私の元から離れていったあの子は、
今頃どうしているだろう。
良い人に出会えたろうか。
ひどい目にあってないだろうか。
私には、それを見守る術さえ、もう無くて。
あの子が幸せであるように。
あの子が幸せを振りまくように。
ただ想うばかり。
ただ祈るばかり。
昨日、神社ミッションしましたという報告ブログを上げましたが、
1万円を賽銭箱に放り込んで2週間ばかりの現在、心境はこんな感じです。
自分でいうのも難ですが、
20代の頃から結構いろんな慈善団体や自然保護団体に寄付してます。
今も毎月お金を送っているAPOPO(タンザニアにある地雷撤去してる団体。日本語Wikiはこちら)には、もう10万円くらい寄付してるんじゃないかなぁ。
あと感動しやすいので、路上パフォーマンスにも結構お札で払います。
寄付の方はよく「偉いね~」って言われます。
路上の方はよく「いや、それはちょっと…」って言われます。
でも払ってる私の思うこととしては
「地雷撤去に勤しむ若者とHeroRat(地雷探知ねずみ)が、
このお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ」であり、
「素敵なものを見せてくれたパフォーマーのにーちゃんが、
このお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ」であるので、
なんら違いを感じてません。
さらに言ってしまうと、
「収賄・横領が日常のアフリカで、
まともに私のお金は使われるんだろうか…」とか
「あの金使って、
にーちゃんがパチンコにぶっこんでしまったらどうしよう…」とか
ふと心配してしまうのも一緒です。
出してしまったお金は、
私が期待するうような使われ方するとは限らないのです。
で、神社ミッションです。
昨日書きました通り、
欲しい物を見るたびに、賽銭箱に入れた1万円が頭をよぎります。
よぎりますが。
最近はよぎった後に、ふと、思うのです。
あの1万円札は、今、どこにいるんだろう、と。
お賽銭ってまず社務所に行くのかな?
神主さんや巫女さんのお給料?
巫女さんだとしたら、あの1万円で何を買うのかな?
洋服かな? 雑貨かな? それとも家賃の足しかしら?
その後はどこに行くのかな。
店員さんの財布かな。大家さんの金庫かな。
なんでも良いけど、役に立ってるといいな。
できたら、嬉しいことに使ってくれたらいいな。
そうだなぁ、あのお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ。
……………。
おや?
そうなのです。
辿り着いた場所は、同じだったのです。
下心が全くなかったとは言いませんが、
願掛けもせずに放り込んだ1万円。
その1万円について思いを馳せることは、
会ったこともない、何をしてるかも知らない、
見ず知らずの誰かの幸せを祈ることでした。
心配になるのも全く一緒です。
賽銭泥棒が持ってって、頭が痛くなるだけの安酒を買うかもしれません。
だけど手を離れてしまったら、祈るより他ありません。
それこそ、神様に。
この境地が、祈りが、私が神社ミッションで得たものかもしれません。
私の元から離れていったあの子は、
今頃どうしているだろう。
良い人に出会えたろうか。
ひどい目にあってないだろうか。
私には、それを見守る術さえ、もう無くて。
あの子が幸せであるように。
あの子が幸せを振りまくように。
ただ想うばかり。
ただ祈るばかり。
願わくば。
あの子の旅路に、笑顔溢れんことを。
あの子が喜ぶ、笑顔の私でいることを。
祈りには、力がある。
だから、きっと。
今頃どうしているだろう。
良い人に出会えたろうか。
ひどい目にあってないだろうか。
私には、それを見守る術さえ、もう無くて。
あの子が幸せであるように。
あの子が幸せを振りまくように。
ただ想うばかり。
ただ祈るばかり。
昨日、神社ミッションしましたという報告ブログを上げましたが、
1万円を賽銭箱に放り込んで2週間ばかりの現在、心境はこんな感じです。
自分でいうのも難ですが、
20代の頃から結構いろんな慈善団体や自然保護団体に寄付してます。
今も毎月お金を送っているAPOPO(タンザニアにある地雷撤去してる団体。日本語Wikiはこちら)には、もう10万円くらい寄付してるんじゃないかなぁ。
あと感動しやすいので、路上パフォーマンスにも結構お札で払います。
寄付の方はよく「偉いね~」って言われます。
路上の方はよく「いや、それはちょっと…」って言われます。
でも払ってる私の思うこととしては
「地雷撤去に勤しむ若者とHeroRat(地雷探知ねずみ)が、
このお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ」であり、
「素敵なものを見せてくれたパフォーマーのにーちゃんが、
このお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ」であるので、
なんら違いを感じてません。
さらに言ってしまうと、
「収賄・横領が日常のアフリカで、
まともに私のお金は使われるんだろうか…」とか
「あの金使って、
にーちゃんがパチンコにぶっこんでしまったらどうしよう…」とか
ふと心配してしまうのも一緒です。
出してしまったお金は、
私が期待するうような使われ方するとは限らないのです。
で、神社ミッションです。
昨日書きました通り、
欲しい物を見るたびに、賽銭箱に入れた1万円が頭をよぎります。
よぎりますが。
最近はよぎった後に、ふと、思うのです。
あの1万円札は、今、どこにいるんだろう、と。
お賽銭ってまず社務所に行くのかな?
神主さんや巫女さんのお給料?
巫女さんだとしたら、あの1万円で何を買うのかな?
洋服かな? 雑貨かな? それとも家賃の足しかしら?
その後はどこに行くのかな。
店員さんの財布かな。大家さんの金庫かな。
なんでも良いけど、役に立ってるといいな。
できたら、嬉しいことに使ってくれたらいいな。
そうだなぁ、あのお金で美味しい物でも食べてニコニコしてくれたらいいなぁ。
……………。
おや?
そうなのです。
辿り着いた場所は、同じだったのです。
下心が全くなかったとは言いませんが、
願掛けもせずに放り込んだ1万円。
その1万円について思いを馳せることは、
会ったこともない、何をしてるかも知らない、
見ず知らずの誰かの幸せを祈ることでした。
心配になるのも全く一緒です。
賽銭泥棒が持ってって、頭が痛くなるだけの安酒を買うかもしれません。
だけど手を離れてしまったら、祈るより他ありません。
それこそ、神様に。
この境地が、祈りが、私が神社ミッションで得たものかもしれません。
私の元から離れていったあの子は、
今頃どうしているだろう。
良い人に出会えたろうか。
ひどい目にあってないだろうか。
私には、それを見守る術さえ、もう無くて。
あの子が幸せであるように。
あの子が幸せを振りまくように。
ただ想うばかり。
ただ祈るばかり。
願わくば。
あの子の旅路に、笑顔溢れんことを。
あの子が喜ぶ、笑顔の私でいることを。
祈りには、力がある。
だから、きっと。