加納石人の書
*火曜日、木曜日、土曜日に更新*
おくのほそ道
第33回
出羽路(尿前ー象潟)
しとまえーきさがた
大石田
最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。
爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、
芦角一聲の心をやはらげ、此道にさぐりあしして、
新古ふた道にふみまよふといへども、
みちしるべする人しなければと、わりなき一卷殘しぬ。
このたびの風流爰に至れり。
【現代語訳】
最上川を船に乗ろうと、大石田という所で日和を待った。
ここに古い俳諧の種が蒔かれて、今も昔の盛んだった時代をしたい、
辺土の朴訥粗野な風流ながら人々の心をやわらげ、
風雅を解するようになって、この道をさぐり足でたどり、
新古の二道のあいだに迷っているのだが、
指導する人がいないので、というので、
止むをえず歌仙一巻を残した。
今度の旅の風流は、こんな辺地での俳諧において極まったというべきである。
※『奥の細道 現代語訳・鑑賞』 山本健吉(飯塚書店)より引用させて頂きました。
☆彡
当時、最上川舟下りの起点だった大石田(山形県北村山郡大石田町)
でのエピソードです。
芭蕉は大石田に杖をとどめ、地元の俳人高野一栄宅に三泊しました。
それは、高野一栄と高桑川水が
芭蕉が当時めざしていた新しい俳諧(後に「蕉風俳諧」と呼ばれました)に
とりわけ熱心であったためです。
当初の予定では、大石田は最上川を舟で下る通過点でした。
その芭蕉を大石田にとどめた二人は、直接
芭蕉から俳諧の指導を受けました。
その記念として芭蕉から、高野一栄に残されたのが
歌仙「さみだれを」です。
さみだれをあつめてすヾしもがみ川 芭蕉
この発句で始まる歌仙「さみだれを」は、芭蕉が自ら筆をとり、
曾良・一栄・川水と四人でまいた歌仙です。
その巻末には、
「最上川のほとり一栄子
宅におゐて興行
芭草庵桃青書
元禄二年仲夏末」
と記されています。
芭蕉は、自分の俳諧理念が伝授された喜びに満ちていたのではないかと想像します。
旅の途中で、
俳諧の指導にも取り組んだ芭蕉の心意気に
眼を見張りました。
さてさて、次回こそ!
あの有名な句の登場です。
お楽しみに(^o^)丿