神田孝平 18301898 兵庫県令、元老院議官、貴族院議員。男爵

東京人類學會初代会長 『日本大古石器考』(英文) 1885

佐藤による“神田孝平所蔵之図”→関西大・本山コレクションに実物 “石場宅ニテ写ス”

遮光器土偶(1986)の蔀の図~土偶の発掘状況の説明文 “土偶とともに硯”→石皿を硯と認識

             土偶は識字するものによる制作と推定

坪井正五郎 18631913 人類学者

石器時代の民族は、現在の日本民族と異なる。アイヌの祖先が石器時代の民族(コロポックル)を駆逐

白井光太郎 18631932 植物病理学者、本草学者、菌類学者

人類學會報告』9号に匿名で坪井への反論

→小金井良精・浜田耕作・佐藤伝蔵・鳥居龍蔵・喜田貞吉らが論争に参加~蔀も白井説を支持

蔀はこれを機会に 人類學會雑誌への投稿がなくなる

十腰内出土 東京国立博物館所蔵の土偶~蔀の画譜では十腰内出土と明記

人類學會雑誌には亀ヶ丘出土と記される(付加価値をつけるためか?)

東京国立博物館では亀ヶ丘出土としている=今後の訂正が課題

なぜ亀ケ岡は低湿地帯なのに縄文人が生活していたのか?

小岩井兼輝 18691938 鉱物学・地理学者

亀ケ岡地盤沈下説

Versus

佐藤伝蔵 18701928 鉱物学・地質学者

津波が原因の泥炭化した遺物包含層説

久原コレクション T8

彦栄の手紙に記録 S15 仙台大学(東北帝国大学)他に収蔵 ※他の一か所不明

S24 早稲田大学に入りたる…→戦災で消失の可能性

S25 伊藤信雄(東北大教授)から東北大に収蔵の連絡

角田猛彦 18521925 細越尋常小学校長(19年在任)

1890 細越遺跡や内長澤遺跡の発掘

東京人類學會雑誌(6巻64号)「陸奥国東津軽郡石器時代の遺跡探求報告」

工藤彦一郎18511904 初代田舎館村長 

東京人類學會雑誌(4巻33) 「陸奥の珠玉」


佐藤蔀と交代するように東京人類學會雑誌に投稿

角田所蔵の石棺→成田コレクション

工藤所蔵の土偶→辰馬考古資料館(画譜により土偶修復の際に頭を逆に繋ぎ合せた事がわかる)

といったわけで、昨日の講座ノヲト(とりあえずアップしたその1はこちら をクリック)取りまとめるのに四苦八苦(-_-;)。とはいえ、自分でも判読できない字を書く(つд⊂)エーン、ひこにゃんが自ら蒔いた種ではありますが…。


ということで、本日は、昨日のアウトラインと本日のアウトラインざっくり。


昨日の青森

新青森駅駅ビルにて友人宅へ送るチーズケーキの購入発送

青森県立郷土館・成田コレクション 関連講座受講と展示見学

青森市民ホール展示室での『淡谷のり子・高橋竹山・一眼動画・イラストによる
ショートムービー展』鑑賞

中三百貨店「大北海道展」でトートバックパツンパツンになるほどの買い物


帰宅後に父が呆れて 「青森に見学・鑑賞のために行ったのか?中三に買い物に行ったのか?」。ひこにゃんキッパリ「両方です。青森県の考古学の学習も五島軒のレトルトカレー購入も私にとっては同等の価値がありますッ!」



本日の弘前

土手町の三笠屋餅店にて、あさか餅七個と串餅ひとパック購入

弘前大学人文学部附属亀ヶ丘文化研究センター 発掘 知の遺産

成田彦栄氏旧蔵資料からみた青森の考古学の黎明 展示見学

弘前駅のコンコースで 青森りんご期待の新星『土岐』を十個も購入

またしてもトートバックパッツンパッツン


帰宅後に父が呆れて 「弘前に大学の考古学展示を見に行ったのか?餅やりんご買いに行ったのか?」。ひこにゃんキッパリ「両方です。青森県の考古学の黎明もあさか餅もリンゴの土岐も私にとっては同等の価値がありますッ!」



これがホントの文武両道・両刀遣い(コラコラコラァァ~)。


ということで、これから本腰入れて、アメーバとインタネットエクスプローラーの接続をし直そうと思いますので、委細は明日以降ご報告いたしますねm(_ _)m。

青森県立郷土館・―寄贈記念―成田彦栄コレクション
記念講座『成田コレクションからつづる日本と青森の考古学史』
弘前大学人文学部准教授 上條信彦
11/13 13:30~15:00 郷土館小ホール

成田コレクション
1 佐藤蔀旧蔵資料・2 県内外考古学者旧蔵資料・3 彦栄採集発掘

彦栄~日記やノートを残す⇒研究・分析に際し後年に伝えるのを念頭に置いた記述
   書籍:戦前まで刊行された主要図書・雑誌がほぼ揃う
(大学の収蔵図書を上回る)
・ 木内石亭 「雲根志」1773
~収集した石に関わる本「石棒」「石鏃」「青龍刀石」の初出
 石棒=石の筒井

・ 古川古松軒 「東遊雑記」(奥羽・松前巡見私記)1778
       ~幕府巡見使に地理学者として随行した巡見記
・ ハインリッヒ・フォン・シーボルト(シーボルト医師の次男・外交官)
        「考古略説」1879
~考古学という名前が使われた最初とされている
 当時は古き物を好むという意味で好古と記されていた
・ エドワード・シルヴェスター・モース(東京大学のお雇い教授)
        『理科会粹第一帙 大森貝墟古物編』(Shell Mounds of Omori)1879 
~大森貝塚の発掘調査報告・エッチングによる土器の図
          ↓
         モースの指導のもと 佐々木忠次郎(のち昆虫学者)・飯島魁(のち動物学者・魚類学社)が陸平貝塚(茨城県)を発掘調査「日本考古学の原点」~     
・ 江見水蔭=忠功(小説家、翻案作家、雑誌発行者、紀行家、冒険家)
  考古学的な探検に興味。各地の貝塚や遺跡を発掘して出土品を蒐集する趣味。
  「地底探検記」1907
  「考古小説 三千年前」1917坪井正五郎の説に基づいた空想冒険小説


佐藤蔀の考古学画譜 約560枚=精密な実寸図(現在の報告書を同じ)・割付~佐藤家=和算学者
              土器の拓本

佐藤コレクションのうち9千数百万円分が久原房之介に売却される⇒現在、東北大が収蔵

佐藤蔀~平尾魯仙・下澤保躬との交流

平尾魯仙 1808~1880
「谷の響」(津軽地方の伝説・考古遺物の発見に関する記述)を著す
“地を掘り物々得”=平尾の図⇒東北大に実物(平尾→佐藤→久原→東北大)

下澤保躬 1838~1896 岩木山神社の神職
勾玉の図(下澤氏之蔵=愛蔵品)⇒佐藤の収蔵品の中に実物
「津軽国土地理誌」1896

蓑虫山人(土岐蓑虫) 1836~1900
明治時代初の亀ヶ丘発掘調査
「太古石器古陶図」「古陶図」「陸奥全国神代石古陶之図」
山人の発掘物31点を佐藤が採譜  
山人の図→(蔀の細密な画譜)→関西大・東北大での実物を確認

ニール・ゴードン・マンロー 1863~1942 イギリスの医師、考古学者、人類学者。
アイヌ研究のため北海道に移住。
「Prehistoric Japan」中の土器の写真に“Sato Collection”の記述
Sato=蔀かどうか不明であったが、東北大の土偶(佐藤→久原→東北大)と一致
※ 成田コレクションの中にマンローの寄贈した「Prehistoric Japan」


細密な図=実物と特定する際に大きな情報となる
 蔀の図 東京人類學會雑誌に掲載された61点 画譜の中の35点について実物の特定
   現在の収蔵先 弘前大・東北大・東京大・東京国立博物館・京都国立博物館・関西大
          辰馬考古資料館(兵庫・辰馬北家:白鹿創業家の分家のコレクション)
          海蔵寺(岐阜・蓑虫山人の菩提寺