びまん性汎細気管支炎確定診断後に2回目に増悪入院し最終点滴が抜けたのが22日深夜だか23日深夜
看護師が終わりましたよ
2週間びっちり長かったねって
やっと治療が終わった!
明日から自由に動ける
明日CT撮影して画像次第やっていう気持ちだった
しかしあとから聞いたら彼がみまかったのが時間不明ながら同じ日だった
22だか23だか?
何方も私にはもう大切な日になった
もしかして彼が助けてくれたのか?
たまたまなのか?
私のびまん性汎細気管支炎が確定になる1年以上前に彼が仕事中に目眩
即座に運転止めてコンビニから同僚に迎えに来て貰い休みに総合病院の脳神経外科へ
彼は工業大学卒だからしっかりしていて
この手の目眩は只事では無いと既に察知していたらしい
MRIは結果は脳腫瘍
それも一番タチの悪い膠芽腫
通称グリブラ
余命は3年5%くらい
じわじわと脳細胞に黴が蔓延る様に染み渡り増殖しあらゆる治療が効かないにひとしいと
まるでスポンジに水がしみる様にとのこと
症例が少なく様々たから抗がん剤もやってみないと分からない状態多数
私は脳腫瘍て塊で手術して摘出出来たら助かるのかと思っていたらそんなたちが悪い腫瘍が有るなんて知らなかった!
苦しまないで眠る様にとは聞いたが本当の事は分からない?
親なら話したくない場合も有るし
寛解し自宅に帰り小さいハンターカブにリハビリがてら乗りたいといってたのが最後の電話だったが自分が自分でなくなるのが怖いとも云っていた
のちに地元病院の緩和ケア病棟に入ったらしいが全く知らなかった
私も退院後にバタバタし
夏前に気になり実家に電話したら亡くなりましと母上から聞いてびっくりした
亡くなったその日が丁度私の2回目入院中の上記の点滴治療終了日にだったのにびっくり
なんだか私の身代わりに逝ったみたいな気がする
もうなんとも云えない気持ちになった
秋に墓参りに行きました
酸素ボンベ気にしながらかなりの距離だったが
多分最初で最後だろうと…
あとは我が家から手を合わせるしか有りません
毎月22日には手を合わせてるし何時も思い出さない日は無いくらいだ
二人で走った美しい景色や美味かった食い物やらを楽しく今も思い出す
私があちらに逝ったらバイクに乗ろうや!
しかしあちらにバイク有るんか?
癌は元は我々の細胞なのに我々を殺すなんて癌が憎くてたまらないわ!
まだ若かった
しかし彼は嫁さん子供が居ないのがせめて救いですって云ってた
しかし我々はこの人の体を捨て人を超えた世界にいっぺんは行かないといけないから仕方有りません
早いか遅いか
若いか年寄ってからか?
幼く死んだら可哀想と嘆かれる
99歳なら大往生だと人は云う
げに人間とは実に身勝手な存在だ!
2回死ねとは云われないんだから仕方無い
分からないだけで末期の病気やなくても
ゆっくりゆっくり死に向かって日々進んでいるのは髪や爪が知らぬ間に伸びてるのと同じ
ある日気付くだけ。