こんにちは、
新(あらた)です
いつも介護日記を
お読み戴き本当に
ありがとうございます
決意の春
母の初めての家族会に
参加する私の関心事の1つは、
グループホームに入所している
他のおばあちゃんたちは
どんな様子なんだろう?
・・・という点でした
何より母以外で認知症を
患っているお年寄りを
間近で見る機会は
まずありません。
デイサービスと違って
特別な事情がない限り
家には帰らず、
24時間365日一緒に
生活しますから、
一体どんな雰囲気になるのか
とても興味があったからです。
家事を手伝いたい人、
のんびりテレビを観たい人、
季節や行事に合せて
折り紙などして部屋を
飾ったり、
たまにはお買い物や
モーニングにも
連れて行ってもらえたり、
時には簡単なお菓子作りに
皆でチャレンジしたり。
・・・でも、基本的に
”全員が認知症”
です。
家族会では、テーブルが
4人または6人がけで、
そこに入所者2名と、
ご家族が1~2名。
スタッフが1名といった
構成になっていました
私たちのテーブルに
一緒に座ったKさんには、
2人の姉妹が来訪されて
いたのですが。
ニコニコしながら
談笑される三姉妹、
「どうしとったぁ?」
「あんた~老けたな」
「あんたほどじゃないわぁ」
「元気そうだがね」
「ここのご飯が美味しいもんで」
「ほりゃ~何よりだわ」
「ところで、あんた
誰だったかねぇ?」
・・・
コントみたいだけど、
本当にこんな感じなんです
スタッフさんからは
「Kさんと〇〇子さん(母)は
とっても仲良しで、いつも
おしゃべりされているんですよ」
と聞いていたので、
試しにKさんを指して
「お母ちゃん、この人
なんて言う人?」と訊ねたら
ニサニサ笑いながら
「知らない・・・」
それでも、目と目が合えば
話が始まるそうで・・・
お互いに相手のことが
理解出来ていない。
でも、自分自身の理解も
出来ていないという
究極の関係性の中で、
「今日は寒いねぇ」
「ホントだねぇ」
「今日は暑いねぇ」
「ホントだねぇ」
誰1人として、
”それおかしいよ”
”つじつまが合わないよ”
”さっき同じ話聞いたよ”と
言わない世界なんです
すごくない???
そして、
この写真↑はイメージなんですが、
まさにこんな感じの割子弁当を
スタッフさん皆さんで
手作りして詰めたものが
各テーブルに振る舞われました
”普段作ってると言っても
さすがに家族会の時くらいは
仕出し屋さんから来るのでは?”
と思っていた自分が
恥ずかしい
通常の倍以上のお料理を
1品1品手作りして、
さらにお吸い物まで付くのです
人間が生きているうちの
大半の楽しみは
「美味しいものを食べること」
だと思うのですが、
会社の昼休みに、
残りご飯にお茶をぶっかけて
流し込んでいたような母が、
こんな美味しい食事を
毎日食べる機会に恵まれて、
大好きなおしゃべりをしても
誰にも叱られたり疎まれたり
しない環境
本当に、提案してくださった
ケアマネBさんには
感謝しかありません
その頃父はと言えば・・・
キッチンには
立つようになったものの、
やはり面倒くさがり屋の
性分は直らず
なまじ、母と2人分から
自分の食事だけに
なってしまったので
適当具合がどんどん
加速する感じでした
「楽になった?」と聞けば
「そりゃ~、厄介な
ババァがおらんもんで
快適 快適♪」
とは答えますが・・・
その反面、こんな話も。
「ババァ、今度はいつ
帰って来るんだ」
「は?基本的には
帰って来ないよって
言ったじゃん」
「絶対に来れんのか」
「そんなことはないけど、
なんで?」
「二階がガラクタだらけだで、
あいつに片付けさせて
やろうと思って」
「え~~~~~!?」
やっぱり解ってなかった
ものがなくなったり、
触って欲しくないものを
ペタペタ触られたり、
食事は捨てられる、
真夜中でも歩き回る・・・
これを「耐えられない」と
父が言うから、
母にはホームに
入所してもらったのに、
一体何がしたいんだ
この人は
原点にある想いは、
ズバリ「寂しさ」なのは
わかっています
ただ、この辺りから
父の様子も少しずつ
雲行きが
怪しくなって行くのです
そして・・・
「あんたさぁ、会社が
なくなったら、自分の親を
看なあかんのだら」
「私は、私の親を看る」
兄のところにも、
嫁からの三行半が
届くことになったのです。
いえ、会社を畳むという
話をしている時から
兄は察していたのかも
知れません
盆正月にも寄りつかない、
「元気ですか」の電話もない、
それでも兄の運んで来る
役員報酬をアテにしていた
兄嫁ですから、
事実上の「用なし宣告」を
されても不思議ではありません
問題は、
兄嫁のこの言葉。
「あんたさぁ、会社が
なくなったら、自分の親を
看なあかんのだら」
そうですよね~
そもそもこの人たち、
最初は父に反対されて
いました。
”一人っ子なんかもらって
跡継ぎの話はどうするんだ”
これに対して兄は、
はい、確かに言いました。
「両方の親の面倒
看るから、結婚
したいです」
・・・と!!!!
結局、無職になった
兄は、60歳目前で
派遣登録をして、
離婚したのに父の居る
実家には戻らず、
派遣会社が斡旋した
アパートに住み始めたのです
・・・・酷いですよね
紆余曲折あったけど、
母の幸せは確保されました。
(父さえ騒がなければ)
でも、私に至っては、
本当に本当にほんとう~~に、
「やる」と言ったことまで
放り出した勝手な兄には
必要なこと以外絶対に
連絡しないと
心に誓ったのでした
この続きは次回、
「それでも、親を看る㉙」
~やっと掴まえた幸せ~ で
お会いしましょう