今日は「続々・あの武蔵野卓球場は何処にあったのか?」と題してブログします。
今まで、その卓球場の存在に大きな意味があったと思われますが、発祥地(場所)にスポットが当たったことはありませんでした。
1、はじめに
今回も、あまり意味がないことかもしれませんが、書籍やネットの情報から多分ここらあたりだろう?と場所を再度推測してみました。
書籍から、どうやら東京・吉祥寺の五日市街道と宮本小路が交わるところ、現在のGoogle mapsを見ればセブン-イレブン吉祥寺東町1丁目店あたりだろうと推測されます。
今回も、色々と武蔵野卓球場について調べてみて、改めて日本卓球の歴史の中で、武蔵野卓球場(場主:上原久枝さん等)が存在していたことを永く記憶(記録)に残しておくべきだと思いました。
尚、本blogはあくまでも武蔵野卓球場が存在していたことの意義をblogするものであって、安易にその場所を特定することが主旨ではないことを最後に付け加えておきます。
私は、今年の2月初旬に東京に行く機会がありますので、吉祥寺に寄って場所を確認してみようとと思っています。また、その際には、改めてその結果をブログしたいと思います。
2、武蔵野卓球場とは
戦後間もない1950年、ひとりの卓球経験のない主婦だった上原久枝さんが、東京の吉祥寺の自宅を改装して造ったのが武蔵野卓球場です。
この卓球場から後の世界チャンピオンの荻村伊智朗が育って行きました。またその後、荻村氏が主宰する青卓会というクラブチームを上原さんは陰で支えました。
当卓球場は、2007年12月に57年の歴史に幕を下ろしました。上原さんは2019年4月19日午前に逝去、99歳でした。
●武蔵野卓球の歴史
・1932(昭和7)年6月25日荻村伊智朗氏誕生
・1950(昭和25)年9月15日旧卓球場オープン
・1952年国際卓球会館設立
・1975(昭和50)年1月?私が松崎杯(四国香川県)の試合に参加した際、一晃さん(荻村伊智朗氏の長男・青卓会)と練習試合
・1975(昭和50)年8月私が全中大会(東京の中野体育館で開催)の前日に旧武蔵野卓球場で練習
・1888年5月ITS三鷹卓球クラブ設立
・1989(平成元)年6月新卓球場完成(立退移転)
・1994(平成6)年12月4日荻村伊智朗氏逝去
・2007(平成20)年12月卓球場を閉場
・2019(平成32)年4月19日上原久枝さん逝去
●卓球場の場所
・旧卓球場
東京・吉祥寺の五日市街道と宮本小路が交わるところ、現在のセブン-イレブン吉祥寺東町1丁目店あたり
・新卓球場
6階建ての雑居ビルが建つその角地(旧卓球場跡)から30メートルほど宮本小路を歩くと、姿を変えた新しい卓球場があった
<旧武蔵野卓球場(1987年頃)・「地球の中の別世界」より>
<「ピンポンさん」(城島充著より>
“天界からこの蒼い惑星のいちばんあたたかく緑なる点を探すと武蔵野卓球場がみつかるかもしれない”
東京・吉祥寺の五日市街道と宮本小路が交わるところに、かつて木造の小さな卓球場があった。今は6階建ての雑居ビルが建つその角地から30メートルほど宮本小路を歩くと、姿を変えた新しい卓球場がある。
普通の民家としか映らない二階建ての家屋を、ほとんどの人は卓球場とは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。「武蔵野卓球場」「青卓会練習場」と横書きされた二つの看板は玄関の扉の向こう、短い渡り廊下を突き当たった低い天井の下にひっそりと掲げられている。卓球場にたどりつくには、さらにその奥にある引き戸をくぐらなければならない。
<Google mapsより>
(吉祥寺駅周辺、五日市街道と宮本小路の交わるところ)
3、余談
実は私も「武蔵野卓球場」と接点がある?
私の中学の卓球部コーチ(東京で就職し、その後田舎に帰って来た)は、なぜか「青卓会」出身であった。中学3年の時、東京で全中大会があり、私もレギュラーとして参加した。田舎から東京に行き、大会の1日前に練習をした。確か宿泊所が恵比寿、試合会場が中野、練習場の電車の乗換えが新宿だったと思う?薄っすらとした記憶を辿ってみると、どうやらその練習場は「旧武蔵野卓球場」であったと思われる。その時、たしか民家の中に卓球場があり、コーチ(山根)がおばちゃん(上原さん?)に挨拶をしていた記憶がある。実に懐かしい思い出である。


