色々家財を動かしていた時、古い梅酒が出てきました。

梅酒を作ってもあまり飲まないのにせっせと作ったので、

押入れの中に古い梅酒が沢山ありました。

 

作ってそのままなので、梅の実はそのまま漬け込んだままです。

手近に有った物を見たら、1990年6月と書いてありました。

なんと、25年越えの梅酒です。

気持ちが悪いぐらい真っ黒です。

中の梅の実を取り出したらそれも真っ黒でシワシワ、カチカチです。

こんなに黒い梅の実を見たのは初めてです。

食べてみたらカスカスで美味しくありません。

(後で日本酒を入れてみたら少し軟らかくなり、美味しくなりました。

でも、梅が崩れてくるのか黒いごみみたいなものが沢山発生してきました。)

 

古い梅酒の表面の一部にはうっすらと油膜みたいな感じで光っている所がありました。

梅fの種からもエキスが染み出てきたのでしょうか。

梅酒のビンの内側には黒いものが膜状に付いています、

梅の実を出す時ビンの内側をこすったからか

梅酒の中には黒いゴミみたいな物が沢山漂っています。

飲んでみると酸っぱくとても甘いまるで梅ジュースみたいです。

変な味は全く無く、とても味の濃い美味しい梅酒になっていました。

 

作るときは傷や痛みの無い青梅を使います。

へたを取り除き、綺麗に水洗いをしてからよく乾かし、

梅の上に氷砂糖を入れ、ホワイトリカー(35度) を入れて作ったものです。

 

押入れの中には今の家を建てる前からのものも有り、

中には1980年と微かに読めるものがありました。

( 35年間も漬けたままになります。)

そして、なぜかブランデーとも書いてありました。

漬け込んだ時はブランデーなんて勿体無いなあと思ったような気がします。

これも、やはり黒々とした物になっています。

果たして味のほうはどうか、35年物も少し味見をしました。

 

25年ものと35年ものを透明な小さいグラスに入れて見比べると

25年ものほうが真っ黒です 、35年の方は濃いあめ色です。

どちらも梅の実を入れたままにしていた為か、どちらも濁りがあります。

お酒は日頃ほとんど飲まないので酒の違いはよく判りませんが、

やはり35年物のほうが口の中に広がるふくよかさは別物に感じました。

( 焼酎とブランデーの差なのかは分かりません。)

本当の酒好きの人は何と言うか分かりませんが、

甘党の自分も、流石に美味しいなあと感じられました。

 

 10年位の物もありましたが、こちらは透明感のある綺麗な飴色で、

中の梅が青く膨らんでいるのが見えました。

これを見た時は、まだ若いなあと可愛らしくさえ感じました。

こちらはまだ味見はしていません。

 

甘い物が好きなので、おせちの黒豆は毎年煮ています。

いつも美味しいのですが、色が今一でした。

でも、今年の正月の黒豆は見事なぐらい真っ黒に仕上がりました。

何時もは錆びた古釘で色付けをしていましたが、昨年末は鉄釜に変えてみました。

 

実は、お茶の鉄釜を持っています。

これは以前勤めていた会社の茶道部が廃部になり、

不要になった茶道具を希望者が引き取る事になり貰い受けたものです。

鉄釜の中はすっかり錆びていましたが、捨てるのは忍びなく保管していたものです。

 

大まかな材料の量は (おすそ分けするので大量です)

黒豆      500グラム

水       15カップ (最初は少なくても、後で様子を見ながら追加する)

砂糖      400グラム

醤油      大匙  3杯

塩        小匙  1/2杯

 (調味料は大体の量です。

   作りながら味見をして塩や醤油を後から更に足して行きました。)

 

黒豆を水洗いしてざるに入れておく。

水・砂糖・醤油・塩を入れ煮溶かして煮汁を作り、沸騰させ火を止め。

今回は鉄釜の中に黒豆と沸騰している煮汁を入れ一晩浸けておきました。

 

昔は、一晩黒豆を水に浸けふやかして、水で煮込んで軟らかくしていました。

でも最近は豆の乾燥具合が違うのか作り方が大幅に変わっています。

 

鉄釜を火にかけ、沸騰するまで強火、

その後は吹きこぼれない位の弱火でアクを取りながらコトコトと煮込みます。

3時間位弱火で煮ながら豆の柔らか具合を確認、

時々火を付けたり消したりしながら自分の好みになるまで煮ました。

火を消した後そのまま置いておけば完成です。

鉄釜を使ったので、ビックリするほど真っ黒い黒豆が出来上がりました。

煮汁も真っ黒です。

少し金臭い感じがしましたが、正月に食べた時には、金臭さが抜けていました。

 

年明けのおせち料理としてはとてもよく出来たと自画自賛しています。

鉄分が豊富で身体に良いよと言って皆で食べました。

(余談ですが最近のヒジキは鉄分が少ないそうです、

      原因は最近は鉄鍋を使わない為と聞きました。) 

 

 

                                                       

同じように壊れた赤と黒のオートバイ二台です。

両方ともタイヤ部分が折れているので預かりました。

 タイヤを芯棒に取り付ける為の放射状の支え棒が折れていました。

この部分は2台とも接着剤で直ったのですが、赤い方のオートバイがどうしても走り出しません。

指摘は無かったのですが、やはり直したくなります。

 

一応分解したら歯車の位置が分らなくなり組み立てられなくなりました。

こんな時は、分解する前に写真を撮っておけば良かったなといつも反省します。

おもちゃの病院の終了時間が迫ったので余計焦りました。

 

二台とも同じ人の物なので一緒に持ち帰ることにしました。

家でゆっくり、歯車の噛み合わせを試しながら組んでいきました。

頭部を持ち上げると噛んでいるギャーが動き、それぞれのレバーが動きます。

ところが、頭部を下げると噛んでいるギャーは動くのですが動くべきレバーがそのままで動きません。

何か連結させるべき部品が足りないのです。

 

幸いもう一台預かっていたのでそちらも分解してみました。

やはり連結するものがありました。

そこで、それに代わるL字型の物を釘を使って作りました。

矢印の先の白いものです。

 

支柱部分にキリで穴を開け接着剤で固定しました。

これで、頭部を上下させると力が伝わり、後車輪の歯車と噛み合いタイヤが動くようになりました。

(頭の位置は動かしながら調整したので、写真とはギャーの噛み合せ位置が変わっています。)

多分相当体重をかけて動かしたのか、タイヤの支えの棒と一緒にこの部分が折れてしまったのでしょう。

分解したときの欠片などは必ず一緒に保管するのですが、

欠片が無いということは遊んでいる時に折れてしまいゴミとして捨てられてしまったのでしょう。

幸いもう一台同じ形のものがあり比較が出来たので簡単に判って良かったです。

壊れたときの欠片はとても大切な情報を知ることが出来る物なのです。

壊れた時は、なるべく欠片も持ってきて貰いたいです。

ボランティアの研修バス旅行に行ってきました。

埼玉県の庄和町在る首都圏外郭放水路と、千葉県の佐倉市に在る国立歴史民族博物館、武家屋敷を見てきました。

 

    首都圏外郭放水路

以前テレビで見た覚えがありましたが首都圏外郭放水路の水槽は実際に見てその大きさに驚きました。 

       

   とても暗い写真になってしまいました。

   上の明るい手すりの部分は進入禁止でした。

   その位置にいければ、更に深い穴の中が見えたのですが。

 

  そっくり返って、更にレンズを上に向けました。

  

  天井のほうを見上げると4本の光が見えます。

 これは地上から大きな掃除機を降ろす為の穴とのことでした。

 大水で流れ込む水を排出した後に残る多量の汚泥をその掃除機で取り除きます。

 そうしないと次の大水のとき更に汚れた水を流すことになり、下流の水質悪化になってしまうとのことでした。

 大水が納まる都度、この水槽は空っぽにし綺麗な状態にしておきます。

 長く太い柱はまるで昔の宮殿を思わせます。

 下流に排水する為、

 国道16号線の地下約50mにトンネルが建設されているとの説明を聞きました。

 大水で苦しむ人が大幅に減るように、

 このようなことの為に大切な税金が使われるのは納得が出来ます。

 

 自分も写真を撮ってみましたが、綺麗には撮れていないので、

 下記のほうのページをを 見たほうがずっと分かり易いです。

  1、 首都圏外郭放水路     2、 首都圏外郭放水路のページ

 

   国立歴史民族博物館

佐倉城の跡の高台に建てられた堂々たる 博物館で、入り口には堀が廻らされていました。

何故か、黒い服の人達が沢山あちこちに立っており厳重な警備を感じました。

上空にはヘリコプターが飛んでいます。

これは相当なお偉いさんが来ていると感じました。

4時半には入り口に来ないようにと指示され、異常な雰囲気での入場になりました。

あまり時間がなかったので急いでの見学となりました。

第一から第六展示室までありますが、第4からは駆け足となってしまいました。

古代の展示室には沢山の埴輪があり、とても素朴で穏やかなな顔つきです。

福岡市・志賀島で出土した金印のレプリカが有りました。

この金印の発見によって、邪馬台国が畿内でなく九州であったかも知れないとの論争が続いていますが、

箸墓古墳等が3世紀の中頃と科学的に突き止めたことにより

邪馬台国の女王卑弥呼の墓かもしれないとの説が強くなっています。

もしも、将来この箸墓古墳の中を窺い窺い知ることができた時に、

もう一個の金印が有るとして、それがここから見つかったら多分決定的になるのでしょう。

はたして本当に邪馬台国はどちらに在ったのでしょうか。

 

銅鐸のレプリカを鳴らしたら、案外すっきりとした音でした。

もっと渋い音がするのかと思っていたので意外でした。

貴族の御帳台などまるで中世のヨーロッパの貴族のベッドみたいです。

民衆の住む町並みやお祭り、仕事等など、

見たい物が沢山有ったのですが矢張りゆっくり時間を掛けて見ないともったいないです。

急いで見終わって出入り口に着くと、御夫妻が間もなくお帰りになるとのことでお見送りをしました。

車椅子の人の前を通るとき、「お元気でね」と声を掛けました。

声を掛けて戴いた人はとても感激して喜んでいました。

 

暫らく待機して、退出の許しが出てから私達はバスに乗り込みました。

その時も頭上にはゆっくりとヘリコプターが旋回していましたが、すぐにいなくなりました。

帰路は高速道路に入りましたが、三車線それぞれでパトカーが先導します。

対向車線は高速で走っています。

ずいぶん長い間パトカーが先導して高速道路を時速30~40Km位で走りました。

前方は全く車が走っていないので、車道が見渡す限り真っ暗です。

事情を知らないと思われる他の車も大人しくパトカーの先導にゆっくりと従っていました。

そのうち両サイドのパトカーが居なくなりましたが、

真ん中の車線のパトカーは赤いライトの棒を窓から伸ばしてそのままゆっくり走っています。

側道から車が普通の高速で入ってきても暫らくパトカーはゆっくり走りましたがそのうち居なくなりました。

ずいぶん長い間低速で走ったような気がします。

こんなにすごい警備が必要なのでは外出は大変なことなのだと思いました。

やっと高速道路が普通に走れるようになってホッとしました。

 

こんなすごい警備体制、このような経験は初めてです。

見学に支障を来たしたのではないかとの配慮で来年3月まで有効の無料招待券を貰いました。

でも、遠いので多分近いうちには見学に行くことは出来ないでしょう。

この経験は多分忘れられないことの一つになるのかも知れません。

親の古い家、ドアを開けっ放しにしているときが多いのでとても寒いです。

そこでドアを自動的に閉めるものを作りました。

見かけは良くありません。

ドアクローザーを買ってきて取り付ければいいのですが、本当に必要か判らないので、

こんな、物を作りました。

と言っても、これは自分のアイデアーではありません。

実は30年以上前に親戚のおじいさんが自動的にドアを閉める装置を作り、

それを見てとても感激しました。

細かいことは良く覚えてはいませんが、こんな感じだったなと思い出しながらこの装置を作りました。

 

   (3枚の画像はクリックで大きくなります。)

  ドア上部に紐をつけ、錘で閉めるようにする装置です。

 

 ドアを開けると錘が上に上がります。

 

 柱の所の金具で紐を支えています。

             錘で紐が引っ張られドアが閉まっていくところです。

                         (壁と同じ色のほうが違和感がないと思いましたが、説明の写真としては分り難くなってしまいました。)

              

 

最初、滑車を使うと滑らかに紐が引っ張られると思いましたが、

滑車を使うと紐が時々滑車の隙間に入り込んでしまいかえって調子がよくありません。

そこで引っ掛けの金具に直接紐を掛けました。

この金具は表面が滑らかなのでとても調子がいいです。

 

見掛けの良い紐が無かったので、有り合わせの包帯を紐として利用しました。

見掛けが悪いのは我慢してもらいましょう。

これで少しでも暖かくなるといいのですが。