東京暮色・必殺シリーズ…山田五十鈴さん死去

読売新聞 7月10日(火)5時58分配信

 昭和初期から映画や舞台で活躍し、女優として初めて文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず、本名・美津=みつ)さんが9日午後7時55分、多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなった。

 95歳だった。告別式は12日午前11時、港区南青山2の33の20、青山葬儀所。

 新派俳優の山田九州男(くすお)の長女として大阪市に生まれた。1930年に12歳で日活に入り、大河内伝次郎の相手役として無声映画の「剣を越えて」でデビュー。溝口健二監督の「浪華(なにわ)悲歌(エレジー)」や「祇園の姉妹(きょうだい)」をはじめ、成瀬巳喜男監督「流れる」、黒沢明監督「蜘蛛(くもの)巣(す)城」、小津安二郎監督「東京暮色」など、名監督の作品に相次いで出演し、生き生きとした演技を見せた。

 62年には東宝演劇部と契約して活躍の場を舞台に移した。三味線を巧みに弾きこなした「たぬき」や、吉原の花魁(おいらん)を演じた「愛染め高尾」などで円熟の芸を見せ、初代水谷八重子、杉村春子と共に「舞台の3大女優」と称された。テレビでも「必殺」シリーズなどで貫禄を示した。93年、文化功労者、2000年に文化勲章を受章。


※ 引用ここまで


ちなみに山田五十鈴さんの愛称は“ベルさん”ということでぇ・・・(-"-;A。なんだか、この記事のタイトル改めて見ると、電話を発明した人みたいでしたね…m(..)m。



それはさておき、晩年の山田五十鈴さんのイメージは、華やかな役を貫禄で舞台上で演じる大女優というのが皆様一致したものかと思いますが、ひこにゃん的にかつて要チェキ!とばかりに、ビデオやDVDやテレビでの放映 はたまた名画座的映画館でみたのは特に1950年代のこんな映画でした。



  • 我が家は楽し(1951年) 
  • 母なれば女なれば箱根風雲録(1952年)、現代人(1952年)
  • 女ひとり大地を行く1953年)、縮図(1953年)、雲ながるる果てに(1953年)
  • 路傍の石たけくらべ(1955年)
  • 母子像猫と庄造と二人のをんな(1956年)
  • 黒い河流れる(1956年)
  • 蜘蛛巣城東京暮色(1957年
  • これらの作品で人口に膾炙しているのはやはり、黒澤作品の「蜘蛛巣城」や小津作品「東京暮色」、成瀬作品で幸田文原作当時の女優オールスターズな「流れる」あたりでしょうね。



    また、当時の夫で新劇出身の加藤嘉の影響か「母なれば女なれば」や「女ひとり大地を行く」などの独立プロの作品では戦争未亡人のたくましき母を演じています。これらの作品では彼女のリアルな年齢に近く、後年の華やかな役とは対極の役どころといったこともあり、注目している方も少なくないかと…。


    これらも機会があったらぜひご覧頂きたい映画ですが、ひこにゃん的に注目度大なのは、ホームドラマな我が家は楽し!

    サザエさんちのフネさんノリのお母さん役の五十鈴先生!、バーサス 、お父さん役は日本の誇るお父さん俳優笠智衆先生

    真面目な父、優しい母、親思いの子供たち。貧しくとも我が家は楽し。お金では買えない幸せの形を見せてくれるホームドラマ。非現実的に流れそうなところを役者陣の名演がぐっと引き止めています。夫婦役は笠智衆先生の山田五十鈴先生という組み合わせ、この二人にはまいました・・・本当の夫婦だぁ!。こりゃあ。しかし五十鈴先生の演技!、素晴らしいとしかいいようがないです。


    こっからは、あくまでもひこにゃんの推測なんですが、五十鈴先生は「俳優たるもの皆さんのお求めになる役を懸命に演じなければならない!」という使命感に似た思いがあった一方で「ごくごく普通のおばあさんも演じてみたい。リアルにここまで歳を重ねてきた人間として…。」と内心思っていたとしても不思議はないような気がするのですが・・・( ̄_ ̄ i)。