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ペン表卓球への道

大阪市在住のサラリーマンです。趣味は、卓球、読書などです。大学時代までやっていた卓球を再開しました。現在、卓球練習を週1回2時間、試合を月2回のペースでやってます。

 今日は「ピンポンさん」(城島充)P368P371より、荻村伊智朗氏が上原久枝さんに送った『武蔵野卓球場賛歌』の紹介です。


 「ピンポンさん」については、過去に何度かブログで紹介しています。




(「ピンポンさん」(城島充著)より)




・『武蔵野卓球場賛歌』


天界からこの蒼い惑星の


いちばんあたたかく緑なる点を探すと


武蔵野卓球場がみつかるかもしれない



40年もたつと


上原おじさんがピカピカに磨いていた


自転車もどこかへいってしまったし


斎藤敏雄くんや内田がお尻をぶつけた


ぼくたち手塗りの濃緑の腰板も


色がすこしあせたかもしれない



それなのになぜ


若い人たちがつぎつぎと集まるのか


めじりの小じわもごましおも


どんどん集まるのか


あのしなやかな膝にやさしい


檜の床板が抜けてしまうかもしれないのに



それはもちろんあの人のせいさ


若者がつい


未来の夢を語ってきかせたくなるような


めじりとごましおがつい


ぐちの一つもこぼして安心の気分のような


あの人がいるせいさ



だれもみたことがない


若い頃のあの人に向って語るのか


そこにいる


チャーミングなおばさんに向って語るのか


ふしぎな武蔵野のローレライ


あの人のいるところは


武蔵野卓球場といいます


これからもそういいます


みなさんもセフィーロのせんでんのように


「お元気ですかァ」とお寄りください


新しい夢がいっぱい語れます





・「ピンポンさん」、「荻村伊智朗」とは


   「武蔵野のローレライ」を原点として城島充氏により「ピンポンさん」(角川文庫)が書かれました。卓球を愛する人には是非ともお勧めしたい一冊です。


   日本卓球界の伝説の男:荻村伊智朗氏(故人)、人生のすべてを卓球に捧げた男の波瀾万丈の生涯と彼を影で支え続けた一人の女性:上原久枝さんの日々を重ねて描ききった珠玉のノンフィクションです。



小説の書き出し


「東京・吉祥寺の五日市街道と宮本小路が交わるところに、かつて木造の小さな卓球場があった。・・・」



 荻村氏は、5456年のシングルス世界チャンピオン。第3代国際卓球連盟会長を務め、ミスター卓球と呼ばれました。歴史的功績として、71年世界卓球選手権への中国復帰、91年統一コリアチームの出場を実現させました。有名な言葉に「卓球は、チェスをしながら100m走をするようなもの」があります。もう二度と荻村氏の様な偉大な卓球人は、世に出て来ないだろうと思います。




・「武蔵野卓球場」とは


 戦後間もない1950年、ひとりの卓球経験のない主婦だった上原久枝さんが、東京の吉祥寺の自宅を改装して造ったのが武蔵野卓球場です。


 この卓球場から後の世界チャンピオンの荻村伊智朗が育って行きました。またその後、荻村氏が主宰する青卓会というクラブチームを上原さんは陰で支えました。



 卓球場は場所ではなく、規模・設備や営業力・資金力等でもない。やはり、根底には人との繋がりが大切だと思う。



 当卓球場は、200712月に57年の歴史に幕を下ろしました。上原さんは1999419日午前に逝去、99歳でした。