また嫌な6月




私にとって
春とも夏とも言えない不快な季節です。





2年前のこの季節に


主人が生と死の狭間で戦っていた時期でした。




この年の一年間だけでも

何度も手術し、入院、痛い思い、苦しい思いをし

生きたいが為に頑張ったのです。


そして体調がすこし良い時は

旧友を訪ねたり

一緒にゴルフクラブのロッカーの整理に行ったり

ゴルフ仲間と会ったり

まるでお別れをしているかのようでした。



主人が最後に受けた腹腔鏡手術


完全麻酔ではなく

患者の意識のもと進めていくらしく

主人も自分の身体の中に通る管や血液を見ながら

痛みに耐え何時間も頑張った。



手術に入る前は


いつも

ずっと私の手を力強く握って移動し

術後も握り返してくれてたのです


この時はその力もありませんでした。



あまり弱音を吐かないのですが

主人の力無く苦痛の表情を見て、


どれほどのものか察しました。


でもこれで少しは回復するのならば

と思っていたのですが



その後急激に体力が落ちて
1ヶ月も経たずに、自宅緩和ケアに移りました。

それだったらあの手術はしなければ良かった
ほんとに必要だったのか?

痛みと苦しみだけ与えてしまったと
どれほど後悔したかしれません。

そして緩和ケアのお話が出た時の
主人の絶望的な顔は今でも忘れられません。


先生は病院の緩和ケアを勧めてくれたのですが
私が嫌でした。

病院の規則に縛られるのではなく

自宅で主人と過ごしたかったのです。

少しでも心穏やかにしてほしかった


眠る時も24時間一緒にいたかった。


現実は綺麗事では済まされない事ばかりと
覚悟を持って準備しました。

専門の方達が
医療ベットやもろもろをテキパキと

寝室に搬入してくれ


緩和ケア専門の医師

看護師の方達の連携で

スケジュールが組まれていきました。



その日から主人は治療ではなく
痛みや苦しみをとる
緩和療法が始まりました。


緩和に移った事で子供達が

帰省することになったのですが

その帰省中にまさか亡くなるなんて

思いもしなかったのです。


子供達が揃う時を待っていたかのように


主人と1人ずつ話ができました。


そして、最後まで私の心配をしながら
旅立ちました。

主人が
生前から子供達に言っていたのは
知人、身内、誰にも来てほしくない
子供と孫だけでの家族葬にしてくれと

いつも言っていたので


自宅で子供と孫だけの葬儀を執り行いました。


来客がいない分

3日間しっかりと主人とのお別れができ

静粛で穏やかな時間が過ごせました。



お墓は生前墓を準備しているのですが


1人だけ暗いお墓に入れることが
いまだ、できずにいます。

何だか暗い話になりましたが

こうして気持ちを外に出すことができ
少し楽になりました。

読んで下さりありがとうございました。