お久しぶりです。
この記事は別部屋で一旦UPしたのですけど、チャミの方で上げたいと思い直しこっちへ来ました。
1月30日のブログです。
この続きも書きたいと思ってます。
今も変わらずにまーくんと嵐が大好きな皆さんへ、思いを込めて。
昨日、大好きな友達の訃報が届いた。
入院していた病院からご家族が連れ帰り、自宅で眠っていると聞いて、今日会いに行って来ました。
嵐が大好きで大野君担。
部屋には大野君の大きなポスターがフレームに入れられて飾られていた。
おおちゃん、おおちゃんと、熱く語っていた。
嵐メンがジュニアの時からの大野君ファン。
私の嵐先輩だから知らないことたくさん教えてくれた。
抗がん剤の副作用で身体が痛むのを我慢して嵐コンへ行ったことがある。
いつまで生きてられるかわからないからって…
痛みでようやく両脇を家族に支えられながら歩いているのに、どうしてもドームシティのジェットコースターに乗りたいと順番を待っていたら、帽子は危ないので取って下さいと係の人に言われて、でも抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜けてたから帽子は取りたくない、でも規則だからやむなしとサッと帽子を取ってパーカーのフードをぎっちりと被って頭を隠して乗ったんだよと笑いながら教えてくれた。
楽しかったー!!
って嬉しそうに言ってた。
その話を私が聞いた時はすっかり元気になってて、「いつまで生きられるかわからないから」という言葉も私には空想に聞こえてた。
実際、治療を終えて5年が過ぎ特に再発もなく、さらに10年経ってるからもう大丈夫だろうと彼女の死など全く想像していなかった。
嵐が活動休止を発表した時は二人ともショックで、これから何を生きがいに生きていけばいいんだと嘆きあった。
私が嵐ファンになってからは、ずっと二人で嵐の話ばかりしてた。
ジャニを毛嫌いしてる私が嵐が好きになったと伝えたら驚いてた。
昔の嵐のこともたくさん教えてもらった。
友達はブレイク前の嵐のコンサートに何度も行ってて、国立にも行った。
大好きな嵐に何度も会えて嬉しかったよね。
きっと嵐の復活をずっと待ってたよね。
今日、棺に眠る友達を囲みながら、姪っ子ちゃんが「もっと嵐の物(棺に)入れてあげた方がいいかな?」と言ってた。
私はもう嵐降りちゃったけど、友達はまだ嵐大好きだったのね。
そうだよね。
大好きの歴史が長いものね。
大好きな大野君の何か入れてもらったかな。
今は、あんなに大好きだった嵐のCDやDVDも持て余してる私。
姪っ子ちゃんの言葉に、二人で嵐のこと熱中して語り合ったことを思い出してまた悲しくなった。
あの大野君のポスターはどうするのかな。
姪っ子ちゃんが買ってくれたと自慢していた、国立の時の超絶カッコいい大野君のポスター。
彼女を思い出すとニコニコの笑顔しか浮かばない。
いつも笑っていた。
心の優しい人だった。
損得なしに人を助ける人だった。
息子のこともとても可愛がってくれた。
何度助けてもらったかな。
ほんとに感謝してる。
あんなに人柄のいい人、なかなかいない。
大好きだった。
時々、互いの嵐の見解が合わなくて言い合いになったこともあったけど。
私が松潤の悪口言うと、なんでよぉ〜じゅんじゅんのこと悪く言わないで〜って言ってた。
大野君担だけど、嵐みんなかわいいって笑ってた。
もう一度嵐、観たかったろうな。
お姉さんが教えてくれたけど、もっと友達と遊びたかった、お酒ももっと飲みたかったって、悔しいって言ってたって…
私も悔しいよ。
もっともっと会いたかった。
もっと話したかった。
みんなで集まってまた飲んで喋って騒ぎたかった。
ここ数年コロナのせいもあるけど、みんな仕事やなんやかやで疲れてたんだよね。
年のせいもあるし。
何だか昔みたいにあらたまってみんなで飲もうって誰も言わなくなっちゃって…
気づいたらかなり年が過ぎてた。
すっかり寛解したと安心してたのに、時は残酷だ。
もっと会ってれば良かった。
再発するはずない。
死ぬわけない。
呑気に思ってた。
毎年届く年賀状が今年は来なかったから、何となく不安だった。
でも、本人にどうした?って確かめても返事が来ない気がして怖かった。
律儀な彼女が返事を寄越さないってことは、寄越せないからだ。
そうなるのが怖かった。
再発はない。死ぬはずない。
そんな楽天的に捉えていたのに、胸をよぎる不安…
そうして、それが現実になってしまった。
会いたかったな。
あんなに笑ってたのに、おしゃべりだったのに、もういない。
信じられないよ。
発達障害の息子の心配事を私が話すと、いつもうんうんって聞いてくれた。
絶対に否定したり軽んじたりしないで、私の不安に寄り添ってくれた。
息子連れの遠出にも付き合ってくれた。
彼女が息子を見ていてくれたから私も一人で買い物が出来た。
引っ越しの手伝いも二つ返事で引き受けてくれた。
まめで、キレイ好きで、いつ行っても家の中はピカピカで、居心地の良い家だった。
思い出が尽きない。
とにかく、たくさんありがとうって言いたい。
きれいな顔をしてた。
みんなでいっぱい喋ったけど聞いてたかな?
誰も彼も感謝だったよ。
それくらいいい人だった。
次から次に友達が弔問に来ると、お姉さんが感心してた。
こんなにたくさん友達が来てくれてみんなに好いてもらって、ありがたいねと。
当然です。
人徳です。
みんな同じことを言ってた。
言うしかないよね、その通りなんだから。
明日は荼毘に付されてしまう。
最期に顔を見れて良かった。
もう二度と会えない写真と脳裏でしか。
さよなら。
でもまたいつか、会おうね。