驚愕のセシウム汚染、首都圏が危険 | masaaki Suzukiのブログ

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2011年3月11日に発令された『原子力緊急事態宣言』は2021年現在も解除されておらず、今後100年は無理。大手メディアは政権とグル。
この基本が理解出来ないと言ってる事はわからない。

放射能汚染についてのテレビでの報道は最近、更に減ってきたように感じる。
野田元首相の『収束宣言』の嘘から1年と半年が過ぎようとしているがフクイチの
収束のメドも未だに立たずもちろん放射能はただ漏れなので当然と言えばば当然かもしれないが
先日、ショックな事があった。

茨城県牛久の親戚の家の庭の同じ場所を約1年ぶりに測定したら数値が3割以上、上がっていた。
0.336μSv/hだ。
GW中の出来事だが地元の新聞の数値と比較したらほとんど倍以上だ。
風向きにより土壌にたまったセシウムが再飛散したのか原発からの新たな汚染かは判別出来ないが
風などの気象条件により汚染が高くなる事は容易に想像がつく。

日々の生活をしているとテレビの報道が少ないのでつい放射能汚染は既に終わった事と勘違いする人が
多くなっている気がする。
いや、あえてみないように考えないようにしているのかもしれない。
放射能は目には見えないので本当に厄介だ。

日刊ゲンダイの4月の記事、こちらも深刻だ。

首都圏「水がめ」 驚愕のセシウム汚染 実に基準値の1420倍 (日刊ゲンダイ)

事故前の基準の実に1万4,200倍だ。


少し前の記事で書いたが測定されてるのはほとんどがセシウムのみでストロンチウムなど300倍危険な核種はほとんど測定されてない現状がある。

ストロンチウムの恐怖

首都圏に住んでいる人は福島でもまだ人が住めるのだからこちらはまだましだと勘違いされてる人も多いと思うが
ひとくくりに『フクシマ』ととらえて欲しくない。
先日、友人が福島県のある地域に行き測定をしてきたら松戸や柏などよりよほど線量が低い地域も普通にある。
もちろんその逆もあり驚く程高濃度の汚染された地区もある。
都内でも測定器を積んで車で走るとよくわかる。5分の走れば数値が倍違う場所もざらにある。
放射線はやはり数値でみるしかない。

汚染食材による内部被曝は更に深刻だ。

食べ物と飲み物の基準値が高過ぎる。
日本の食べ物の基準値100ベクレル/キロは異常だ。
国際法原発の排水基準はセシウム 90ベクレル/リットル。
政府は国民に排水基準値以上の食べ物を食べさせて故意に人口削減をしようとしてるしか思えない。

小さなお子さんがいる方は特にまず自分のお子さんの被曝対策を考えて欲しいと心から願う。
年寄りがよく言うのだから自分はもう先が長くないからもう諦めていると。
それは自己責任だから食べて応援するのは勝手だ。しかし自分の孫や子供達の事を少しでも
考えるなら無責任な事を言わないで欲しい。
本当にお子さんが可愛くって大事ならまず何をすべきかを真剣に考えて欲しい。
自分の子供の体調が悪いと心配しない親はいない。
しかしそれが放射能の影響だと因果関係をハッキリさせる事は正直、難しい。
でも本当に自分の子供が可愛いなら少しでもそのリスクを減らす努力をして欲しい。
人間は結局、痛い目にあわないとわからないのだと最近諦めモードになっていたがそれじゃダメだと思い直した。

社会全体で子供を大切にしないこの国に希望はない。
人間は希望がないと生きていても辛いだけだ。
徴兵制度を復活させようとする動きがあるがフクイチの事故の収束のメドすらたってないので近い将来的に
人員が不足する事は目にみえている。
チェルノブイリの事故の時のように戦争に行くかフクイチで作業をさせるかの選択を迫られる時期が来るのかも
しれないと考えてしまう。

日本国憲法の前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。