去年の11月、突然顔面麻痺になりました。地元の病院じゃ手に負えず、大きな病院に紹介状書いてもらい行ってきました。重症だったらしく薬を飲んで仕事を休むことになりました。2週間経っても顔面麻痺は良くなりません。再度診察してもらい、私の顔面麻痺はかなりの重症、治るかわからない。治ったとしても年単位かも知れない。と言われ、19年働いた職場を辞める事にしました。

久しぶりの専業主婦ですが、体調も優れないし見た目もかなり悪いし。同居の義父が泣きながら体大切にしろよ。と言ってくれました。

それからまもなく、義父が亡くなりなした。突然です。いつもの温泉で倒れて救急車で運んでもらいましたが助かりませんでした。

朝まで元気にご飯食べて、昼過ぎにはもう亡くなってました。

突然の事でパニックに。どうしていいかわからない事だらけ。

でも仕事辞めていたので。家の事は全部できました。突然泊まりがけで来た親戚の対応もひっきりなしに来るお客様の対応。たくさんの親戚がいるので3食の用意も大変。

葬儀場も混み合っていて告別式まで1週間以上かかりました。

とにかく忙しかった。




初彼岸の頃、実母から

入院している事、初彼岸いけない事、急な入院なのでパジャマなど買ってきて欲しいとの事。

入院してるなんて知らなくて、面会も私が行けるのも知らなくて、兄からは何も教えてもらえなくて。

とりあえず彼岸始まる前にパジャマとかを持って駆けつけた。

母はかなり痩せてた。え?と思うくらい。

お彼岸終わってから毎日面会通った。

毎日行くけど、毎日出来ないことが増えてきた。おかしいとは感じてた。

エイプリルフールの日、兄から、母はもう長くない。夏までかも知れないと。泣きながら電話きた。次の日は私の誕生日。なんで今なの?って。

誕生日には相変わらず誕生日おめでとうのLINEが届く。でも確実に最後の誕生日LINE。

私は毎日面会通った。辛かった。悪くなるスピードが早すぎる。あっという間に歩けなくなる。

あっという間にオムツになる。

一日中吐いてる。


もう無理だと思い、近所の仲良い母友に言って面会きて欲しいと頼んだ。、色々話したいこともあるだろうと。

その時、母から、母の持ってるパールなど全部私にくれると言う。でも、まだ使うでしょ?と言うと。もう使わない。もらって欲しい。と。

母は看護師だった。自分の最後はわかるのだろう。

私は全力で拒否した。受け入れるのは母の死を受け入れる事だったから。

その夜、旦那と義母からめっちゃ怒られた。命懸けのお願いをなぜ聞かない‼️今も1人病室で死の恐怖と戦ってる母の気持ちを分かれ!と。旦那は夜遅くまで説得してくれた。

次の日、母にLINEした。

わかった。パールはもらう。



そして、なんでも言うこと聞く。

なんでも欲しいもの買ってあげる。

覚悟決めたんだよね。私も決めた。、


その日から、私は、母の最後に向かって全力。

会いたい人がいるなら、どんなに遠くでも連れてきてあげる。

足がガサガサなのがコンプレックスだった母。綺麗な足で旅立ってもらう為にケアを始めた。

毎日毎日面会行って、顔のスキンケア、手足のケア。

欲しいもの、全て揃えた。

そして、棺の中で着る服、遺影、して欲しい事全部聞いた。その時初めて母の前で泣いた。

母も、辛い事頼んでごめんね。と。


毎日面会行ってると、死に向かう母を見続けるわけで、兄夫婦や弟に面会行って欲しいと頼んでも仕事があるからと、ほとんど行ってくれない。

弱っていく母を見る辛さを共感して欲しかっただけだったけど。

頼んでも毎日面会行くのは私だけだった。

心が折れて、顔を、拭いてあげてる時

なんでガンになんかなっちゃったんだよ。と愚痴った。

母は一声。

ごめんなさい。

と。

私は死に向かってる母になんて言う言葉を言わせてしまったんだろう。


4月末。足を少し動かすだけでも激痛が走る母親がホスピスに転院する前の日。いつもの足のマッサージも、もう疲れたからいいよ。と。

転院反対する私と転院決定した兄と対立が続いてたが

自分が希望したから兄を責めないで欲しい。、と最後の願いだった。


5月の最初の日、転院の日。

兄から送られてきた写真は全てを諦めたような瞳の母親。ストレッチャーに乗せられてる。


日付が変わってすぐ、兄から、母が息してないと連絡があったと。

転院した先は病院よりも近く、私が着いた時はまだ母は暖かかった。


母は予定よりも早く死んだ。


でも私は毎日面会行った。やってあげたい事は全部できた。、

告別式での服も棺に入れて欲しい物も遺影も全部母の希望。私全部聞いたもん。


生きてるうちから死んだ時の事を話し合ってた親子ですが、私は充分やった。

母はもう体痛くないだろう。なんでも好きなもの食べられるようになっただろう。

よく頑張った。母は頑張った。


そして私。

仕事辞めて、しばらくは療養して、ストレス溜めない生活をさせてもらってた。お彼岸には完治したのです。

そして、失業保険ももらえてました。

失業保険が切れた先月から

専従者給与をもらってます。ほとんど以前の給料と変わらないくらい。


所有しているアパート2棟の管理、所有している土地の管理。、名前はかっこいいけど、空室の掃除、駐車場などの草取り。ごみ収集の日のゴミ捨て場の管理。

仕事の内容は変わりました。


でも確実に、ストレスのない幸せな生活できてます。半年前とは全く違う生活。

義父と実母を亡くす。義父は突然。実母はゆっくり。


もうすぐ初盆。

笑顔で、お帰りなさいと言ってあげる。


そして。私がそちらに行く時

一番にお迎え来て欲しい。