今日は、ゆったり~、ダラダラお家にいるはずが、映画見に行こうとお隣で。
「21世紀の資本」、観てきました。
 
一大ブームを巻き起こしたトマ・ピケティの経済学書、「21世紀の資本」。
百年に一冊の名著なんだけど、700ページを越えるその本は全然読めなくて。。。。
「r > g(資本収益率 > 経済成長率)」
記憶にあるのは、「資本収益率が経済成長率を上回る時、格差が生まれる」という文言だけ。
それが105分で、気軽に観られるとは、なんて素敵。
 
著者のピケティ自身が監修、そして出演していました。
大好きな映画『プライドと偏見』『レ・ミゼラブル』や『ウォール街』『ザ・シンプソンズ』etc...
映画やアニメ、小説、ニュースを取り入れて、フランス革命以後19世紀から21世紀に至るまでの歴史を
“資本”の観点から切り取ってます。

1%の貴族が富を支配していた18世紀フランス。
平均死亡年齢が17歳だったとは。。。衝撃でした。
現在は1%の富豪が地球上の富の99%を所有しているって。
生活水準は中世の頃よりは向上したかもしれないけど、
中世以上に酷い格差のある社会のように思えます。
 
資本主義経済は「貧しさを貪る」ことによって成り立っているようです。
労働所得より、不労所得が約5倍ほど効率が良く、お金に仕事をさせないとお金持ちになれない社会。
本来労働者が手にすべき賃金は労働者に分配されずに、企業の取り分が増加している現状。
所得成長率(約1%前後)より資本収益率(約4~5%)が高いため”持つ者”はますます豊かになり、
”持たざる者”はますます貧しくなるという事実。
かつては一億総中流と言われていた日本でしたが、最近は格差がボディブローのように効いてきてます。
コロナ禍で苦しい状況に追い込まれている人も多い中、米富裕層の資産はコロナ禍3か月で62兆円増えたそうです。
 
感想をきちんと言葉にするには知識が足らない私ですが、
物質的な欲望に囚われる限り、家畜は家畜に過ぎず、1%の金持ちによってコントロールされ続けるんだろうなと。
そういう意味では身につまされる映画でした。
1%のキリギリスさんが遊んで暮らすために、99%のありさんにはなりたくないなと。
 
ほとんどのニュースは情報操作され、何も疑わず、何も考えないでいる大衆。
かつてないほど格差が広がりつつあるという事実を目にして、
管理された社会で家畜として生き続けるのか?
はじめから、金持ちと貧乏人の設定で行った人生ゲームの実験が今の世の中の縮図のようで印象的でした。
映像で学ぶ経済学もたまにはいいかもと思った映画。
重しに使われている我が家の「21世紀の資本」。
ちゃんと読んでみようかな。

 
最近、考えさせられる映画を観ることが多いように思います。
先日観た映画「コリーニ事件」もそうでした。
胸にズシンとくるいい映画。
見応え十分、120分があっという間に感じられた作品でした。
 
2001年のベルリンが舞台、弁護士歴3ヵ月の新米弁護士カスパー・ライネンが
殺人事件の犯人の弁護を引き受けてたのだが、被害者は少年時代からの恩人で父親代わりのような人だった人。
大きな負の歴史を背負っているドイツならではの話です。
 
イタリア、トスカーナの自然やドイツの裁判所の建物等、映像がとっても美しいのに、
内容はドイツの深い内省、重厚感いっぱい。
解けていく謎に裏切らない面白さを感じました。
沈黙を守るフランコネロの、表情で語る演技も最高でした。
魂を揺さぶられるほどのストーリー。
人間の持つ負の心が悲しい。
人間は自分が見たいと思ったものしか、見ようとはしないし、見なかったものは、なかったことにする。
不都合な事実は、誰もが闇に葬ろうとする。
そんな不都合な事実を、陽のあたる場所へと引きずり出してみせたカスパー。
 
68年の悪しき法律が明かされた後、コリーニは自害。死者は復讐を望まず。
法廷で”有罪”だったという言葉を聞いた時、初めて決着が着いたのだと。
そして自分が犯した罪と向き合うことが出来たのだなと思いました。
ラスト泣けてきました。
いい映画を観たなって感じでいっぱい。
 
 
映画館を出てまっすぐ本屋さんへ。
フェルディナント・フォン・シーラッハという方の小説が原作です。
ドイツ国内では、原作発売後に過去について調査委員会が設置されるなど、
まさに国家を動かした世界的ベストセラー小説だとは。