大正生まれ。

昭和の時代を

最初から最期まで生き抜いて

平成の時代に去った人。



戦後。

女児2人を出産した後離婚。

当時離婚人口はごくわずか。

子供を食べさせるのに

日本では稼げなかったその人は

姉妹を自分の姉に預け

満州に渡った。


どうやってお金を作ったのか

定かではないが

何年も掛かって

お金を貯めて帰国。


島根県では有名な

玉造温泉に小さな旅館を建てた。


長女だけを手元に戻し

妹の方は姉の養女とし


おそらく、その時代

「女」というだけで

銀行などの金融機関にはなかなか相手にされなかったであろうに

その旅館を

昭和も後半にさしかかろうとした頃増築。



文字通り「女手一つ」で

その人生を生き抜いた人。



思い立って東京に出て

一人暮らしを続けている私の血は

この人の血が色濃く流れている、と常々言われたものだった。



祖母は

そういう人だった。


養女になったのは、私の母。

だから、私には

二人の祖母が居た。



育ててくれた祖母は

もう10年も前に他界したが

妹であった

「実の祖母」が

先週末、息を引き取った。

享年99才。



急に田舎に帰る事になった私は

仕事を途中で切り上げる事が出来ず

最終の飛行機に乗る事がかなわなかった。


夜行バスに乗り

懐かしいあの街を目指した。



残念ながら出棺には間に合わず

まるで笑いながら眠っているようだったと言わしめた表情には

会う事ができなかったが

それでも

しっかり手を合せ

見送る事が出来た。



結果的に

己の仕事で出棺に間に合わなかったのだが

「仕事は何をしてる?」

「上手くいってる?」

「給料はいくら貰っている?」

と、孫の誰にも質問するのが常だった

かの人を思えば

なんだかそれも許される様な気がした。



もう、天国に着いたかな。



おばあちゃん、沢山教えて貰ったね。

沢山、可愛がってもらったね。



これから私の人生は

もう少し続くけれど

そのキップの良い笑顔で

見守ってやって下さい。