私が働いている喫茶店には、ご年配のお客様が多い。
古いデパートの中のお店なので、昔からのお馴染みさんがいる。
その中でも1日2回、来店して下さる方がいらっしゃる。
もう90才近い女性客だ。
近所の高齢者施設で暮らしているそうだ。
だがなまじ頭がしっかりしているので、他の入居者とは話しが合わないらしい。
毎日お気に入りの席で、ゆっくりと過ごされていく。
たまにひとこと、ふたこと言葉を交わすのだが、先日その方が、「80過ぎて長生きしたって、
な~んにも良い事無いわね。」としみじみ言うのだ。
それは御自分の事なのか、他の入居者の事を言っているのか、、
心情は解らないが、高級介護施設で暮らせる財力が有りながら良い事が何も無いという。
至れり尽くせりに世話をして貰い、毎日自分の足で散歩し、近所の喫茶店に1日2回も行ける
状況にいながら、、
そういえば、社会福祉が進んでいる北欧(たしかスウェーデンかデンマークだったか)
は、お年寄りの自殺率が他の国に比べて高いと、昔聞いたことがある。
急にそれを思い出した。
手厚くすることが、必ずしもお年寄りの幸せに繋がらないという事か。
これは考えさせられる。
私の住んでいる長野は、平均寿命が女性は全国1位、男性は2位という高位置にある。
日本で1位と言うことは世界でもトップクラスの長寿地域だ。
理由は色々分析されているがそのひとつに、何と言っても高齢者の就業率が高い。
就業というほどでは無いにしろ、
庭にスペースがあれば、自宅で消費するくらいの野菜を栽培しているお宅が実に多いのだ
。
適度に体を動かし、指先を使い、頭を使う。そしてその成果や、収穫を味わう。
実に健康的だ。体にイイに決まっている。
お年寄りから仕事を奪ってはいけない。動くものも動かなくなってしまう。
「おばあちゃんが育てたこのリンゴ、おいしいね~。」なんて言って貰えば、そりゃあ
嬉しいだろう。
そういえば最近、一躍有名になった78才のスーパーボランティアのおじいちゃんは、
瞳が青春真っ只中の若者のように、生き生きしていた。(若者は言い過ぎか)
彼はひとに与える喜びを知っている。それは見返りを求めない、受けた途端自分の持つ
美学が色褪せてしまうのだろう。
人は人に必要とされ、喜ばれる事により、自分の存在の意味を確認する。
誰もが確実に老いていくのだ。人生の終盤、どんな筋書きにするのか。
老いから目を背けず自分の足で歩いて行く。
透明水彩です。