僕の思うコミュニケーションとは何だったのか。
改めて考えさせられる出来事がありました。
ある外国の患者様が来院されました。
膝が痛くて、右も左もわからず彷徨っていたら、何となくここならなんとかしてくれそうと思い入ったそうです
外国の方だったのでとりあえず、知っている英語を使ってみたら、
反応なし
イエス、ノー、オッケーとかも通じなかった
正直焦りました
英語なら何とかなると思ったけど、
ロシア語。
全く知らない
ジェスチャーとかでなんとか伝えたかったんですが、お互い意思の疎通しようと必死だったがお互い伝わらず。
唯一知ってた、ありがとうの意味の
スパシーバ
(はじめの一歩に出てくる、ヴォルフザンギエフのセリフを覚えてただけ)
ここで使えた!
その瞬間、お互い笑顔になれた。
向こうも、片言ながらもありがとうございましたと言ってくれて。
でも何もできなかったという罪悪感で胸がいっぱでした。
次の日これを言おうとか考えながら、色々ロシア語について勉強した
また来院されたとき、手振ってくれた。
嬉しかった。
何も伝えられ無かったと悩んでいたが、
気持ちは伝わっていたのかもしれない。
そして勉強したロシア語を言ってみたが、
次の日全く通じなかった
「ろ」とか「る」とかの発音が違うらしい。
僕は全く聞き取れてないので、何となくそう言ってた気がしただけです
でも、これがコミュニケーションなんだと思った。
今までは、会話して仲良くなるのがコミュニケーションだと認識してたが、今回は言葉はわからないけど、お互いが笑顔だった。
最後に、うちの娘も宜しくお願いします。
と片言の日本語で言われた。
右も左もわからない地で、憩いの場になったそうです。
言葉はなくとも笑顔で、お互いの感情を伝えるのもコミュニケーションだと再認識できた。
これからの人生でロシアの方とお話しする機会はないかもしれないが、この機会にロシア語とは言わず、コミュニケーションについてもう一度考え直すきっかけにしようと思いました