卵子提供というものを現実として知ったのは野田聖子さんの出産を通じてだと思います。
それまでは、生殖技術に関するニュースやフィクションのなかでしか知らなかった卵子提供という妊娠・出産方法を、それなりの現実感を伴って認知することとなりました。
その時の私の印象としては、「そこまでして母親になりたかったんだなぁ。えらいこっちゃ」くらいのもので、出産するまでの過程の過酷さ(当時の私にはそう感じられました)や、出産後の前途多難であろう日々(ここについてもそう思ってしまいました……)を思うと、自分にはここまで母親になりたいという熱意はないな。いやー、やっぱり政治家をやるような人は人生に対する熱量がすごいなー、と完全に他人事のようにその出来事を捉えていました。
いっぽう、当時子育て真っ最中だった友人は、そのニュースにハッキリと眉をひそめていました。
「あんなふうに子どもを産むなんて親のエゴだ」と彼女は言っていました。「彼女は母親という称号を手に入れたいだけ。生まれてくる子どものことなんてろくに考えてない」
言い回しはちょっと違ったかもしれませんが、だいぶ辛らつな物言いだったで印象に残っています。野田さんの息子さんが、大変な状況で産まれてきていたことも、彼女の憤りを強くしていたのかもしれません。私もその点においては、子どもさん大変そうだな、と率直に思ってしまっていました。生まれるなり手術、手術で、命の危機にさらされながら成長していくって、当人にとっても相当しんどいことなんじゃないのか……?
でも、私はそれから、野田さんのブログをちょくちょく見に行くようになって、息子さんの成長を目の当たりにするようになりました。それで印象が変わっていきました。
息子さんは、確かに大変な日々を過ごしていましたが、そんななかでもよく笑っていて、自己主張もしていて、日々出来ることが増えていっていた。そんな子のことを、親のエゴがどうとか、しんどいんじゃないかとか、そんな言葉で語っていいものか、と思うようになったのです。
彼自身が自分をどう語るかは自由だけど、第三者が(まあ思ったり、本人に伝わらない場所で口にする程度の自由はあっていいと思うけど)彼の出生についてとやかく言うのはいかがなものか、と。
普通に、ご出産おめでとうございます、でよかったんじゃないか、と――。
今思うと、当時の私の友人も、子育ての大変さの只中にあったので、自分の現状と大きく異なる野田さんの子育てについて(つまり卵子提供云々だけではない)、思うところがあったのかもしれません。だから、今の彼女に聞いたら、当時とは違う意見を言うかも……、とも思います。もう10年ほど前のことなので……。
とにかくそういう印象だった卵子提供が、今回不妊治療をはじめたことをキッカケに、私の前にも現実問題として現れました。
不妊治療のブログを読んでいるなかで、卵子提供という言葉をちょくちょく目にしたのです。
元々卵子提供というと、アメリカで一千万円ほどかけて行うもの、という先入観があったのですが、そうではない選択肢もあって、実際それでお子さんを授かっている方もいる――。
それで、いつものごとくちょっと本能的に思ってしまったんですね。
この方法なら、可能性はあるかもしれない。
だから採卵後診察の際、先生に聞いてみました。
「卵子提供だったら、私でも出産出来る可能性はあがりますか?」
先生は忌憚なく「それはそうでしょうね」とおっしゃいました。「20代の方の卵子であれば可能性は十分にあります」
特に私をたしなめるでもなく、淡々と他の説明もしてくださいました。卵子提供による妊娠のおおよその確率、着床前診断のこと、それを行った上での妊娠の確率、卵子提供を受けるために必要な検査、等々――。
「不妊治療はご夫婦の考え方なので、どうしても自己卵でというなら今のような治療を続けていくしかないし、ご主人だけの遺伝子でもというお考えなら卵子提供を考えるのも手段としてはアリです」
そうか、と思いました。アリなのか。
それで夫に相談してみました。