強さの正体を考える
冨永愛はなぜブレないのか
弱さを抱えたまま生きる
という選択
——最近、冨永愛さんが妊娠を発表した。
まずは、心から「おめでとうございます」と言いたい。
このニュースに、驚いた人も多かったと思う。
年齢のこと、これまで積み上げてきたキャリアのこと。
「今、このタイミングで?」と感じた人もいたかもしれない。
でも私は、どこか腑に落ちたの。
「ああ、この人らしいな」と。
冨永愛さんの人生は、一貫している。
それは、他人の期待より、自分の感覚を裏切らなかったという点。
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あの制服の写真が象徴していたもの。
高校生の頃に撮られた、あの制服姿の写真。
背が高く、細く、日本の「女の子らしさ」から逸脱していた。
そこにあったのは、完成された自信ではない。
むしろ逆で、「私はここにいる」という、少し孤独な存在感だった。
どこにも完全には属していない。
馴染もうとしていないわけでもない。
ただ、合わなかった。
私はあの一枚に、彼女の孤立感と同時に、
「自分を小さくしない」という無意識の姿勢を感じたわ。
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「普通じゃない」
と刷り込まれた心
それは称賛ではなく、からかいとして。
こうした体験を繰り返すと、
人は心の奥に、こんな感覚を持つようになる。
「私は普通じゃない」
「ここに居場所はない」
この感覚を早くに身体で覚えた人は、
心理的にだいたい二つの道に分かれる。
自分を縮めて、周囲に合わせるか。
それとも、場所そのものを変えるか。
彼女は後者を選んだ。
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海外へ行ったのは、
夢よりも「限界」だった
実際はかなり切実な選択だったはず。
ここにいたら、
自分が自分でいられない。
だから、日本を出た。
これは挑戦というより、
そうしなければ心が壊れていたという判断に近かった。
一見すると強い行動に見えるわ。
でも心理的には、
「壊れないために環境を変えた」
という、
とても現実的で健全な判断。
それは、逃げではなく
生き延びるための選択だった。
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キャリアの中で
「母になる」という決断
仕事が減るかもしれない。
もう戻れないかもしれない。
身体も人生も、確実に変わる。
それでも彼女は産むことを選んだ。
ここに見えるのは、
「評価される自分」より
「生きている実感を持てる自分」を優先した姿勢。
役割より存在。
肩書きより感覚。
これは衝動ではない。
自分の内側を切り離さなかった
ということ。
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離婚という決断に表れる心理
彼女は感情を麻痺させなかった。
違和感を抱えたまま我慢し続ける関係は、
少しずつ「自分」を削っていく。
冨永愛さんは、壊れる前に終わらせた。
それは冷たさではないわ。
自分の心を放置しなかったということ。
本当に自分を大切にできる人は、
関係が壊れる前兆から目を逸らさない。
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息子との関係が示す、
健全な距離
親自身が満たされていないと、
無意識に子どもを“自分の延長”にしてしまう。
でも彼女は違う。
自分の人生を、自分で生きてきた。
だから、子どもを代役にしない。
干渉しすぎず、切り離しすぎない。
これは、母としてかなり成熟した距離感だと思うの。
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「私は弱い」と言える人の強さ
でも本人はこう言っているの。
「私は弱くて、自信もなかった」
これは謙遜じゃない。
自信とは、「私は完璧」と思えることじゃない。
不安があること、怖さがあることを知ったうえで、
それでも人生を選び続ける力のこと。
冨永愛さんは、
弱さをなかったことにしなかった。
感情から目を逸らさなかった。
だから彼女の強さは、
派手ではないけれど、折れにくい。
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「弱さを抱えたまま、
人生を選ぶという強さ」
彼女に向けられた言葉の多くは
「すごい」「強い」「かっこいい」
だった。
でも本当は、
不安も怖さも抱えたまま、
それでも自分の人生を引き受ける選択をしただけ
なのだと思う。
強さとは、鈍感になることでも、
平気な顔をすることでもない。
弱さがあると知ったまま、
それでも逃げずに生きること。
「自信がないから無理」
「まだ整っていないからダメ」
そうやって人生を保留にしてしまう。
でも冨永愛は、
整っていない自分のまま、
不安を抱えたまま、
人生を進めた人だった。
もし今、あなたが
怖さや迷いを理由に立ち止まっているなら、
それは弱さではないわ。
選び続けようとしている証拠。
完璧じゃなくていい。
自信がなくてもいい。
それでも人生を選び続ける。
その姿は、
あなたが思っているより、ずっと強い-----









