阪神淡路大震災の時は
海上自衛隊に所属してました
その当時は臨時勤務で補給艦「はまな」の給用員として勤務していた
今でも忘れやしません
朝の6時15分位にアパートの電話が鳴り
緊急非常呼集でした
何だろうと思い?
補給艦はまなに到着……
すでに4㌧トラックの補給車が救助物資を満載しておりました
これ訓練じゃ無いなぞ?
ただ事で無いことに感じて
補給艦はまなの食堂に乗組員が全員集まり艦長から説明がありました……
海上自衛隊の徳島県の徳島航空基地隊のヘリコプターが偵察で神戸を見に行き
その情報が、すでに各部隊に連絡が来てたそうです
地震でいたる所に火の手が上がってる写真を見ました
艦長から「今から補給物資を積み込み出港する」
4万人分の食料と毛布を積み込み朝8時ぐらいだったっと思いますが出港しました
神戸港に到着したが……
地震の影響で接岸出来る港は全滅でした………
そこで仕方なく神戸港から大阪の天保山港に午後14時位に入港して
すでに陸上自衛隊の補給部隊が到着しており荷揚げをして
私は辞令をもらい海上自衛隊阪神基地に行けとの命令でした
補給艦はまなを後にして陸上自衛隊の補給部隊と共に兵庫県の県庁目差して午後の16時位に出発して県庁に着いたのが午後12時前ぐらいだった
道が混んでて前に進まず……
着いてから阪神基地に向かい阪神基地に着いたのが午前3時位でした
行く途中で
悲惨な現状を目の当たりにしました
まだ瓦礫の下でうめき声をあげてた声が聞こえてきた………
着いて早々と仮眠を取り朝7時から救助活動を開始しました
アパートの瓦礫の下にまだ
赤ちゃんが居るとの情報で救助を初めて
なんか布に包まれた者を発見して……
見ると女の子の赤ちゃんでした………
すでに………冷たくなってた…………
若い夫婦がかけより号泣しました………
旦那様が
「生まれまだ4ヶ月なのに……助けてくれて 有り難うございます」
でも…なんて声かけていいか
わからなかった………
涙が出た
もう少し早く救助出来てれば助かったかもしれないと…………
でも
心が和む出来事もありました
基地近くで仮設のテントに非常食を配ってる時に多分80歳位の
おばあちゃんが
缶詰の鳥五目飯が開けられ無いと言うので
開けてあげたら
なんと
おばあちゃんが
「兵隊さん 有り難うございます 兵隊さんは海軍かい?陸軍かい?」と聞かれたので
思わず
「海軍ですと」
言ってしまった
「おばあちゃん今は海上自衛隊と言うよ」
と言うと
「海軍さんは優しいね」
なんか話が噛み合っていなかったが(笑)Wwwwwwwww
でも少し心が和みました
おばあちゃんにとっては
戦争を経験してるからかなと思いました
それから約1ヶ月の間は阪神基地に居ました
また辞令をもらい
元の岩国基地の救難隊に戻りました
それから半年後に岩国基地のこの俺宛てで
その おばあちゃんから
なんと
お菓子の詰め合わせを
わざわざ宅急便で送ってくれました
大変な時なのにもかかわらず
中には手紙があり
読み上げて
涙が出ました
うれしかったO(≧∇≦)o
おばあちゃん有り難うございます
海上自衛隊の岩国基地司令から
お礼をしなさいの事で
隊員全員で
お礼のお手紙と記念品を入れて
贈りました
悲しい思い出もあるけど
なんか
おばあちゃんから勇気と元気をいただいた
思い出です
チャオ~ヾ(○゚▽゚○)
∧=∧
( ´ω`∩
| ̄U ̄ ̄ ̄ ̄|
| ┼─┼ |
| /\ |
| / ホ \ |
\____/
└─┘
てっちやんより
海上自衛隊に所属してました
その当時は臨時勤務で補給艦「はまな」の給用員として勤務していた
今でも忘れやしません
朝の6時15分位にアパートの電話が鳴り
緊急非常呼集でした
何だろうと思い?
補給艦はまなに到着……
すでに4㌧トラックの補給車が救助物資を満載しておりました
これ訓練じゃ無いなぞ?
ただ事で無いことに感じて
補給艦はまなの食堂に乗組員が全員集まり艦長から説明がありました……
海上自衛隊の徳島県の徳島航空基地隊のヘリコプターが偵察で神戸を見に行き
その情報が、すでに各部隊に連絡が来てたそうです
地震でいたる所に火の手が上がってる写真を見ました
艦長から「今から補給物資を積み込み出港する」
4万人分の食料と毛布を積み込み朝8時ぐらいだったっと思いますが出港しました
神戸港に到着したが……
地震の影響で接岸出来る港は全滅でした………
そこで仕方なく神戸港から大阪の天保山港に午後14時位に入港して
すでに陸上自衛隊の補給部隊が到着しており荷揚げをして
私は辞令をもらい海上自衛隊阪神基地に行けとの命令でした
補給艦はまなを後にして陸上自衛隊の補給部隊と共に兵庫県の県庁目差して午後の16時位に出発して県庁に着いたのが午後12時前ぐらいだった
道が混んでて前に進まず……
着いてから阪神基地に向かい阪神基地に着いたのが午前3時位でした
行く途中で
悲惨な現状を目の当たりにしました
まだ瓦礫の下でうめき声をあげてた声が聞こえてきた………
着いて早々と仮眠を取り朝7時から救助活動を開始しました
アパートの瓦礫の下にまだ
赤ちゃんが居るとの情報で救助を初めて
なんか布に包まれた者を発見して……
見ると女の子の赤ちゃんでした………
すでに………冷たくなってた…………
若い夫婦がかけより号泣しました………
旦那様が
「生まれまだ4ヶ月なのに……助けてくれて 有り難うございます」
でも…なんて声かけていいか
わからなかった………
涙が出た
もう少し早く救助出来てれば助かったかもしれないと…………
でも
心が和む出来事もありました
基地近くで仮設のテントに非常食を配ってる時に多分80歳位の
おばあちゃんが
缶詰の鳥五目飯が開けられ無いと言うので
開けてあげたら
なんと
おばあちゃんが
「兵隊さん 有り難うございます 兵隊さんは海軍かい?陸軍かい?」と聞かれたので
思わず
「海軍ですと」
言ってしまった
「おばあちゃん今は海上自衛隊と言うよ」
と言うと
「海軍さんは優しいね」
なんか話が噛み合っていなかったが(笑)Wwwwwwwww
でも少し心が和みました
おばあちゃんにとっては
戦争を経験してるからかなと思いました
それから約1ヶ月の間は阪神基地に居ました
また辞令をもらい
元の岩国基地の救難隊に戻りました
それから半年後に岩国基地のこの俺宛てで
その おばあちゃんから
なんと
お菓子の詰め合わせを
わざわざ宅急便で送ってくれました
大変な時なのにもかかわらず
中には手紙があり
読み上げて
涙が出ました
うれしかったO(≧∇≦)o
おばあちゃん有り難うございます
海上自衛隊の岩国基地司令から
お礼をしなさいの事で
隊員全員で
お礼のお手紙と記念品を入れて
贈りました
悲しい思い出もあるけど
なんか
おばあちゃんから勇気と元気をいただいた
思い出です
チャオ~ヾ(○゚▽゚○)
∧=∧
( ´ω`∩
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てっちやんより