから…

 

 



でも気付けば最近は

いちいち「面倒くさい」と感じる前に

スルッと動けるようになってきている!

 

前は「面倒くさい」として

やらなかったことが

できるようになってきて、

本当に地味で小さなことなんだけど、

じんわりうれしい!目がハート

 

 

 

 

それから

身に付けるもの、

野球の応援で使うもの、

バイト先で使う道具、

 

 

もっとこうだったら

もっと快適になるな、

もっとこうしたいな、

じゃあこうしてみよう!

 

こういう流れが、

とてもスムーズになった

とも感じます。

 

 

今までだったら

すぐ後回しにして

「まぁいっか」で

不快でイライラしながら

文句を言ったりして

使ったり身に付けたり

していたのに!

 

 

自分で

自分を喜ばせてあげること。

 

自分で

自分を快適にしてあげること。

 

それが

自然とできるようになっていることに

感動と、喜びと、幸せを、

感じています。

 

 

 

 

小さなこと

細かいところ

些細なもの

取るに足らないもの

地味なもの

地道なこと

 

 

今まではそういうものを

本当におろそかにしていて、

バカにしていて、

 

そんなことが出来たって

どうせ大したことない、

 

こんな微々たること、

どうせ大きな影響なんてない、

 

そんな風に思っていて

自分を後回しにする

自分に我慢させるのが

デフォルトの人生でした。

 

 

 

でも今は

暮らしの中の小さいことを

ひとつひとつ

大切にしたいと思うし、

 

むしろ

そここそ大事にしなきゃいけなかったね、

と思う。

 

 

今は「大切にしよう」なんて

わざわざ頭に浮かばないほど

 

暮らしのひとつひとつを

自分が心地いいように

自分がよろこぶように

選んでいけているなーと実感していて

 

めちゃくちゃ楽しいし、

めちゃくちゃしあわせです。にっこり

 

 

 

 

大きな、目立つ、

華々しい成果とか

一発大逆転劇ばかりを目指して

 

小さくて、地味で地道なコツコツを

価値がないものとしてバカにして

やらないでいたから、

 

何にもできない

全然前に進めない

しあわせじゃない

いつも不満

自分が嫌い

 

ってなっていました。

 

 

 

 

でも、もうやめます☺

 

今の自分の方が好きだし、

今の方がずっとしあわせだから。

 

 

それではまた!

お久しぶりです。

真琴です☺︎

 

 

 

 

月が変わり

北陸地方は梅雨も明けて

 

何となく

空気感もガラッと変わり、

心持ちも落ち着き、

 

久しぶりに記事を書いてみようかなと

アメブロに向かっています。

 

 

 

 

前回の記事を書いてから

あっという間に

2ヶ月以上が過ぎていて

 

 

最近のわたしは

ほんの少しずつ、

玉ねぎの薄皮をはがすように。



でも

少し前のことを振り返ってみれば

格段に、確実に。

 

 

「本当の自分」っていうものに

近づいているんじゃないかな、

って思っています。

 

 

 

 

よく

「本当の自分」に戻るとか還るとか

言うけれど、

 

 

「本当の自分」って必ずしも

幼いころの、子どものころの自分、

というわけではないと思っていて。

 

 

少なくともわたしの場合、

思い出せる限り小さい頃にはすでに

大人の顔色を伺ってご機嫌を取って

「(大人にとって都合の)いい子」に

一生懸命なろうとしてた記憶があって、

 

 

「本当の自分」ってどんな自分なんだか、

思い出すことはできなかったんです。

 

 

 

 

じゃあどうして

「本当の自分」に近づいているって

言えるのかって言ったら、

 

 

身の回りの小さなことから

自分の感覚に

素直に誠実に在ろうと決めて、

自分の感覚を

採用するようになって、

 

 

ホッとする。

しっくりくる。

楽で、楽しい。

じんわり、しあわせ。

ほっこり、うれしい。

 

 

そんな気持ちになって

心も身体もゆるんでいる時間が増えた。

何かに必死になる瞬間が、なくなった。

いつも、リラックスしている。

 

 

そんなわたしが、

今ここにいるからです。

 

 

 

 

そんな「本当の自分」に戻ってくる過程で

わたしがまず感じたのは、

ものすごい抵抗感です。

 

 

今も、抵抗感は出ます。

きっとこれからも、出なくなることはない。

でもこの抵抗感が、要らない古い自分の

残りカスみたいな感じなんだなって思うから、

それが出てくるのを悲観することはなくなりました。

次のステップへ進む時が来たんだな、と思えるから。

 

 

「本当の自分」

=今まで出しちゃいけないと

 頑なに自分で封印してきたこと、

 ダメだと否定してきたこと

 

だったから、

 

 

こんな自分を出していいの!?

こんな自分で生きていいの!?

 

だったら、

今までのわたしは何だったの!?

今のわたしは、何でできてるの!?

 

 

って

怖くもなったし、

途方にも暮れたし、

めちゃくちゃ焦りました。

 

 

だけどその一方で、


やっと抜け出せた。

もう頑張らなくていいんだ!

一抜けた!

 

 

手足をびよーんと伸ばして、

畳の上にゴロン、と寝転ぶみたいな。

そんな解放感も

同時に感じています。

 

 

 

 

発信がなかなかできなかったのは、

そんな

今まで封印してきた自分が思うこと、

ダメ出しして否定してきた自分が

素直に感じることを外に出す、

ということに

ものすごく抵抗があったから。

 

 



「本当の自分」に近づけば近づくほど、

自分の【核】みたいなものに

近づけば近づくほど、



自分の大切にしているものが

壊れてしまうんじゃないか、 


わざわざ外に出す必要なんて

ないんじゃないか、


外に出すなんて怖い驚きって

感じていました。

 


 

 

でもさ、それってただ

今までやったことないから

怖いと思ってるだけじゃん?

 

慣れてないから

そう感じるだけじゃん?

 

わたしの【核】って

そんな簡単に壊れるもんなの??

 

 

そんなことに

さっき気付き(笑)

思い浮かぶまま

書いてみました。

 

 

また、書きます。

ありがとうございますにっこり

あなたは自分の本音に

アクセスするのを

やめてしまっている。


数年前にコーチングを受けたときに

言われたことです。






相手を【正解】として

(自動的に自分は【間違い】として)

その【正解】に100%一体化、

同化しようとしてきた。



だから

自分の本音なんて要らなかった。

自分の感覚なんて邪魔だった。



そんなのがあると

同化できないし、



何よりも

わたしが本音を言うと、

決まってその場が凍りつく。



白い目で見られる。

周りにけげんそうな顔をされる。

「『みば』がわるい」と言われる。

(見栄え、体裁、という意味の方言)



小さい頃から

そんな経験をたくさんしてきたから、


本音は言わない方がいいんだ。

自分の感覚は無視した方がいいんだ。


それがデフォルト、通常モードに

なっていました。





本音を言う代わりに


おちゃらけてみたり、

茶化してみたり、

自虐ネタにしてみたり、


そっちの技術の方が

磨かれてきたように思います。





本音を言わない自分は

ダメだと思っていました。



内に秘めた熱い想いを語るなんて

カッコ悪い、ダサいと思っていました。



だけどこの間、とくに意気込むことなく

本音を、熱い想いを語ることができて。



わたしは語る場を選んでいるんだ、

と思いました。



どこでも本音を言えないわけじゃない。

どこでも本音を

言わなきゃいけないわけでもない。



人によって態度を変えている、

というふうにも捉えられるけど

決してバカにするとか、

適当にあしらう、とかじゃなくて



人間性、在り方、

誠実さ、信頼関係、

そして情熱、



そういうものを無意識のうちに感じとって、

わかってくれる人がいてくれる場では、

わざわざ本音を言おう…!としなくても

抵抗なく言えるんだ。と気付きました。



そうじゃない場では

無理に言おうと思わない。

無理に言おうとしなくていい。



伝わる人がいてくれる場で、

自分の想いを言葉にしたらいい。

そう思えました。





四柱推命の命式で言うと、

月柱に書いてあるのが

社会に対して発揮していく性質

だったりするんですけど、



わたしの場合


十干が 

十二運星が 冠帯



庚が刀、鉄をあらわしていて、

情に流されずバサバサ斬れる。


一方で冠帯は

愛とホスピタリティあふれる

女王様の星、と呼ばれています。



そう、元々わたし、持っているんです。


ひとこと本音を言えば場を凍らせたり、

波風を立てたり、和を乱したり、

空気を読まないような性質。笑


だけどその心は

勝ちたいとかギャフンと言わせたいとか

そんなんじゃなくて、

愛から生まれる情熱、バイタリティ。



これがもう、わたしに宿っている質。

これが、自分の中にあるんだと気付く。

知って、気付いたら、

使えるようになっていきますねにっこり





そして


通変星が 偏印

蔵干通変星が 偏官



偏印は結構ドライなところもあり、

興味のないことには全く興味が湧かない。


一方で偏官は、

目の前の人に尽くす とか

思い立ったら考えるより先に動く とか

言われています。



一見ドライで、サバサバしていて

血も涙もなく冷徹な女王…と思いきや

その裏には愛があって、情熱があって、

みんなでしあわせになることを

心の底から望んでいる。だから動く。



そんな感じかなーと、

今は自分の星を解釈しています。

やっぱり振り返ると、

この性質のこともずっと

否定してきたなー真顔




本音を言える、居場所を見つけること。

本音を言える、居場所を創ること。

本音を言える、自分であること。



大事にしたいことを

またひとつ思い出しましたにっこり