最近よく思うことだが、私はクマオ本人のことが好きというより、
クマオと過ごす時間が好きなのだ。
もちろん、それは、すなわちクマオのことが好きということになるのだろうが、
これまでクマオに女ができてから、数々の耐えがたい嘘や酷い仕打ちを私に
与えたクマオのことを、こんなふうに許し、今なおいっしょに時を過ごすのは、
やはり二人の時間がたまらなく楽しく、何を後回しにしても全く惜しいと思わないからに
ほかならない。
また、別の言い方をするなら、クマオといる時の自分が、何より一番自分らしく、
自分でも一番好きな自分になれている時間でもある。
クマオはどうだろう。
クマオは、私のことが好きなのかもしれない。
私という人間が好きなのだが、私以外の女といる時間が好きだったのだろう。
そこには、私との時間にはない刺激とセックスがあった。
その時間の中で、クマオは、クマオ自身が理想とする男の姿に変身でき、
それを称賛され、女をも喜ばせることができる。
それはそれで、やはり特別な時間なのだろう。
私にあと時間がどれぐらいあるのだろう。
こんな言い方をしてはいるが、別に余命宣告されているわけでもない。
ただ、持病がある。無理をするとすぐに調子が悪くなる。
年齢もおおよそ還暦だ。普通に元気な人でもそろそろ考える時期だ。
「クマオさん、私、いつまでこんなふうにクマオさんと楽しめるかな」
「あほか!ずっとや。ずっとずっとりこは元気でおる!」
「でも、普通に考えて私の方が先に死ぬだろうからさ」
「あかん!オレの方が先に死ぬ。オレを看取ってくれるんやろ」
毎回こんな話題になると、きまってこういうやり取りになる。
クマオといっしょに楽しい時間を過ごせないなら、
私は生きてる意味がないと思う、
クマオはどうであれ私に生きていてほしいと言う。
この差なんだな。