アラブ人は道でおばあさんが倒れてもなんとも思わない。


なぜなら


それはわたしには関係ないから


という話をyoutubeで聞いた。





ううーむと考えた。


実は先日、散歩中に前方から来た子どもが転んだ。


その横をわたしはすっと通り過ぎた。


実にわたしには関係ないことであったが


そのことがどうにも心に引っかかっていたからだ。





「困っている人を助けなくてはならない」


という民法のどこにも書いてない強行規定としての呪いがわたしの中にある。


その時、その道はとても狭くておまけに坂で


子ども2人は手足をガチャガチャさせて飛び跳ねるように歩き


その後ろに大きなベビーカーを押している母親がいた。


横は車道だったのでわたしは駐車場によけてその母子集団の通過を待った。


ノロノロと進まない母子集団


そこで飛び跳ねていた子供が転び


面倒臭くなったわたしはささっとその横を華麗に通り過ぎた。


やっと先に進めて正直気持ち颯爽であったのに


なぜこの場面がうじうじと脳裏に浮かんでくるのか


と考えていたのだ。


アラブ人になればこんなこと考えないんだなーと思い


彼らはどんな価値観なのかをちょっと調べてみた。





①生産様式・・遊牧民なので時間軸は現在にとどまりやすく、過去や未来はあまり考えない


②生活様式・・神と人の契約なので、人同士は対等という考えが基本にある


③集団様式・・部族型であり、経済的には個の遠心力が働き、社会的な意義となると集団の求心力が生じやすい

「アラブの行動原理」片倉もとこより





と、日本とは異なる土地、歴史よりかなり異なる価値観の様です。


古典などから日本人は過去や未来や自分以外の他人や季節のことまで考えてるし


もともと八百万の神さんは契約なんて固いこと言わないし


日本は国自体が大きな村で個は集団に埋没している。


近代の西欧化で多少個人主義も台頭しているが


日本の基本は村意識である。


村のオキテに反したら村八分になる。


私の中に刻まれたDNAの記憶はなかなか消えそうにない。


が、このような出来事の度にうんざりするのはごめんなので


わたしの中に入った様式のカセットをガチャっと入れ替えるよき方法を考えている。


入力=出来事


から


出力=反応


に至る


ブラックボックス=判断基準、価値観


を入れ替えることは困難であろうが


やってやれないことはないような気がする。







修道院の生活なども参考にして


新しい価値観の入れ替えをしています。


アメリカ同時多発テロの消防士たちのyoutubeも繰り返し観て


自分のことばかり考えていた愚かな人生を顧みています。





少し前まで人生は30年〜40年でした。


わたしは2回目の人生も終わりに近づき


少しだけ他者がわたしの中に存在をはじめ


ようやくマシになりつつある。







さて

これからどんな生き方をしていこうかな?