当事者の人はどの様に考えてるのかな?と知りたくなったので


以前、LGBTの会とかを探して何度か参加したことがあります。





そこで何人かとお話した中で印象的だったのは


戸籍上女性だけど男になりたいと言っていた小柄な若い方でした。


前月に乳腺除去手術をしたばかりで、


電車の吊り革を持つ時に痛いと仰ってました。






「手術をして幸せになりましたか?」とわたしが聞くと


その方はふと考えて


「お風呂あがりに鏡に写った時うれしいです。


でも、その数秒だけです。」


と答えてくれました。


一日のうち、


あとの23時間59分55秒は幸せではないそうです。


「手術をしても、生まれつきの男性の様な骨格と筋肉にはどうしてもなれない。それが悔しい」


と最後に言ってました。






その時わたしは


現代は自分の意思で選べることが増えてしまって


欲望は果てることがないから


選べる可能性だけ現実が追いつかなくて


人は余計に不満がつのり、不幸になっていくんだ


と思いました。


けれど、今日ヤフーニュースでこの記事を読んで


次のように感じました。






人はどこからしら「生きにくさ」を感じています。


それが通常よりも強かったりすると


生体はその不快さをなんとか除去しようとするでしょう。


その時、焦点が当たってしまったのが自分の性別への違和感だった。


けれど


たぶん「生きにくさ」の原因は複合的なもので


性別への違和感を取り去ったとしても


それで全部解決とはならないんじゃないかな?






世界に自分だけしかいなかったら、


たぶんそこまで自分の性別にはこだわらないでしょう。


他者からの目、自分の他者への目があるから


性別にこだわるのでしょう。


つまり人がいっぱいいる社会の中で生きている自分


その居心地の悪さに性別以外の要因はないかと考えてみる。






苦しみの最中にいると、問題に焦点が集中してなかなか視線を逸らすことができませんから


これが難しいですね。


けれど


自分がこだわっていること以外にも視線を投げかけてみる


人生にはそんな余白が必要で


でも、


当事者だからこそ、その余白を持つことが難しいんだろうと思いました。