きのう、ブロ友のあおいさんから


「どこへ行くんですか?」


というコメントをいただき


ハッとしました。









試験に合格したり


なにかをがんばったり


なにかと闘ったり


ついわたしは力んでしまいます。


でも


わたしはどこへも行かないし


「わたし」さえ


記憶や思考の塊で存在していない


身体がなくなったら


この思いやこだわりはきれいに消えます。







時々思うのは


いま居るこの場所には


これまで数えきれない人間が死んでいったのに




その人たちはキレイに消えてしまっている




ということです。


親族とか身近な人であったら


数年から数十年単位で身近な人の記憶には残るかもしれませんが


これも100年を超えたら


公園とかにある銅像の人が残る程度


でもこれさえ


風化という自然現象で形は消えていく。


そんなことを考えると


何か対象を特定してがんばったり苦しんだりって


そんな自分の力みかたって要らないなーと思う。







何かを志向していると


俯瞰して全体を見れなくなります。


そんな時に




「どこへ行くんですか?」




ってツッコミ(あおいさんは単に目的地を聞いただけ)が


根源的哲学的なとてもナンセンスな問いで


わたしはウケテしまって





どこへ行くんだろうかわたしは?


なにをしてるんだわたしは?




と自己に問いかけると


更におもしろくなっています。