パートナーと価値観の違いを感じたら別れのサイン

って、インスタの投稿で見た。


当たり前のようで、確かになぁって妙に納得した。


自分を振り返ってみるとなおさら感じる。

自分の持っていた価値観、

今となってはどうして?と思うことも

当時はそれが自分の中の常識になっていたし

その中で生きていた。


私は自分1人では生きていけない

誰かに依存していなきゃ生きていけない、っていう

どっぷり依存していた人間だった。

それは幼少期からの刷り込みでもあったと思うし

それを自分が望んでいたからそういう人たちを引き寄せていたんだろうな、と

今ならそう理解している。


そういう自分、自己価値の低い私。

自己肯定感の低い私、

そんな私にはこういう人しか見てくれないって

自分で狭い世界の中に当てはめようとしていた。

そういうふうにしか世の中もみることができなかった。


結婚をして、子育てをして、

だんだんと本来の自分の意思が沸々と湧いてきた。


そうなると、今まで当たり前だった価値観が

ガラガラと崩れていく。


それまで平気だった言葉たちだったが

私はだんだん受取拒否をするようになった。

嫌悪感や、怒り、悲しみに変わって。


よく元旦那に言われてたことだったけど、

私が作るご飯、不味くないけどうまくないって言われていた。

それは自分が料理をして来なくて

一生懸命作ってはいるけど、私が義両親に対して

食べてはくれるけど、本当はいまいちうまくないって思ってるんだろうなと思っていたから。

元旦那がそれを言葉にしてくれていた。

確かに、私料理得意じゃないし…。って

その言葉は私にとって悲しい言葉なはずなのに

相手の感情を大切にして受け取っていた。

本当はその言葉はとても悲しいって思ってあげないといけなかったのに

でもその当時はその価値観の中で生きていたので

どこか違和感を感じづつも受け入れていた。


月日がたち、料理もある程度自信がついてくると

私の中で今日は美味しい!って満足したご飯が作れた。

その当時は気づいていなかったけど

元旦那も発言する言葉が、うまいに変わっていってたな。

書きながら思い出した笑


要は自分が思ってることを相手が見せてくれる現象ってこういうことなのかと。


自分の中の自己価値が変わってくると

今まで受け入れることができた価値観も受け入れることができなくなって。

お互いが変わっていかないとズレが生じてくる。

元旦那は今までと変わらない私を求めていた。

でも私はその価値観を変えて生きたいと思うようになっていったあたりから

私はここのコミュニティの中で

一生暮らすのは無理だと思って、離婚するって意識になったんだ。

離婚前は話すことも嫌すぎて

どうにか回避したいと思っていたけど、

話さないとこの地獄が一生続くんだと思って

自分を奮い立たせて話し合いの場を作ろうって伝えた。

私のその時の雰囲気から察した彼は話し合いから逃げていたけど、

私の揺るぎない意思を伝えた時に渋々話し合いをしてくれた。

で、その時に言われた言葉は

私がそんな人だとは思ってなかった。っていう言葉。

彼は私に変わってほしくなかった。

自分のいうことだけを聞いてくれるそんな存在でいて欲しかったんだなと。

昔の私だったらその言葉に、がっかり?して

相手の思う人間にならなくちゃって思ってたなって、その時そう思ったな。


私が変化をしたいと思っているときに

一緒に変化を受け入れてくれる人じゃないと一緒に過ごすことはできないんだなと

改めて今思う。


“価値観の違いを感じたらお別れのサイン“って

身をもって体験していたんだなと思うと

その言葉がなんだか感慨深い。