こんばんは、エイナです。
前編でも触れたように、
人は、生きていくうちに
いくつもの顔を身につけていく。
仕事用の顔。
家庭での顔。
期待に応えるための顔。
失敗しないための顔。
それは嘘じゃない。
生きるために必要なペルソナ。
私たちはその仮面のおかげで
評価され、居場所を得て、
社会の中でちゃんと立っていられるの。
問題は「仮面を被ること」そのものじゃない。
問題になるのは、
その仮面しかないと思い込んだとき。
成功すればするほど、
ちゃんとやれていると思うほど、
ペルソナは自分の皮膚みたいに馴染んでいく。
そして、ある日ふと、
説明できない違和感が残る。
うまくいっているはずなのに、
満たされていない。
褒められているのに、嬉しくない。
そのとき、頭の片隅で
こんな言葉が浮かぶ。
「じゃあ、本当の私はどこにいるの??」
ここから先は、
少し居心地が悪い話になるかもしれない。
なぜなら
「素顔」とか
「本当の自分」という言葉は、
希望より先に、違和感を連れてくるから。
素顔って何?
“本当の私”は、どこにいる?
「素顔」とか
「本当の自分」って聞くと、
どこかに
キラッとした“正解の私”が
眠っている気がしてしまう。
でも実際は違う。
本当の自分に近づいた瞬間、
最初に来るのは——
安心じゃなく、少し苦しい感覚。
胸の奥が
ひっかかるような、
見ないふりをしてきた感じ——
ペルソナは「成功」すると、外せなくなる
たとえば、こんな人がいるわ。
医者の家に生まれた人。
父も母も、祖父も医者。
小さい頃から、当たり前のように言われてきた。
「あなたは頭がいい」
「将来は医者になるのよ」
疑う余地はなかった。
それが“普通”だったから。
勉強は辛かったけれど、
褒められた。
認められた。
誇らしそうな家族の顔も見た。
いつの間にか
「医者を目指す自分」が
人格そのものになっていた。
そして医者になった。
周りからは成功者として扱われる。
安定、尊敬、社会的地位。
でも、ある日ふと
こんな考えがよぎる。
「俺は、これを“やりたかった”んだろうか?」
忙しさの中で感じる虚しさ。
誰にも言えない息苦しさ。
それでも辞められない。
なぜならもう、
この人生には
家族の期待、世間の評価、
積み重ねてきた年月が
がっちり組み込まれているから。
ここで、ようやく気づく。
ああ、俺は、
「医者になりたかった人」じゃなくて、
医者という役割を
“完璧に演じてきた人”だったんだな、と。
「仕事ができる俺」という仮面
会社で評価されている男性。
部下もいる。
数字も出している。
家では
「頼れる父親」
「家族を養う男」。
弱音を吐かない。
判断は早い。
責任は全部、自分が引き受ける。
周囲は言う。
「あの人はデキる」
「さすがだな」
「男らしい」
でも本音はこう。
・本当は、もう疲れている
・責任から逃げたい
・何も考えずに一人になりたい
それでも言えない。
なぜなら、
“できる男”であることで
居場所を手に入れてきたから。
もしここで
「しんどい」
「もう無理だ」
と言えば、
評価は下がるかもしれない。
頼られなくなるかもしれない。
「価値がない」と思われるかもしれない。
だから彼は、
今日も仮面を被る。
仕事が一番。
家族のため。
男だから。
そうやって
「仕事ができる俺」というペルソナは
鎧になり、
同時に檻にもなっていく。
成功すればするほど、
その仮面は外せなくなる。
「ちゃんとした母親」という仮面
では、子育てをしている女性は、
どんなペルソナを持っているのかしら。
周囲からは
「いいお母さん」
「よく頑張ってる」
「子ども第一で偉いね」と言われる。
家事も育児もこなす。
子どもの予定を最優先。
自分のことは後回し。
本音では、こう思っている。
・一人になりたい
・誰かに甘えたい
・母親じゃない自分に戻りたい
でも、その気持ちを
自分でさえ否定してしまう。
母親なんだから。
贅沢を言ってはダメ。
子どもが最優先。
そうやって
“母親というペルソナ”が
少しずつ
自分そのものになっていく。
気づけば、
「私、何が好きだったっけ?」
「私って、どんな人間だったかな?」
でも、ここで立ち止まれない。
なぜなら、
この役割を完璧にこなすことで
「ちゃんとした人」
「価値のある人」
でいられるから。
母親を降りるわけにはいかない。
弱音を吐くと、
責められる気がする。
だから彼女もまた、
静かに仮面を被り続ける。
“仮面”をつけたまま生きる人達
ペルソナは、
失敗している時より
成功している時の方が、外しにくい。
なぜなら、
その仮面が
「評価」
「愛情」
「居場所」
を与えてくれているから。
そしてある日、ふと気づくの。
私は
これをやりたかった人なのか。
それとも
期待される役を
完璧に演じてきただけなのか。
この問いに直面した瞬間、
人生は少しだけ
静かに、きしみ始める。
答えはすぐには出ない。
でも、気づいてしまった以上、
もう“完全には戻れない”。
ここから先は、
仮面を外す勇気か、
仮面と共存する覚悟か。
どちらかを選び続ける人生になる。
——そしてこれは、
特別な人の話じゃないわ。
静かに、たくさんの大人が
この場所に立っている。
気づいた瞬間に来るのは、救いじゃない
本当の自分に気づいた瞬間、
来るのは希望じゃない。
・じゃあ今までの努力は何だったのか
・この年齢で、どう引き返すの!?
・ここまで来て、やめるなんて無理
・家族を裏切ることになる
頭の中が一気にざわつく。
だから人は、
気づかなかったことにする。
「贅沢な悩み」
「みんな我慢してる」
「私は恵まれてる」
そうやって、
ペルソナを
“本当の自分”として固定していく。
この瞬間から、
人生は少しずつ乾いていく。
だけど
本当の自分は、静かにサインを出しているはず。
素顔は、叫ばない。
むしろ、こんな形で現れるわ。
・理由もなく疲れる
・成果を出しても心が動かない
・褒められるほど、逃げたくなる
・評価されるたび、少し苦しい
これ全部、
素顔が出しているSOS。
でもペルソナは優秀だから、
こう言い返す。
「甘えるな」
「もっと頑張れ」
「今さら何言ってる」
そしてまた今日も、
外向けの顔で生きていく。
ほとんどの人は、どうなのか?
正直に言うわ。
ほとんどの人は、
ペルソナに飲み込まれた人生を生きている。
なぜなら、
そのほうが安全だから。
・評価される
・居場所がある
・生き方を考えなくて済む
素顔に向き合うのは、
不安で、怖くて、
面倒くさい。
だから多くの人は、
最後まで気づかないか、
気づいても見ないふりをする。
それ自体が
悪いわけじゃない。
でも
気づいてしまった人は、もう戻れない。
気づいたあと、どうすればいい?
本当の自分に気づいたからといって、
今までの人生を壊す必要はないわ。
仕事を辞めなくていい。
役割を捨てなくていい。
仮面を外して生きなくていい。
ただ、
自分に嘘をつくのをやめる。
・私は、しんどかった
・本当は、違和感があった
・本当は、怖かった
まずは
自分にだけ正直になってみてほしい。
そして、もし今
胸のどこかが少しだけ重くなったなら、
それがひとつのサイン。
大きく人生を変える必要はない。
仮面を今すぐ外す必要もない。
ただ、ひとつだけ
自分に問い直してみてほしい。
「今日の私は、
本当に“私”として選んだ行動を
ひとつでもしただろうか?」
誰かの期待に応えるためじゃなく、
評価を守るためでもなく、
役割を完璧にこなすためでもない選択。
それが
・10分一人でぼーっとする時間でもいい
・断りたかった誘いを断ることでもいい
・弱音を、心の中で認めるだけでもいい
仮面を外すか、共存するか。
その二択じゃない。
少しだけ緩める
それも立派な選択。
人生がきしみ始めるのは、
壊れる前兆じゃない。
「これ以上、無理しなくていい」という
内側からの通知なの。
多くの大人は、
もうその通知を受け取っている。
ただ、見ないふりをしているだけ。
このブログを読み終えたあとも、
きっと、あなたの日常は何も変わらない。
仕事も、家族も、役割も続いていく。
でももし、
仮面の内側にいる自分の声を
一瞬でも思い出せたなら。
それだけで、
あなたはもう
“同じ場所”には立っていない。
静かに、でも確実に、
自分の人生のハンドルに
手を戻し始めている——





