9才か10才位の頃、不思議な感覚がありました。


それまでは小学館の少女コミック派でしたが


畑の違うマーガレットを読み出した頃で


なんかボーダーを超える感覚がありました。


映像ではなくて感覚なのですが


未知の領域を大きく超える不安とワクワクした感覚がありました。


それが最近半世紀ぶりにあるのです。


身体の老化が始まり


わたしの時間もあと10年くらいなのかなと感じています。





先週は3日ズル休みをしました。


その間に公的機関へ相談に行きました。


そろそろ本試験への態勢に入りますが


去り際について第三者の意見を聞きたかったのです。


刑事、民事、労訴それぞれ立証責任は訴えた側にあり


それぞれにかける労力や経済的負担などを総合的に考慮する必要があります。


わたしのこれから数ヶ月の一番大きなミッションは本試験に受かること。


相談しながら


わたしが一番引っかかってるのが日々されるいやがらせへの感情的なものであることがはっきりわかりました。


いやがらせをパワハラとして立件するのもアリかもしれませんが


こういうことは世の中に多いであろうことも推察でき


それよりも


このような細かいコトをスルーして


より自分が注力したい大きなことへ視点を変える練習なんだと考えるようになりました。


日御碕灯台から見下ろした光景を思い出しながら。







実に


日々の細かいいやがらせとか


それに反応している自分の感情が


どうでもいい‼️





あとどれくらいこの世界に居られるのだろう?


その間、


わたしは何をしたいのだろう?


肉体に時間制限があるから


やりたいことが明確になる。


いつまでも時間が続くとしたら


人は何もやらないのかもしれません。