セラピストのmasaです
前回は
「構文の五階層」
について話しましたが
作成してみた人もいると思います
よく
「ありがとう」や「ツイてる」などのプラスの言葉
アファメーションで願望を唱えると
「良いことが起きる」
「願望が叶う」
という本がいっぱいありますが
うまくいった人と
うまくいかない人がいます
これは、なぜなのでしょう?
一般的なポジティブシンキングやアファメーションは
ネガティブな要素に触れず
ポジティブな願いにだけ意識を向けるため
ネガティブな要素を心の奥に閉じ込めてしまい
融通無碍な心の働きを縛り付けてしまうことがあるのです
さらには、その願望の背景にある問題まで含めた
「事の全体像」を脳が理解していないために
いざという好機にあたって
機転を利かせ、適切な行動をとることが、できにくいからなのです
ちなみに
この「五階層の構文」ですが
天皇家の宮中祭祀を司る
伯家神道(別名白川神道)の伝承者である
七沢研究所の七沢賢治先生によるものです
そのルーツは1万年以上も前になり
一般の人には知られることなく
その言霊には絶大な効果があるそうです
神道? 言霊?
そんな宗教みたいなのは嫌だな! という人は
以下は読まなくてもよいですが
七沢研究所の研究は、驚くほど科学的です
興味ある方は、自分で勉強してみてください
さて、五階層の構文(言霊)の話に戻りますが
インドのヨーガ行者の中には、「マウナ」という沈黙の行を10年、20年と行う者もおり
そのような者が、ひとたび口を開いて何かを言うと
それはどれほど不可能に見えることであっても実現するといいます
これは、新たな現実を創造するには
いったん自分自身を「まっさら」にしないといけないということです
伯家神道では、祓いによって心身の穢れを浄化し
意識を「まっさらに」ゼロ化して、スタート地点に戻ります
そこから言霊によって新しい世界を創造していきます
しかし、この情報化社会では、私たちは多くの情報を詰め込みすぎて
思考や感情のエネルギーによって、ゼロの地点が見えなくなっているのです
そこで、客観視という方法が生きてきます
ある考えが邪魔であれば、それを捨てれば良い
考えている自分が邪魔なら、それを客体化して、ゴミ箱に捨てる
そうすることで、「ゼロでないもの」を排除していくことにより
意識をゼロ化するのです
そもそも祓いには、罪、咎、祟り、障り、穢れを階層に分けて消すという意味合いがあります
しかしそのためには、問題を俯瞰できる位置に自分を置く必要があるのです
その際、階層的にどれほど上の位置から見るかにより、当然、見える景色も異なります
前回のブログを見てもらえばと思いますが
「考えそのものの階層」、「その考えを見るという階層」、「それを見ている自分を見るという階層」・・・というように
どの階層から観察を行うかで、ゴミ箱に捨てるべき要素の把握も変わってきます
この階層性という概念がないと
最初の階層のゴミを捨てただけで、ゼロになった気分になってしまうのです
しかし、階層ごとの全容を把握していないと
どこかの階層に存在するゴミが、願望の実現を妨げるのです
客観視は、これらの階層を客体化し、観察することで成立し
これらが「五階層の構文」を作成する一連の過程の中で、行われます
ちなみに
階層から階層へ客観視を突き詰めていくと、どこに行き着くのでしょうか?
実は、最後の最後は客観できなくなるのです
主体があり、客体があって、初めて客観視が可能になるのであって
客体、つまり見られるものがないと、客観視は不可能になります
例えば
自分の手足、腹、胸は見えますよね
鼻も頑張れば見えるでしょう
しかし、自分の眼で、自分の眼を見ることはできません
同じように、主体が客体を見ることはできても
主体が主体を見ることはできません
でも、見えないからといって、それがないわけではありません
見えなくても確実に「ある」のです
言い方を変えると
抽象度を上げきっていくと、空に至るということです
苫米地先生の理論のようですが
今回、「五階層の構文」を知って、ブログで紹介しようと思ったのは
本質的な部分で、苫米地先生の理論と同じであり
わかり易いと思ったからです
アファメーションにはネガティブな事は書かないじゃないか?
という人もいるかもしれませんが
その話については、また次回に
いつも応援ありがとうございます