2022年5月9日

 

 

 先日、日本在住のウクライナ人でNHKディレクター カテリーナさんによる

セルフドキュメントの番組「ウクライナ語で叫びたい」を見ました。

 

 ウクライナでは、ウクライナ語が公用語ですが、ロシア語を話す人も多く、

彼女家族も、全員がロシア語を話して、生活してきました。

 

 しかし、2014年ロシアがクリミアを併合して以来、ウクライナでは、

ロシアに対する反発から、ロシア語を話す人々が差別される動きとなり、

ウクライナ語を話す動きが広がりました。

 

 カテリーナさんの父は、ロシア語を止め、ウクライナ語しか話さなくなり

ました。母と妹は、言語を政治に関連付けたくないと、変わらずにロシア語で

会話しいました。

 

 そして、今年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻し、国中が戦場と

化し、多くの人々が犠牲となり、亡くなったり、国外への脱出を余儀なく

されてきまた。

 

 このような武力衝突は、決して許されるものではありません。しかし、

ロシア多くの一般市民に起因するものではなく、ましてや、ロシヤ語に責任が

あるわけではありません。

 

 しかしながら、凄惨な武器による危機の日々が続く中、言葉の問題が、

家族のでも、内的な断絶を起こしています。

 

 カテリーナさんは、自分の子供時代や家族との思い出は、ロシア語で包ま

れていて、想い出の一部として切り離せなと思っています。

 

 一方、父親は「言葉は、音に過ぎない。想い出をウクライナ語に切り替え

ればいいではないか」と言います。

 

 彼女は、ロシア語を否定することは、自分の大切な想い出も、悪いことと

否定する事になってしまうと苦悩しています。

 

 カテリーナさんにとっても、ロシア語と共に形成されてきたこれまでの

人生や、想い出について、ロシア語を否定するということは、彼女のアイデン

ティティ、そのものの否定につながります。即ち、人間として、現在の否定

だけでなく、過去否定し、更には、未来のあり方までの基盤が失われます。

 

 人間としての誇り、生きる証、喜び、期待等その人なりのイデオロギーや

アイデンティティは、言語を基盤に培われていきます。

 

 現在、カテリーナさんの父はキーウで暮らし、母、妹は西部で暮らして

います。

                  

                ‥‥‥

 

 私たち、一般的な日本人の暮らしの中では、国民、更には家族が違う言語

会話し、生活する事がありません。

 

 しかし、海外では、複数言語が併存して人々の生活・文化が共存している

例が見られます。

 

 例えば、スイスでは、ドイツ・フランス・イタリアに国境を接しており、

東のドイツ語、及びロマンシュ語、西のフランス語、南のイタリア語、と

4つの公用語があり、誰でも少なくとも2つ以上は使いこなせるように奨励

されています。

 

 地域によりそれらの言葉が主流になっており、テレビやラジオでも、3か

国語で放送されたりしていて、更に英語を含めて、多言語が生活と調和して

います。

 

 また、ベルギーでは、北部はオランダ語、南部はフランス語、更に

ドイツ語を加えて3か国語が公用語として使われています。

 小国のルクセンブルグでも、多くの人たちが、ドイツ語。フランス議、

イタリア語、英語を流暢に話します。

 

 アジアでも、マレーシアでは、マレー系が70%を占め、マレー語が

公用語ですが、中国系、イスラム系、インド系の人たちが暮らしており、

英語を準公用語として、日常的には、公用語+自分のルーツの言語を使って

います。

 

 多言語を話す人達は、それまで自分たちの言葉で会話していても、後から

加わ人の属性をみて、瞬時に、かつ自然に共通の言葉に切り替えます。

 

 多言語を日常に取り入れている国の人たちは、違いを受け入れ、広く

開かれた心が育っていきます。そして、いわゆる外国語の習得も得意です。

 日本語を話すウクライナの人達の、流暢な言葉使いに感心します。

 

 話す言葉、文字等、言語は、単にコミュニケーションのツールに留まらず、

人々の暮らし、人生の中で、文化となり、精神的なアイデンティティその

ものを形成しています。

 

 今回のロシア対ウクライナ危機は、ウクライナの人達の中に、ロシア語と

ウクライナ語の葛藤を産み、同じ国の中にあっても、家族や友人たちとの

間に、心の中で「内なる葛藤」というもう一つの悲劇を起こしているのです。

 

 ドキュメントの中で、カロリーナさんは、ロシアのクリミア半島への

侵略時、家族ぐるみで親交のあったロシア人から「併合したクリミアは、

私たちのもの」と言われ、付き合いは途絶えたとのことです。

 

 このように、武力の衝突が、人命の殺戮を引き起こすだけでなく、言語と

いうイデオロギーの基盤の否定までに及び、人間としての尊厳が精神的に

欠落しいき、長く心が傷ついていきます。どれほどの深い悲しみと苦しみ

となっていくでしょうか。

 

 国民と家族の断裂をも生んでいる危機の実情を見つめ、一刻も早くその

終焉と平和の日々の回復を心から望むものです。