加納石人の書

 

 

 

『爪楊枝で書く』

石人はいっとき、爪楊枝で

書くことに挑んでいたと聞いた事が

あります。

 

 

加納石人の書の世界へ

お越し下さり、ありがとうございます。

 

 

《石人覚書》 1982.10.31記

 

この年は、村上 華岳の著書

『華岳画論』を研究、勉強を

なさっていたようです。

 

村上華岳??です。

 

村上 華岳(むらかみ かがく

1888年(明治21年)7月3日 - 

1939年(昭和14年)11月11日)は、

大正~昭和期の日本画家

 

私は、不勉強で

知らない事、わからない事ばかり

ですが…

 

時間にゆとりがあるとき、

何となく読み返して

何となく…こんな事かな?

と、思います。

 

どうぞ

ごゆるりと…

 

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

『華岳画論』より 

 

P.282

〇芸術することが、個の心の根本になって、

おのずからそれが社会に影響する。

これが芸術の社会運動ということだと思う。

決して、社会運動のための一環として芸術

するのではないことを銘記すべきだ。

 

●芸術する者にとっての喜びとは瞬間的

な幸福、醍醐味であろうけれど、それに

△△することの出来る者こそ、芸術家、と

いうものである。しかして、再びその瞬間の

喜びから醒めると不幸(創作の苦しみ、経

済的悩み、e.t.c.)に見舞われるのも、その

宿命というものである。

 

P.290

〇「其の与へられた画面に、線を引くとい

ふことは、画家は決して出鱈目にやって

居ない。必ず必然の経路を取って線が

引かれる。」

書の場合も、全く同様。それは

「不動の線」でなくてはならない。

 

P.295

いい線を引くことは、画家より

書家の決定的な重大使命である。

そして、不可欠の修行の根本である。

 

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いやしくも、「線」によって芸術しようとする

者が、線を無視していい筈がない。

 

華岳はいう、

「・・・つまり、頭の中に少しでもこだはりが

あっては、本当にいい線の味は出て来な

い。何となく理智的になってしまっては

線描の妙境に入ることは不可能である。」

が又、この常の新しがり屋は、こだわりを

捨てることにこだわって、こだわらぬ、

こだわらぬと大声で叫びつづける。

 

こだわりつづけて、こだわりを掲げて、

こだわらぬ線が引けるといいと思う。

 

10/31 記

 

●項の△△の言葉が、どうしても読めませんでした。

申し訳ございません m(_ _)m