「琉球民謡」と「奄美民謡」・・・

線引き的には「奄美大島」や「徳之島」などの「シマ歌」は「日本民謡」のカテゴリに入ることが普通です・・・

よくいわれている「南奄美」の「沖永良部島」や「与論島」の「シマ歌」はどうかと言うと・・・

「シマ歌」としてやっていらっしゃる方は「日本民謡(鹿児島県奄美群島民謡)」として扱われることが普通ではないかとおもいます・・・

ただし「琉球民謡や琉球古典」を習い、学び、「シマ歌」を「琉球民謡的に演奏」なされている方は「沖縄(オキナハ)をやっている方」と、見なされやすく、実際に「シマの三絃(サンシルやサンシヌ)」の奏法ではなく「琉球民謡の奏法」をなされている方が多いかとおもいます・・・

よく「沖永良部島」や「与論島」は「沖縄と同じ三線を使う」などとの記述をよく見かけますが、根本的に戦後「沖縄からの三線やその資材が直接入っていた与論島」は早くから「沖縄化した」ようですが、「沖永良部島」の場合は「沖縄三線のように沖縄絃を張る人が多い」半面「古くからシマ歌が盛んな地域」を中心に「黄色い奄美絃」を「シマジル」と呼びながら、俄然奄美色が強い地域もありますし、個人もいます・・・

「沖永良部島から琉球音階」との記述も良く見ますが、そうではなくて「先島諸島と同様に律音階の曲が多い」の間違いだと感じています・・・

また、奄美大島や徳之島からの流れ系の「シマ歌」を聴くと「奏法も系統もやはり奄美」だと思われるのです・・・

古い音源を聴くと「より奄美らしさ」が深く感じられて「琉球文化圏内だが沖縄民謡と同じでは全く無い、これはシマ歌だ」と強く感じるのです・・・

「沖永良部島」の昔の「流行り歌」に「ミヤコ節」という「シマ歌」があります・・・

これは奄美大島の「(流行り)朝花節」が「律音階で沖永良部島のシマの奏法」に化けたものです・・・

「徳之島」にも「唐船どーい」的な歌はありますし、琉球型の「口説もの」はかなり盛んですし、沖縄で言う「かぎやで風節」に当たる「島御前風」なら「沖永良部島」にも「徳之島」にもあります・・・

明治、大正時代なら「奄美大島」の各地の「琉歌体」で「かぎやで風節」のような「チリケーシ(切り返し)」を持つ「祝い歌」も「御前風」とか「御膳風」などと呼ばれていたそうです・・・

「奄美民謡」は「鹿児島県の奄美群島のシマ歌」であり、「日本民謡文化圏」にあることがおおいですが・・・

だからといって「境目は徳之島と沖永良部島の間」みたいな「決めつけ」は「わかりやすく」はなりますが、「奄美群島の民謡であるシマ歌」を考える上で「本質的な部分をあやふやにしている」ような気がしてなりません・・・

「奄美群島のシマ歌」は「村落ごとに」また「人ごとに言葉もメロディも違うもの」であることを念頭に置いて考えることも重要だと思うからです・・・

そんなにも「難しい」からこの趣味を辞められないのが私だったりしますが・・・