猫の日に立川や東京駅や銀座などぶらぶらして帰ったら

 

のんたんの体調が悪くなっていました。

 

何度も吐いて

 

毛玉がたまったかな?と思って

 

その晩は両腕でぎゅうぎゅう抱いて寝ました。

 





翌日吐き気がおさまってると思ったら

 

午後また吐きました。

 

近所の動物病院を調べましたが天皇誕生日でみんなお休みでした。

 

吐いてよろよろになったのんたんを見て

 

あと10年以上は一緒にいられると思っていたのに

 

もういなくなってしまうのかもしれないとぞっとしました。

 

以前、なんどかお会いしたことのある獣医さんをネットで探して

 

どう対応したらいいですか?と突然メッセージを送ったりしました。






両手を当ててのんたんの悪い気を吸い取って地面に流したりしましたが

 

わたしは超能力があるわけではありません。

 

出雲の日御碕神社さんの御砂守りにお願いしました。

 

交通事故などの外傷にも効くという御守りです。

 

わたしはのんたんがいってしまうのを止めることはできない

 

もうちょっと一緒にいたいなあと思うけど

 

のんたんのいく時間なら無理やり止めることはできないなあ

 

すごくかなしいけど

 

神さまに頼むしかないなあと日御碕神社さんにお願いしました。

 

そして夜が明けるとのんたんの体調が良くなりました。

 

 



日御碕神社の御守りがあるから大丈夫

 

そう信じていたから、そうなったのかもしれません。

 

もしかしたら本当に日御碕神社から神さまがうちに来て助けてくれたのかもしれない

 

あるいは

 

のんたんの体調のリズムがたまたまでこぼこしてただけかもしれません。

 

 

 



事実はこのどれかはわかりません。

 

ただ

 

新入りのねこさんだったのんたんが

 

わたしにとってこんなに大切な存在になっていたのだということが

 

わかりました。

 

 




さいきんわたしはズレていたことに


ようやく気づきました。

 

特に大きなストレスはないけれど

 

日々地味な条文を読んで


自分が理解してるのかいまひとつ手ごたえがなく

 

確実に試験の日は近づいてきます。





また

 

どうでもいいことがいちいち気にさわります。

 

銀座を歩けば「どこぞやの企業が猫を虐待している!」という叫び声が聞こえ

 

ビットコインが上がったとか下がったとか

 

数日前まで231円だったあずきが253円になっていて「この前購入せずに損した」と思ったり

 

実に、


それぞれに対し


いちいち反応している自分がいました。

 

でもね

 

これらは実にどうでもいいことでした。





ぼやけた意識がきりっとして

 

視界がきりりと鮮明にひらけました

 


ほんとうに大切なことって

 

どうでもいいことの中でぼやけたりしてしまうんですね。

 


今回ののんたんの体調のことで

 

わたしはなんにもできないという事実と

 

のんたんがいなくなったらわたしも生きてるのタルいなという自分の本音に気づきました。

 

 



 

わたしの意識は何ができるのでしょうか?

 

肉体という物理的な箱に、わたしという意識が入ってるとしたら

 

わたしの意識は念は何ができて


なにができないのでしょう?

 

外界の事象に摩耗してほんとうに大切なことを忘れてしまうようなわたしの意識は

 

ほんとうにわたしの意識なのでしょうか?

 

外的事象に惹起された単なる生物的反応にすぎないかもしれません。

 

何かを望んで

 

それが外的状況に反映されるというのは幻想なのでしょうか?

 

 




時にこのようなバランスを崩すような出来事によって

 

やっと

 

自分の軸がずれていたことに気づいたりします。

 

そんなとき自分は実に愚かだと思います。